因習村祠クラッシャー

木古おうみ

命日を更新日と捉えるな

 何としてでも今日中にこの祠をぶっ壊す。更新日が近づいているからだ。


 俺が"壊した者は三年後に必ず死ぬ"という呪いの祠を破壊してから、二年と十一ヶ月が経っている。

 厄介な呪いだが、裏を返せば三年間は絶対に死なないということだ。つまり、運命の日の前に同じような祠を壊すことを繰り返せば呪いは上書きされる。

 年会費を払い続ければ実質無期限で使えるポイントカードの更新と同じだ。


 俺の目の前には、検索エンジンに和風ホラーと打ち込めば百件は現れるフリー素材のようなわざとらしい祠が鎮座している。石造りの楕円形の祠の前に注連縄が何重にも張り巡らされていた。

 俺は深呼吸して、思い切り斧を振り下ろした。



 音を聞いた村人が駆けつけたのは三十分後だった。老人たちは皆顔面蒼白だ。迷信深いと笑うつもりはない。

 片手に斧を持った男が煙草を吹かしてきたら青ざめて当然だし、俺がやったことは単純に犯罪だ。

 三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金もしくはその両方の器物損壊罪。


 案の定、鬱蒼とした木々の間からパトカーが見えて、警察官ふたりが駆け降りてきた。

 年嵩の警察官の方が俺を指差す。

「お前、あの祠を壊したんか……またお前か!」

「また、って何ですか?」

 背後にいた若い警察官が目を剥く。俺は片手を挙げて答えた。


「お久しぶりです。贄原にえはらさん」

「何がお久しぶりだ! 去年も隣の村の祠を壊しやがって!」

 年嵩の警察官、贄原が口の端から泡を飛ばす。

 この男も哀れだ。因習蔓延る村がごまんとある土地で警察官になったせいで何度も俺と顔を合わせる羽目になっている。


 贄原は沈鬱な溜息をつき、後輩らしき若い警察官に向き直った。

「この男は石鉈いしなた魁斗かいと。土着の信仰が残る村を渡り歩いて、曰く付きの祠を壊しまくる異常者だ」

「歩く器物損壊罪ってこのひとのことですか!」

 嫌なあだ名をつけられたものだが、事実だから反論できない。


 若い警察官は俺を眺めて言った。

「呪われたりしないんですか……?」

「呪われまくってるよ」

「何でまだ死んでないんですか?」

「酷いこと言うじゃねえか」


 贄原が溜息混じりに答える。

「この壊し屋が言うには、呪いが多すぎて打ち消し合ってるんだとよ。体温が上がり続けて死ぬ呪いに対しては体温が下がり続ける呪いで相殺するって具合にな」

「お陰で平熱は三十六度ですよ」

「一旦死んでおけ」


 若い警察官が困惑気味に贄原を見上げる。

「一応逮捕しておいた方がいいんでしょうか?」

「無駄なことはやめておけ。どうせ不起訴だ」


 俺は肩を竦めた。真っ青になって祠の残骸を掻き集める老人たちの向こうから、学生らしき青年が顔を覗かせていた。

 俺と目が合うと、青年は俺に歩み寄り、急に頭を下げた。

「あの……あれを壊してくださってありがとうございます」


 気弱そうな青年は震える声で言った。

「村のみんなはおかしいんです。あの祠には山神がいて、三年おきに生贄を捧げないと村が滅びるって……次の祭りで妹が捧げられるところだったんです。でも、僕は何もできなかった……」


 警察官ふたりが顔を見合わせる。俺は咥え煙草で青年の肩を叩いてから贄原に言った。

「聞きましたか。村ぐるみの殺人だとよ。器物損壊に構ってる場合じゃなさそうですね」

 俺は贄原の怒声が響く前に退散した。



 俺は斧を片手に村の外に続くトンネルを抜け、停めておいたバンに向かった。


 山道を覆う木木の葉は枯れ果て、焦茶色の針のような枝が天蓋を作っている。錆びついた落石注意の看板、不法投棄された冷蔵庫やタイヤの山、見慣れた田舎の光景だ。



 傷だらけの白いバンの前まで来ると、助手席の窓にヨキの姿が反射していた。


 火葬場で骨を焼いた後に出る灰のような色の髪をひとつに結んで、俯きながら本を読んでいる。前髪でほとんど隠れた細面の顔は、文系の内気な大学生に見えた。

 ヨキがろくに戦えないせいで、祠を壊すのは毎回俺の役目だ。

 その分、曰く付きの祠を探すことに関してはヨキの右に出る者はいないし、見ただけで曰くの詳細までわかるのはこいつだけだから仕方がない。


 俺が斧の柄で窓ガラスを叩くと、ヨキが顔を上げた。

「魁斗、ホラー映画の殺人鬼みたいな真似やめてくれよ」

「村人を苦しめる悪神の祠を壊してきたんだぞ。どう考えてもホラー映画の善玉だろうが」

「鏡とか見たことないのかな……」


 俺が斧を振り回すと、ヨキは仕方なさそうに窓ガラスを下ろした。

「大丈夫だった?」

「無事に更新完了だ。あと三年は持つ」

「命日を更新日と捉えるなよ」


 ヨキは本をダッシュボードに置いた。『海辺のカフカ』だった。

「こんなところで村上春樹なんて読んでんじゃねえよ。角川ホラー文庫でも読め」

「それじゃ逃避にならないだろ。土着ホラーなんてノンフィクションみたいなものだし」

「そう思ってるのは世界でお前だけだよ」



 会話を打ち切ってとっとと車に乗り込もうとしたとき、背後から女の声が響いた。

「すみません……壊し屋の石鉈さん、でしょうか?」

 振り返ると、ダッフルコートを纏った線の細い女が木の影から覗いていた。俺は斧の柄で車を打ちつけた。


「ヨキ、お前地元の人間にろくでもねえことベラベラ喋ったんじゃねえだろうな!」

「話してないって!」

 ヨキが悲鳴を上げると、女が駆け寄ってきた。


「車が壊れちゃいますよ!」

 ヨキが窓ガラスを上げながら、

「おれの心配もしてくれよ……」

 とぼやく。


 俺は向き直って女を観察した。

 目の下に泣き黒子があり、笑っていても不幸そうに見える、繊細そうな女だった。山道を駆けてきたのか、スニーカーとコートの裾から覗くワンピースの裾に泥がついている。

 俺は一呼吸おいて、女に言った。


「誰だ?」

「失礼しました。私、片白かたしろと申します……あの、助けてほしいんです!」

 片白は急に俺に縋りついた。俺は慌てて刃が当たらないように斧を背中に隠す。

「何の話だよ」

 片白は涙を溜めた目で俺を見上げた。

「私の村にある祠を壊してほしいんです! このままじゃみんな殺されてしまうんです! 壊し屋の石鉈さんにしか頼めないんです!」



 俺は横目でヨキを見た。ヨキはうんざりといった顔で首を振る。

「やらない方がいいと思うけどね」

「でも、呪いはあるに越したことないぜ。何処で役立つかわからないからな。この前だって、雨の日に傘をさすと死ぬ呪いがなけりゃ、晴れの日も傘をささないと死ぬ呪いを相殺できなかった」

「どうせおれが止めてもやるんだろ。知ってたよ」


 俺は片白に向けて頷いた。

「やるかやらないかは話を聞いてからだな」

 片白は花が咲いたように微笑んだ。

「聞いてくださるんですね!」

「まあな。壊し屋に大事なのは度胸だ」


 ヨキが「おれの命だって大事だよ……」と呟くのは聞かなかったことにした。

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