たぶんこれが最後だと
近くの家に移り住んだ両親から助けてもらえると期待したアッシュは、すぐに両親の家を訪ね、そして護衛たちに阻まれた。
汚れた服からも本人からも異臭漂うアッシュを押さえ込むのは精神的に苦痛なのだろう、護衛たちの顔が微かに歪む。ヨルンより上増しされた給与をもらっていなければ、乱暴に突き飛ばしていたかもしれない。
「アッシュ、私たちはお前を甘やかす為にここに移って来た訳じゃない。自分たちへの罰としてだ」
外で騒ぐ声を聞いて出て来た前伯爵が、護衛の肩越しに口を開いた。随分と痩せこけたアッシュが、汚れた口元を歪ませて、そんな、と呟いた。
「僕にあの汚い家に住み続けろと言うのですか?」
「汚したのはお前だ。ならば掃除もお前がやって当然だろう」
「父上のところには使用人がいるじゃないですか。そいつらを貸してください」
「好意で付いて来てくれた者たちを、物のように貸し出しなど出来ないよ」
「そんな・・・もうあの家はあちこちゴミだらけで、寝る場所がかろうじて確保できるくらい汚いんですよ? 親なら助けるのが当然でしょう?」
「当然か・・・当然と言うのなら、人と会う時にそんな酷い格好で現れるのは当然なのか?」
ぐっと言葉に詰まったアッシュは、分かりました、と言って一歩下がった。
「体を拭いて来ます。そうしたら話をしてくれるんですよね?」
「服の汚れも落としなさい。お前の体だけでなく、服も相当臭うぞ」
本人の鼻は麻痺して気づかなかったのだろう、指摘され、カッと赤面したアッシュは、もの凄い勢いで去って行った。
流されやすいだけあって、アッシュは元々は素直な性格だ。ああ言われれば、一応は体を拭いて服を洗うに違いない。
「助けるのが当然、か。まあ親としてやるべき事はやらないとな」
誰にともなくそう呟いた前伯爵は、使用人に道具入れの場所を尋ねた。
「ち、父上? それに母上も。何をしてるのですか?」
二日後。
たぶん必死に洗ったのだろう、前より臭いが収まったアッシュが、シャベルを手に穴を掘る父母の姿を見て、素っ頓狂な声を上げた。
いつから掘り始めたのか、結構な大穴が、アッシュの家近くの地面に空いていた。
「お前の為に穴を掘ってやった。使用人は使わず、私と妻で掘ったんだぞ」
「僕の為?」
「そうよ、アッシュ。この穴の中に、家中の腐った食べ物を捨てなさい。そして満杯になったら土を被せるのよ」
「はあ?」
「燃やして問題ないものは、あちらの切り拓いた土地で燃やすといいわ。広いから森に火は移らないと思うけど、念の為に水を汲んでおくのよ」
「あの、それはどういう・・・?」
「家の中を片付ける方法を教えてるんだ。汚いんだろう? この間そう言っていたじゃないか」
「あ、あれは、だから、父上たちの家に住まわせてもらおうと」
「こちらに来る事は許さない。お前は私たちの家に一歩も入ってはならないし、私たちもお前の家に足を踏み入れる事はない。だが、こうして外で少しの手伝いならしてやろう」
「そんな」
今日こそは家の中に入れてもらえると思っていたアッシュは、引っ越す気満々だったところに牽制を入れられ、愕然とする。
「アッシュ」
前伯爵は、シャベルを地面の上に置き、口を開いた。
「自分のやった事から目を逸らすな。逃げようとするな。親として私たちが出来る事はするつもりだが、肩代わりはしない。お前が与えられた家を汚したんだ。だから、お前が綺麗にしろ。お前が一生暮らす家なのだから」
「一生・・・? この家に僕が一生・・・?」
呟きながら、アッシュはふらふらと出て来たばかりの家の中に入って行った。
生ゴミを持って来るかと夫妻は暫く待ったが、再び出て来る様子はない。
「せっかく掘ったけど、無駄になってしまったかしら」
土で汚れた手をさすりながら呟く夫人に、前伯爵はどうかな、と答えた。
今まで体を動かす仕事などした事がない夫妻は、二日がかりでやっと子どもひとりが入れるくらいの穴を掘った。
手慣れた労働者なら一時間もかからない作業だ。
「たぶんアッシュにとって、これが最後の機会の筈なんだ。自分のした事を省みない人間に、いつまでもロンド伯爵家の金を割くのは無駄でしかない。このままでは、いつかヨルンが決断するだろう。それを理解してくれるといいのだが」
それ以上の声かけはせず、夫妻は自分たちの家に戻った。多くの使用人たちに傅かれていた以前と違い、今の彼らはやる事がたくさんある。
それから3日ほど経った頃、見張りに付いている私兵から、アッシュが屋敷内の生ゴミを穴に運び始めたという報告がきた。
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