保留の日々
ラエラが子を無事に出産するまでアッシュの裁定は保留する、そうヨルンから知らせが届き、ギュンターと夫人は落ち着かない日々を送っていた。
アッシュが今どうしているか、現状を夫妻がその目で見守る事はもう難しい。
ぐるりと巡らせた高い柵が物理的に互いを隔てている事もある。だがそれ以前に、アッシュが家から姿を見せないのだ。その上、夫妻は今、森を出てすぐの、村の外れに建てた家に移っていた。
それはヨルンが新しく用意した家だ。
片目の光を失って以来、物にぶつかりやすくなったギュンターと、往診で通う医者の利便性を考えての事だった。
「ラエラちゃんの事は、もうアッシュの中で完全に終わってるとばかり思っていたの。それが、まさか妊娠の知らせで、アッシュがあんなに様子がおかしくなるなんてねぇ・・・」
夫人は今も、あの日の出来事を悪夢のように感じている。一からやり直して、頑張って少しずつ積み上げていったものがガラガラと崩れ落ちた日だ。
その日の事を繰り返し嘆く夫人の背中を、左目に眼帯をつけたギュンターが優しくさすった。
「私もそう思って、気を抜いていたんだよ。2人の結婚について話した時は、アッシュの様子に別に変わったところもなかったしね・・・もしかしたらアッシュはあの時も、結婚は結婚でも、白い結婚と思っていたのだろうか」
「まさか。2人はあんなに仲睦まじいのに?」
「う~む、だがなぁ・・・」
アッシュは心のどこかで、ラエラが今もアッシュを想って操を立てているとでも信じていたのではないだろうか。ギュンターは、ふとそんな事を思ってしまった。
そう言えば、とギュンターは口を開いた。
「アッシュはあの後、ヨルンがどれだけラエラの為に頑張っていたか知らないんだ。だから昔のイメージのまま・・・アッシュを一途に想うラエラと、ラエラよりも5歳年下のほんの少年に過ぎないヨルンのままで・・・だとしたら、アッシュは白い結婚を本気で信じていた可能性が高い」
「バカよ、あの子は。今もラエラちゃんがアッシュを想ってくれてるなんて、思い上がりもいいところだわ」
「・・・ヨルンはアッシュをどうするのだろうな。やはりバイツァーたちと同じ、新薬の被験者だろうか」
「・・・どうでしょう。何と言われても、私たちが文句を言える事ではありませんけどね」
王都のロンド伯爵家から、森の手前の家に住む夫妻に連絡が来たのは、夫妻がこの会話をした日より1週間ほど前―――ラエラの出産から約10か月ほど後の事だった。
ラエラの体力も順調に回復しているとの事で、今回夫婦でギュンターたちが住んでいる家を訪問すると言う。
結婚式の翌日にギュンターと夫人はロンド伯爵邸を発ったから、実に2年半ぶりの再会となる。
けれど、これはただの訪問でない。きっとアッシュの処遇について告げられるのだろう。
「ねえ、ギュンター。見張りの護衛が教えてくれたわ。
一時期は、生きているか心配になるほど姿を確認できなかった。
けれど最近になって、見張りの騎士が気づいたのだ。夜中に響く、地面に穴を掘る音に。
アッシュは夜中に家から出て、柵で囲われた範囲内に残された地面に穴を掘って、ゴミを処分するようになった。以前、母から教わった事だ。
未だギュンターもアニエスもアッシュの姿を見る事が出来ていないが、見張りの中には、井戸の水を汲んで洗濯をするアッシュの姿を見たという報告が時々上がる。
羞恥なのか後悔なのか、それとも純粋に嫌なのか、アッシュは両親が柵越しに声をかけても家から出て来る事はない。
それでも、見張りから話を聞けるだけで夫妻は安心した。
だから。
せっかくの2年半ぶりの再会なのに、ギュンターも夫人も胸中は複雑で、手放しで喜ぶ事は出来なかった。
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