第6話 ネドヴェト嬢とお呼びくださいませ

 朝日で自然に目が覚めた。

 だって、眩しすぎるんだもん。

 こんなに朝日が射し込んでくるまで寝てたことない。

 ある意味、新鮮な体験だ。


 頭の変な痛みはなくなったし、大丈夫みたい。

 学園の制服に着替えてから、ダイニングに向かう途中でベティベアータに見つかってしまった。


「エミーお嬢様! もう起きて、大丈夫なんですか?」


 ベティは淹れたばかりの紅茶のような髪と少し、日焼けしてる健康的な肌が印象的な人だ。

 あたしが小さい頃から、屋敷にいるけど、十歳くらい年上なだけだから、まだ二十代半ば。

 それなのに肝が据わっていて、年齢よりも貫禄があって若く見えるお母様より、年上ぽいところがある。


 それにあたしよりも家族を知っているんじゃないかっていうくらいに家族関係を把握してる。


 あれ? おかしい。

 ベティは『淑女への子守歌』に出てこなかった気がする。

 おかしくない?

 うちの屋敷で働いてるメイドで名前が小説に出てきたのは一人だけだった。

 ヨハナという名前でお母様よりも年上おばあちゃんに近い年齢の人。


 不思議なのはヨハナというメイドはうちにいないことよね。

 正確にはあたしが二歳になるまではいた人。

 年齢を理由に引退して、ネドヴェト領にいる息子さん夫婦のところで余生を過ごしたと聞いてる。


 ヨハナの代わりに採用されたのがベティ……どうなってるの?

 小説と違う……。


「お嬢様。本当に大丈夫ですか?」

「あ、うん。大丈夫。朝食をとったら、すぐに出たいの」


 あたしが考え込んだまま、反応しないのがおかしく思われたのか、ベティが心配そうな表情をしてる。

 ん? 心配そう?

 何か、ベティが薄らと微笑んだように見えたのは気のせい?




 お母様は既に慈善活動にお出かけしたから、いない。

 マリーとユナも登校したから、いない。

 一人ぼっちの朝食だった。


 みんながいなくても寂しいと感じないのは、みんながいてもあたしは一人だったからだろう。

 嫌というほどに分かった。

 一人で空回りしていただけ。


 誰もいない会場で大道芸を披露してる道化だったということかしら?

 分かった。

 何をすれば、いいのか。

 あたしがエミーとして、どう動けばいいのか。

 夜のうちにメモを取って、考えておいて正解だった!


 登校に使う馬車もいつもとは違う。

 マリーとユナと三人で乗っていた。

 今日は予備の馬車を用意してもらったから、常用の馬車に比べたら、やや狭くて、シートの据わり心地もよくはない。

 でも、一人で使えるのが嬉しい。


 こんなにも広々としていて、静かなものなんだと新たな体験に感動してる。


 でも、変な違和感を覚えるのは気のせいではないと思う。

 ベティ以外の使用人や馭者から、線を引いて一歩下がられたような感覚とでも言うのかしら?

 よそよそしいというのは違うし……。

 遠巻きに見られてる感じがした。


 それは学園に着いてからも変わらなかった。

 髪の色が変わったせいかしら?

 染めたのではなく、勝手に変わっていただけだし、目立つ赤毛よりは目立たない髪色になったと思うのにおかしい。




 教室に入っても誰一人、近づいてこない。

 あぁ、そうだわ。


 いつものあたしはもっと早くに登校していたし、自分の教室に行かないでロビーのところに行っていたからだ!


 それにしたって、居心地がよろしいとは言えない。

 遠巻きに見られている感覚を胸に抱いたまま一人、静かに授業の準備をしてたら、ロビーロベルト第二王子殿下を連れて、いらっしゃった。


「エミー。なぜ、来なかったんだ?」


 という言い方は小説の中ではまさにその通りの立ち位置だったからだ。

 ポボルスキー宰相の三男ユリアン。

 ベルガー第一騎士団長の次男ミラン。

 ジェプカ侍従長の五男サムエル。

 家を継ぐことが出来ないあたしと同じスペアに過ぎない人達がロビーの周囲にいた。

 彼らとあたしの違いはロビーの役に立つか、立たないか。

 あたしは後者だったので愛されるはずがない。


 ロビーはなぜか、複雑な表情かおをしてるように見える。

 なんでかしら?


 怒っている?

 焦っている?


 どちらとも取れるから、判断しにくい。

 何でそんな表情かおしてるのかしら?


「ロベルト第二王子殿下。あたしのことはネドヴェト嬢とお呼びくださいませ」

「エミー? 一体、何を言っているんだ? 君と僕は幼馴染で……」

「あたしがあまりにも分別がなくて、浅慮であったせいでこれまで殿下に失礼なことを申し上げて、すみませんでした」


 腰を折り、深々と頭を下げてから、そう申し上げてみた。

 あたしだって、侯爵家の娘なのだ。

 ちゃんとしようと思えば、出来る。

 愛されたいと思うばかりに無駄な努力をしていただけ。

 もう、そんなことはしない。

 するものか。


「殿下。どうされました?」


 なぜか、殿下の顔が青褪めて、見える。

 調子が良くなさそうだ。

 殿下、なぜ、そんな顔をされるんですか?


 それではまるで私のことを気にかけているみたいじゃないですか。

 そんなはずがないですよね?


 あたしが付きまとわなくて、せいせいしたのでは?


「それにその髪はどうしたんだ?」

「朝、目が覚めたら、知らないうちにこうなっていただけです。特に何の問題もございません」


 嘘は言ってない。

 あたしが染めた訳ではないんだから。

 女神様にお祈りをしたら、こうなってただけ。


「君にそういう喋り方をされるとなぜか、悲しいな」

「そうでしょうか? あたしも十二歳です。侯爵家の令嬢として、淑女として正さないといけないと思い立ったんです」

「そうか。邪魔をしたな」


 ロビーはまるで遠くを見つめるような不思議な視線をあたしに向けてきた。

 悲しみと切なさが入り混じった紫水晶アメジストの瞳を向けられるとドキッとしないと言えば、嘘になる。


 でも、あたしはもう間違えない。

 勘違いはしないつもりだ。


 フッと視線を逸らすとロビーはよろよろと覚束ない足取りで教室を出ていった。

 全く、何だったのかしら?




 授業が全て、終わった。

 勉強が有意義なものだと感じられた貴重な一日だった。

 これまではどこか、授業に集中出来なくて、つまらなかったけど勉強するのも悪くない。


 帰り支度を済ませ、さっさと教室を出る。

 クラスメイトの皆さんが何かを聞きたそうな顔をしていたけど。

 あたしから、話しかけるのもおかしな話だと思う。


「ねぇ、みんな聞いて!」


 以前のあたしだったら、明るい調子でそうまくしたててただろう。

 そんな愚かな真似はもうしない。


 愛が欲しくて、明るく振る舞ってたエミーはもういないんですよ?

 だから、放っておいてください。


 そんなあたしの考えが見える訳でもないのに誰一人、話しかけてこなかった。

 結局はその程度だったということ。


 これで分かったかしら?

 エミー。

 愛を求めても無駄なの。

 『求めよ、さらば与えられん』の与えられんは貰えないってことなの。

 あたしはそう結論付けることにした。

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