19-7


「何をしている貴様」


 兄上が怒りの矛先をノアへ向けた。

 縮み上がりそうな剣幕にも、ノアは臆することなく兄上を見据える。


「アズレウス伯爵、ご不在のところ勝手な真似をして申し訳ありませんでした」

「わかっているならば、さっさと出て行け」


 一礼して、竪琴のケースを手にノアが出て行こうとする。


「ノア、待っ――ッ!」

 

 兄さんの背中から離れた瞬間、兄上に胸倉を掴まれた。

 力任せに引き寄せられ、踵が浮く。


「フレデリック! ロストラータ家の面汚しめ。お前は大人しくしていることもできないのか。河原乞食に施してやっているなど、責務をまっとうせず貴族気取りか。逃げて隠れることしかできないと思っていたお前に、そんな度胸があるとはな」

「あ、兄上……俺は……」

「兄上、落ち着いてください。フレディは、彼のおかげで希望を取り戻したのです。何も恥じることはしていない」

「これが恥ではなくなんだ! お前がこいつを甘やかすからだろう、リュシアン!」


 捨てられるように床に投げ飛ばされる。ノーマンたちが駆け寄ろうとしていたが、兄上の形相の前にどうすることもできないようだ。


 こうなった兄上は止まらない。とにかく今は黙って従っておくしかないとわかっている。

 それでも今は、俺だけの問題じゃない。


 飛び起きると、兄上を搔い潜ってノアの後を追いかけた。

 兄さんの呼び止める声が聞こえたが、構わず屋敷の外に出る。


「ノア!」


 屋敷の門を出たところで、銀色の後ろ姿を見つける。

 さらりと髪を揺らし、ノアが振り返った。その顔は何事もなかったかのように、いつも通り涼やかだった。


「ごめん! 兄上があんな……」

「どうかお気になさらず。よくあることです」


 こんな扱いが、よくあること。

 それでもまさかうちの屋敷に招いて、こんな目に遭わせてしまうなんて。


「兄上は俺のやることなすこと気に食わないんだ。だからノアのことも、ロクに知らないのにあんなこと言って。兄上はノアの歌を聴いたことがないから……」

「フレディ」


 ノアがゆっくりと首を振った。

 そこに悲しみはなく、窺えたのは諦めだった。


「もう部屋にお戻りください。兄上様がこれ以上お怒りになられたら大変でしょう」

「でも……」

「ああ、そうでした。これを」


 取り出した長方形の箱を手に握らされた。


「誕生日プレゼントです」

「こんな、俺――」


 ノアの指が、俺の唇に当てられた。

 憂うような紫の瞳で見つめられ、それ以上言葉が出なくなる。

 

「今日はお招きいただきありがとうございました。とても楽しかったですよ。おやすみなさい」


 去って行くノアの後姿を、ただ見送るしかできなかった。



 

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