与えられた自由と一つの制限、理由はまだ知らない
「ふ~ん。つまり、ラエラが『手が痛くなるから殴るのは止めた』のは、その弟くんに言われたからなのね? まあまあ、なかなか興味深いこと」
あの日の事の顛末を話し終えたラエラは、長話で乾いた喉をお茶で潤した。そんなラエラを見るアナベラは、頬に手を当て、少し考える様子を見せる。
「そうなると、あの浮気男と猫かぶり女の仲がどうなったのか、明日の卒業式で見当がつけられそうね。ふふ、あれから二週間、どんな顔でやって来るのかしら。ちょっとだけ楽しみだわ」
学園にいる間―――正確に言うと、第二学年から卒業までの二年間―――婚約者のラエラより、預かった遠縁のリンダの方へと気遣いの天秤を日々傾けていくアッシュに、アナベラのお怒り度数は連日高値を更新した。
『うちは貧乏で、弟たちに食べさせるのも大変で・・・ぐすん・・・だからあたし、働いて助けてあげたいと思ったの。でも、屋敷に預かってくれたおじさまたちのお陰で最後まで学園に通える事になって、とっても嬉しい! アッシュとは卒業までしか一緒にいられなくて寂しいけど、あたし、大切な家族の為に頑張って働くね!』
うるうると器用に涙を出し入れしながら、上目遣いで見つめながら。
貧乏苦労話や家族の為に健気に頑張るあたしアピールを、女狐リンダはちょこちょこ会話に織り交ぜた。
そんなリンダの話を真正面から受け止めて、親切過保護度を日々増していくアッシュは、良い言い方をすれば人が好くて、悪い言い方ならチョロかった。
最初は同じくリンダに親切にしていたラエラも、少しずつ優先度が入れ替わる毎日に不安と心配を覚え、アッシュに訴えてはみたものの『くだらない嫉妬は止めなよ』という、そっちこそくだらない言い分で却下され、やがて二人から距離を取るようになり。
焦燥し、けれどアッシュへの恋情に縛られ悩む
他家の婚約事情に首は突っ込めないから何も言わなかっただけ。それももう、結婚式まであと半年となっては、半ば諦めていた。何より、あんな男でもラエラは深く愛していたから。
それを、たった一日だ。
いや、一日とも言えないだろう。わずか数時間で、ラエラが抱いていた元婚約者への想いを、女狐リンダへの恨み嫉みごと、13歳の少年が綺麗に拭い去ったのだ。
浮気男の実の弟という所だけが気に入らないが、きっと当の本人が一番残念に思っているだろう。だからこそ、後継の座を奪う宣言をした筈。
情けない兄に代わって後継者になって、ラエラの婚約者に立候補する。成人してしまえば、5歳の年の差も然程とやかく言われなくなるだろうから。
話を聞きながら、大体そんな流れになるのだろうとアナベラは見当をつけていた。だが、ラエラが翌日に受け取ったという手紙の内容について聞いて首を傾げた。
―――自由に生きてほしい? ラエラをただ想い続ける?
喉シロップを毒薬と誤解させて、ラエラに持たせた強引さはどこに行ったのか。外堀を埋め、きっちり囲い込むタイプと思っていたのに。
想像していた人物像との違いに、果たしてその手紙は本心なのかとアナベラはつい疑ってしまう。
だって、ラエラは婚約を破棄された令嬢なのだ。
あちらの有責と言えど、このような時にダメージを負うのはいつだって女性側。次の縁談は、当然のように条件が落ちる。
縁談先が下位貴族の子爵、男爵位の独身令息なら御の字で、老人に後妻として嫁ぐなんてのもよくある話。
それなら今は13歳の少年でも、次期伯爵家当主となれば、浮気男の実弟だとしても優良な縁談に違いないのに。
「・・・ねえ、ラエラ」
だが、これはラエラに言う事ではないとアナベラも分かっている。だからもう一つ、疑問に思った事を口にした。
「あなたのお父さま・・・テンプル伯爵さまは、よくあの家からの手紙なんて預かってくれたわね。渡したのが弟くんだったからかしら」
「そうね。ヨルンさまに助けて頂いた話をしたから、そうかもしれないわ。
でも、お父さまの主張通りにアッシュ有責の婚約破棄になったせいなのか、帰って来られた時にはいつものお父さまに戻ってらしたわ」
「ふ~ん。ああそう言えば、ラエラは結婚がなくなったから働こうと思っているのよね? それは、伯爵さまもいいと仰ってるの?」
ラエラは頷いた。
これに関しては、予想したよりもかなりあっさり許可が降りて、ラエラも吃驚したのだ。
ラエラの父は、すべてラエラの自由にしていいと言ってくれた。
働くならそれでいいし、働く先を探してほしいならそれも助ける。新たな縁談を望むなら探してくるし、好きな人と出会ったなら余程の相手でなければ結婚を許すとも。
ひとつだけテンプル伯爵が駄目だと言ったのは、後妻として嫁ぐこと。いや、好きになった相手がやもめならば認めるが、家の為などと称して後妻に入るとは言ってくれるなと告げられた。
貴族の令嬢としてはあり得ない程の行動と選択の自由を与えられた事に、不安で埋もれそうだった白紙の未来が、ラエラの目に少し色づいて見えたのだ。
―――そして翌日、ラエラは卒業式を迎える。
きっと、これがアッシュとリンダの姿を見る最後の日になるのだろうと、ラエラは思っていた。
だが。
「・・・来ないわね」
「そうね。どうしたのかしら」
アッシュとリンダ、そのどちらも会場に現れず、欠席のまま卒業式は終わった。
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