第8話 追いバッドタイム4

 人は、訳がわからないと怖いものや恐ろしいと言った感覚が麻痺することがある。


 今私が体験しているのがその状況だと思う。


 よろり、とよろめきながら入ってきた男性は、ひどい息切れと、滴るほどの汗をかいていた。

 外はいい天気とはいえ、まだまだ大汗をかくほどに暑いわけでもない。


「あの、大丈夫ですか……? 汗が」

「ああ、気にしないで……」


 気にしないでと言われましても。

 壁にもたれる様にして店内に入ってきた男は、ゆっくりと店の扉を閉めた。

 

「ああ、今は誰も他のお客さんはいないのでゆっくり見ていってくださいね。良ければそこ、椅子があるので座ってください」

「すまない。では少し」


 店の隅に置いてある小さな1人掛けの椅子を指差せば、男は遠慮がちに、しかし疲れていたのか、ずるずるとそこに座った。


 よく見れば、随分と顔は浅黒く、というか刺青なのか地肌かはわからないが顔の半分以上が黒く、法外なお金を積めば治療をしてくれる闇医者のようになっている。


 まるでマスクをしている様な風貌である。

 しかし前世でも肌の色が違ったりすることは普通にあったので驚くようなことではない。

 この世界ではあまり遠くに行くことはないので、どんな種族がどれほどいるのか全ては知らないが、浅黒い肌の観光客も時たま見かけるので、そう珍しいことでもないのだろうと思う。


「君は……僕が怖くないのか?」

「え? 特には……。あ、なんで汗だくなのかなーとは思いますけど」

「そうか……僕を知らないのか? それとも……」

「え? 何か言いましたか?」

「いや……、僕は普通あまり歓迎されないからな。それにしても、ここは良い空気で溢れているな。すごく珍しい。


「? そうですか? 友人には埃臭い、土臭い、薬品臭いって言われるんですけどね。ふふ、そう言ってもらえると結構嬉しいです」



 男は不思議そうにぐるりと店内を見渡した。

 ゆっくりと天井を見上げると、心地よさげに深呼吸をして、またゆっくりと息を吐き出した。

 もう汗は随分とひいた様だ。


 薄暗い店内は、外から入ってくる光を浴びて、浮遊する埃を映し出している。

 衣類や道具を売る店としては良くある光景ではあるものの、まじまじと店内を見られていると思うと少し恥ずかしい思いがした。


 魔具屋としては及第点。

 もしお土産屋さんや飲食店なら即閉店だ。埃が舞う場所で食事は遠慮願いたい。

まったく気にしないタイプの私でもそう思う。

 

 そんな店内の隅に座る男はまた静かにしかし大きく息を吸い込んでいる。

 よく見れば、随分と綺麗な顔をしている様な気がする。

 半分以上が真っ黒で変わった模様の肌をしているし、腕にも刺青だろうか、模様が入っているので厳つい感じがしていたが、伏せられた瞼についているまつ毛は白く長い。

 高い鼻に、口周りは私と変わらない肌の色をしている。

 その整った顔立ちに、ふとジャスティンを思い出した。彼も随分と様子は変であったが整った顔をしていたものだ。


「あ、もしかしてジャスティンが言ってた『ディオ』さんですか?」


「ん? ああ。そうだ。そうか、名乗らずに悪かった。僕はディオという。まぁ覚えなくても結構。すぐ行く」


 ん?



 息切れや汗は引いて来た様だが、やはり表情は晴れない様なので、父と母が作り置きしている私調べではあるが、すごくよく効く回復薬を差し出そうとした手が止まる。

 

「ここに探している道具があるかもしれないと聞いたから来た。それだけだ。そもそも女と話すのは好きではない。聞こえたか? 女は好きじゃないんだ。何かあったら出してくれ買って行こう」


 は、と吐き出された台詞に回復薬を持つ手が震えた。栓を抜いた瓶から、回復薬がポタポタ溢れている。


 にこりと作った笑みが、口の端がひくつくのがわかった。


「ジャスからすごい道具があるらしいと聞いた。それと、毒を使った道具と薬を持って来てくれ。全部買おう」


 なんだこいつ


「なんだ? 金はある。準備してくれ。それともなんだ? お前、俺を知っていたか?知っていて近づこうとしてた口か? ああ、その雑誌」


 ゆっくりと立ち上がった男、ディオはゆっくりと私に近づいてくる。

 妙に迫力のある笑みを浮かべているが、その笑顔は随分と蔑むような視線が含まれている。


 ついにすぐ近く、もう男にぶつかりそうなほど近くまで来た時、自分のお尻が雑誌を開けていた、帳簿台にぶつかった。


 ドン、と大きな音がしたかと思うと私のすぐ目の前に男の美しい顔が、髪がサラリと私の頬に溢れかかった。男の視線を辿ると、帳簿台の上の雑誌に。


 雑誌には聖女様がニコニコと笑みを浮かべている。


「そうかお前も、

 

 耳元で低い声が響く。

 その決めつけた様なセリフに、意味が分からず怒りが湧き起こる。


 ぎろりと、雑誌に視線を奪われている男を睨む。握った瓶から、ぎりりと軋んだ音が鳴る。


「は、……なに、言ってんの、よ!」


 男が振り向く前に、思い切り瓶を振り上げると、ビュンと瓶が風を切る音が鳴った。そして。


「え? ぶふっ」



 中身の回復薬を頭の上から勢い良く振り掛けた。


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