【短編】画力だけが取り柄の俺が、紙とペンだけで異形と戦わなければならないらしい

淡雪みさ

風で飛ばされたルーズリーフと、煽り系小悪魔後輩




 ――終わった、と思った時にはもう遅く、俺が落書きをしていたルーズリーフはとある女子生徒の顔面に貼り付いていた。



 言い訳をさせてもらおう。

 今日は風が強かったのだ。

 放課後まで残ってクラスメイトとお喋りしてる陽キャたちが換気だ何だと窓を開けてしまったのが運の尽き。



 窓の隙間から入り込んできた風は、一人で絵を描いていた俺の机の上のルーズリーフを飛ばし、ちょうど教室の中へ入ってこようとしていた女子生徒の顔面に貼り付いた。


「…………」

「…………」


 廊下側の最後列の席にいる俺と、後ろのドアを開けたばかりの女子生徒の間にやや長めの沈黙が走る。

 どうにかしてルーズリーフを回収しなければと思考する俺だが、思考するあまりに焦って体が動かない。


 彼女は鬱陶しそうに自分の顔に貼り付く紙の端っこを指で摘み、顔面から引き剥がした。


 そこから出てきたのは――びっくりするくらいの美少女だった。


 ふわふわセミロングの亜麻色の髪。大きな瞳は深みのある琥珀色。長くてくるんとカールした睫毛。

 肌は柔らかそうで陶器のように白く、透明感がある。唇はほんのり赤みのある薄いピンクで、制服のスカートは少し短めで、手首にはシンプルなブレスレットをしている。指先には校則にギリギリ引っかからないくらいの控えめなネイルアートが施されていて、今どきの女の子って感じだ。


(こいつ……星乃ほしの 瑠璃るりじゃねーか……)


 ぼっちの俺でも知っている。俺はぼっちながらクラスメイトの話盗み聞き検定一級なのだ。


 今ドアのところに立っている女は、陽キャたちが入学当時から可愛い可愛いと騒いでいた学年一の美少女である。

 学年は一個下で、高校一年生。


 そんな彼女がなぜ高校二年生の俺らのクラスにやってきたのか。

 もしやもう二年生の彼氏でもいるのか。

 彼女いない歴イコール年齢のこの俺を差し置いて……。


「センパイ名前なんていうんですか?」


 理不尽な恨みを抱いていると、突然星乃瑠璃が俺に目をやって聞いてきた。

 その指先はまだ、俺のルーズリーフを摘んでいる。


 まずい。もう見ただろうか。

 〝それ〟は意地でも見られるわけにはいかない。特に後輩の女子なんかには。


「山田太郎だ」


 俺は堂々と偽名を使った。


「え~本名ですかそれ? 学生証見せてもらっていいですぅ? 嘘だったら承知しませんけど」

「……画堂がどう 伊月いつき……」


 しかし咄嗟に名乗った偽名はすぐに見破られた。

 ドアを閉めて教室の中に入ってきた星乃は、本名を白状した俺に、満足げに自己紹介してきた。


「わたしは星乃 瑠璃です」


 知ってるよ。つーかこの学校にお前を知らない奴いねーよ。


 星乃は俺の前方の空いている席に座り、ひらりとルーズリーフを俺の前に差し出してくる。


「これってセンパイが創作したんですかぁ? 片方の子おっぱいおっき~」

「……っ!!」


 俺はそのルーズリーフを勢いよく星乃から奪い返した。


 やっぱり既に見られていた。

 俺の――濃厚百合絵が!


「センパイって、いつも学校で女の子同士がいちゃついてるイラスト描いてるんですかぁ?」


 星乃のからかうような声に、絶望の底に落とされる。

 相手は素人だ。運が良ければ百合モノ創作であることに気付かない、もしくはそもそも百合というものを知らないのではないかと期待したが、完全にバレている。


 いつもは授業中にノートの隅っこにラフを描くくらいだった。

 それが今日に限って帰りのバスの運行時間が変更になって放課後暇だったから描いてしまった。よりによってそんな日に風が吹き、こいつの顔にぶつかるなんて。


 この星乃という後輩は顔が広いし友達が多い。ぼっちの俺とは別世界を生きる女だ。

 この女が一度でも口を滑らせ俺のことを百合を描く変態だと言えば噂は学校中に広まり俺の尊厳は踏み躙られる。

 女子たちの俺を見る目が無関心から嫌いに変わってもおかしくはない。


「センパイ女の子のおっぱい見たことないでしょ」


 俺のテーブルに頬杖をつき、見透かすような目をする星乃はどこか愉しげだ。


「あんな垂れ方しないですよぉ。ママさんのおっぱいしか見たことないんですかぁ? あ、でももう一人の子はバストサイズ控えめでしたねぇ。ひょっとして巨乳×貧乳の組み合わせが好きなんですか?」

「う、うるせぇな。人の趣味に口出すな。今見たことは忘れろ。くれぐれも変な噂流すなよ」


 内心どちゃくそに焦りながらも表面上平静を装い、星乃に釘を差しまくる。


「もっとリアリティ出すために、わたしのおっぱい見ます?」


 制服シャツの胸元に指をかけ、冗談っぽくクスクスと笑う星乃。

 その膨らみに一瞬視線を落としてしまった俺は、すぐに顔を上げて天井を仰いだ。


 すると、星乃はぷっと噴き出し、あはははははっと手を叩いて高らかに笑う。


「め~っちゃ焦ってるじゃないですかぁ! センパイかわい~」


 こいつ、俺で遊んでる。仮にも一個年上の先輩である俺で。


 耳まで熱くなり全く平静を装えなくなった俺の前で星乃はごそごそとスカートのポケットをまさぐり、自身のスマホを取り出した。

 やや長めのネイルの指で器用にスマホを操作した彼女は、「もっと焦らせてあげますねっ」と何やら嬉しそうに不穏な言葉を口にした。


 一体何をする気だ、写真撮る気じゃないだろうな、と手元のルーズリーフを固く握ったその時、顔の前にスマホの画面が近付いてくる。


 そこに映っていたのは――家族も知らない俺の極秘アカウント、〝百合将軍〟だった。


「これってセンパイですよね? 絵柄全く同じだし。水を司る精霊と雷を司る精霊カップルの一次創作、三年前から毎日投稿してるんですね?」


 どうしてバレた、と顔が強張る。


 三年前に始めた百合一次創作アカウント。今ではその界隈では人気を博し、支援サイトでもそれなりのお金を稼げるようになってきている。

 順調に人気百合絵師になった俺は、これからも様々な萌えシチュエーションを極めていこうと思っていたのに――知り合い、それも同じ学校の後輩の女子なんかにバレたら、アカウントごと消すことも視野に入れなければならない。


「センパイ」


 これまで積み重ねてきたものが崩れ去っていく予感に放心していた俺に、星乃が優しい声で呼びかけてくる。


「わたし、なにもセンパイのこと脅したいわけじゃないんです。手伝ってほしいことがあるだけなんです」


 そう微笑んだ星乃は、やはり何か企むように口元に弧を描いていた。




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