10-1.リュシアン


 こうして、俺はすっかり引きこもりに逆戻りした。

 何もやる気が起きない。虚無感に襲われている。


 時折ノアのことを思い出しては「あああっ」と叫んで布団を被ったりしていた。

 何もする気が起きないのに、何もしていないとノアのことを考えてしまう。

 頭の中でノアの歌がエンドレスリピートされて消えない。

 

 こんなことなら、死んだ方がマシ……


 コンコン、とノック音が聞こえた。


 また引きこもった俺を心配して、時々ノーマンやアーニーたちが様子を見に来てくれる。

 病むギリギリで思い留まっているのは、使用人たちがいてくれるお陰だ。

 頑張って掃除を手伝ってくれたアーニーを、泣いて喜んでくれたノーマンを悲しませたくはない。


 俺は呼吸を整え、手櫛で最低限髪を整えて扉を開けた。


「っ、フレディ」

「……リュシアン兄さん」


 確認もせずに扉を開けたことを後悔した。

 立っていたのは、2番目の兄リュシアンだった。


 俺よりも明るく柔らかな藍色の長い髪を、ハーフアップのように結い上げている。

 そしてキレイなエメラルドグリーンの瞳。目鼻立ちの整った色素薄い系男子。

 怒ることを知らない穏やかで落ち着いた表情が絶えることがない。


 どこからどうみても、大切に育てられた貴族のご子息といった雰囲気だ。

 血を分けた兄弟とは思えない、見るだけで自分のコンプレックスを刺激される。


 今でも独身なことを、弟の俺でも不思議に思う。


 そんな兄が涼やかな瞳を大きく見開いている。

 まさか俺がすんなり扉を開けるとは思わなかったんだろう。事故なんだが。


 驚いた顔を一瞬で引っ込め、リュシアン兄さんは穏やかな表情を浮かべて俺を見つめる。

 その視線に耐え切れず、逃げるように床に目を伏せた。


「久しぶりだね。顔を見せてくれて嬉しいよ」

「え、あ、ああ、まあ……」


 開けてしまったら閉めるわけにもいかない。

 兄さんだって俺に開けられて困惑しているんだろう。そんな素振りを見せないところは流石だ。


 「様子を見に来た」という事実を作りたかっただけで、本当に俺の顔を見たいわけじゃなかっただろうに。


「散髪をしたのかい? とても似合っている」

「そ、そう、うん……」


 コミュ障過ぎるぞ俺。

 でも今更兄さんと何を喋ればいいのかわからない。それは向こうも同じだろう。

 頼む、早く帰ってくれ。


 という俺の願いも虚しく、兄さんは話を続けた。


「せっかくだから、久しぶりに一緒に食事をしないか? 昼食はまだだろう?」

「え? いや、俺は……その、食欲が」

「すぐにお食事をご用意いたします。リュシアン様」


 いつの間にか音もなく傍にいたのはノーマンだった。

 チラリと見上げると、にっこりと笑っている。俺と兄さんが喋っているのがそんなに嬉しいのか。


「アーニー、すぐに昼食の準備を」

「かしこまりました」


 後ろで控えていたアーニーが、ノーマンに言われた瞬間に動き出す。

 なんだこれは。何かが仕組まれていたのか? 全員グルになって俺をどうしようっていうんだ。


「さあ、行こう。フレディ」


 兄さんが俺の腕を掴んだ。一体何を考えているのかさっぱりわからない。

 引きこもりを直す矯正施設にでも連れて行かれるのか? ついに絶縁されて家を追い出されるのか?

 

 為すすべもなく、俺は兄さんに連行されて行った。


 

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