立入禁止の旧校舎




 星乃に「付いてきてください」と言われたので「嫌だ」と拒否すれば、「百合イラスト描いてる変態さんだってバラしますよぉ?」とふふっと笑われた。


 それを脅しと言うのでは……という不満はあったが、それを言われてしまえば俺にできる選択は一つしかなくなる。


 俺は渋々椅子から立ち上がり、教室を出ていく瑠璃に付いていった。

 幸い、バスの時刻まではまだ時間がある。


「何であんな冴えない奴が可愛い瑠璃ちゃんと……」

「意味分かんねぇ」


 後ろから教室に残っていた陽キャたちの不満そうな声が聞こえてくる。


 そもそもお前らが窓開けなかったらこんなことにはならなかったんだよ! と思いながら、換気をするのはいいことなので黙っておいた。



 :



 星乃に連れてこられたのは、立ち入り禁止とされている不気味な旧校舎だった。


 外壁はところどころ剥がれ落ち、下地のコンクリートや錆びた鉄筋がむき出しになっている。周辺には雑草も無造作に生い茂っている。管理が行き届いていないのだろう。


「おい……どこ行くんだ? こんなところ何もねえぞ」


 〝立入禁止〟と大きく書かれた看板の向こうへ平気で入っていく星乃の背中に呼びかける。


 しかし星乃は笑うばかりで俺の問いには答えない。

 後輩を一人で壊れかけの旧校舎に行かせるわけにもいかず、俺は仕方なくその後ろを付いていった。もしも瓦礫でも落ちてきて死なれたら後味が悪い。


 旧校舎の廊下の木製の窓枠はところどころ腐食し、割れたガラスの欠片がそのまま放置されていた。


「何でここ、取り壊されないんだと思います?」


 数歩前を歩く星乃が振り返らずに聞いてくる。


「取り壊し費用がない……とか?」


 躊躇いがちに回答した。


 この旧校舎は、俺が入学する以前から建っている。

 新校舎への夕方の太陽の光を遮るような場所に建っていて明らかに邪魔なのに、いつまでもここにある。

 単純に考えれば金がないのだろう。


「違いますよ」


 星乃の弾むような可愛らしい声が、やけに廊下に響いた。



「――〝取り壊せない〟んです」



 は? と聞き返そうとするより前に、俺の視界の隅に奇妙なものが映った。


 前を進む星乃のさらに奥を見据える。


 廊下の奥から、微かに湿った何かが這うような音が聞こえる。


 埃まみれの床に夕日の光が差し込んでいる。その光に照らされ、揺れ動く異様な黒い物体。ぼんやりとした輪郭を持つその物体は、床板を舐めるように低い姿勢でこちらへ近付いてきている。


 近付くごとに形がはっきり見えてきた。

 それは不自然に長い腕のようなものを床に這わせながら、ゆっくりと前進している。指のように見えるものは異常に細く、先端は爪の代わりに鋭い骨のような突起でできていた。


「――星乃」


 俺は咄嗟に前方にいる星乃の細い腕に手を伸ばして引っ張った。


「逃げるぞ!」


 星乃の腕を掴んだまま反対方向に走り出す。


 あれは明らかに人じゃない。

 自慢じゃないが俺には全く霊感がなく、これまでの人生であんなものを見たことはなかった。そんな俺でも瞬時に分かるくらい異様な存在。

 姿形から何か違う。人でなければ動物でもない。


 旧校舎に幽霊が出るっていう噂を聞いたことはあった。

 幽霊なんていないだろとその時は鼻で笑っていたが、あれを見ればそんな馬鹿にする思いも吹き飛ぶ。


 今はとにかく俺の身の安全と一応後輩であるこいつの身の安全を確保しなければ――と走り続ける俺に、星乃が言う。


「あれから逃げるなんて無理ですよ」

「は!?」

「追いつかれます」


 星乃を振り向けば、星乃のすぐ後ろに真っ黒な物体が迫っており、星乃に手を伸ばしていた。


「ッうわああああああああああ!!」


 恐怖で冷静さを失った俺は星乃から手を離し、星乃に迫る異形を殴ろうと拳を振った。

 目を瞑って振り下ろした拳は、何かに当たる感触もなく空振りする。


 恐る恐る目を開くと、異形の腕がなくなっていた。

 腕の先はまるで刃物で切断されたかのように綺麗な切り口で――その近くには、刀の刃先があった。


 驚いてそちらを見れば、星乃がその小柄で華奢な体とは似つかわしくない日本刀を持っている。

 星乃は何だか嬉しそうに目を細め、頬を染めて笑っていた。


「センパイ、わたしちょっときゅんとしちゃいました」

「はあ?」

「だってセンパイ、あれと対峙してもわたしを置いていこうとしなかったんですもん」


 そう言った星乃は刀を握り直し、一瞬にして異形の手足を切り落とした。

 動きが素早すぎてその一つ一つを目で追うことができなかった。


「わたし嬉しくて、荒ぶっちゃいます♡」


 星乃によってバラバラにされた異形の体の一部が床に転がっている。

 それらはサラサラとした塵となって消えていく。


「お、おまっ、銃刀法違反……ッ」

「そんなこと言ってる場合ですかぁ? 次来ますよ」


 口をパクパクさせながら指摘するが、星乃の視線は再び廊下の奥に向けられた。


 さっきと同じ異形が今度は三体も、廊下を這ってこちらに近付いてきている。


 ひ、と短く息を飲んだ俺に、星乃が鞄から何か取り出して渡してきた。


 おしゃれな万年筆と――一冊のノートだ。



「センパイの百合絵描いてください」

「はぁ!?」

「今すぐにお願いします」

「何言ってんだ!?」

「毎日描いてたんですよね? 今だけ描けないなんて言わせませんよ」

「いやいやいやいや! 絵描いてる場合じゃねぇだろ! 逃げねーと!」


 こんな時に何言ってんだ!? と信じられない気持ちで星乃を見つめ返せば、星乃はぷうっと拗ねるように頬を膨らませた。



「別にわたし、冗談で言ってるわけじゃないんですよぉ? これはただのノートじゃありません。召喚術のための魔紙で構成されたノートです。そこに描いたものは筆霊ひつれいと呼ばれる精霊となってこの場に具現化します」



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【短編】画力だけが取り柄の俺が、紙とペンだけで異形と戦わなければならないらしい 淡雪みさ @awaawaawayuki

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