第百六十五話 初めての物事に挑むことである

 WTDT、ワールド・ザ・ドリーム・タッグ杯の開催日当日。


 会場の関係者しか入れない準備室にて、今大会の運営を務める大鳥おおとりは両手をすり合わせながらぎこちない笑みを浮かべていた。


「いやぁ、まさか三岳みたけ先生にお越しいただけるとは……」


 大鳥がそう告げる相手は、現役のプロ棋士──三岳六段である。


 三岳は今回行われるWTDT杯の大盤おおばん解説役として来ており、またWTDT杯を通じて現在の日本と海外のアマチュアのレベル差がどのくらいなのかを調査する目的もあった。


 ネクタイを整えながら準備室に入ってきた三岳は、大鳥の言葉に微笑みながら聞き返す。


「今期のWTDT杯。例年と比べて海外支部は強い選手が多いらしいな」

「え、ええ。それはもちろん。銀譱委員会の画期的な支援もあって近年は海外でも優秀な人材が増えつつありますから」


 それは期待できる、と三岳は窓から対局場を凝視する。


「──瑞樹みずきも誘えばよかったか」


 例年レベルが上がりつつある海外の選手に比べ、日本のアマチュアのレベルが上がることはない。


 何故なら、アマチュアの実力を越えた者は自然とプロになってしまうから。


 毎年のように凱旋道場が主戦場を務めるWTDT杯。かつては神への登竜門とさえ謳われたアマチュア史上最強の道場は、今や見る影もない。


 伝説的な名誉を刻んだ者達の一人である瑞樹女流は、かつては凱旋道場の下から数えた方が早いほど弱い生徒だった。


 それが今や女流棋士の中で大活躍を遂げている。


 三岳の心の中にあるのは、そんな瑞樹が今の凱旋道場にどういう想いを抱いているのか、そして今もなお過去の栄誉を取り戻すだけの兆しが芽生えているのかどうか。


「青薔薇赤利に天竜一輝……どちらも名前だけは聞いたことがあるが、奨励会に在籍した経験は無しか」


 出場メンバーが載った紙を見てそう呟く三岳。


 決して低く見ているというわけではない。青薔薇赤利と天竜一輝がアマチュア界で高く評価されているという事実は知っている。


 しかし、あくまでも"アマチュア界"。プロの世界で戦い続けている三岳にとって、評価の土台に乗るのは最低でも"奨励会しょうれいかい"からである。


 相手は今まさに海外の将棋界で活躍しているトップクラスの面々。対する日本はアマチュア界でこそ名を馳せているものの、プロには遠く及ばない面々。


 少なくとも、三岳にとってこの大会の勝敗は容易に察してしまうものだった。


「──ところで、ここに書かれてる渡辺真才というのは強いのか?」

「はぁ、私も詳しくは……ただ、一応先日に行われた黄龍戦の県大会で優勝していますので、それなりに強いんじゃないでしょうかね?」

「そうか……」


 思ったよりも小さい戦績に三岳は軽く動揺する。


 全国大会で圧倒的な無双を繰り広げた青薔薇赤利と、一閃の如き指し回しでアマチュア界にその名を刻みつけた天竜一輝。二人と比較するとイマイチパッとしない。


(そういえば、立花が何か言っていたっけ……)


 大鳥は先日、WTDT杯の新しいメンバーを選出する際に、沢谷由香里から渡辺真才という選手の追加を申告された。


 その時同席していた立花がなにやら不安そうな、怯えたような表情でその選手、渡辺真才に関して何かを言っていたような気がするが、事務仕事で忙しかった大鳥はその時の言葉を聞き逃していた。


(まぁ、いいか)


 ※


 WTDT杯当日、沢谷師範の送迎で大会の会場に着いた俺達は、本番が始まるまで控室で待つことになった。


「……妙に緊張する」

「対局が始まれば緊張も吹っ飛ぶよ」


 突然普通の口調で話す赤利に、俺は思わず驚く。


「……何?」

「いや、そういう話し方もできるんだなって」

「……そうだね」


 何を思ったのか、暗い表情で俯く赤利。そして、再び顔を上げると俺の方を見ていつもの赤利に戻った。


「真才、オマエはどうやってその棋力を得た?」

「……」


 その質問に、俺はすぐには答えなかった。


「……沈黙か、そうだろうな。オマエにその問いを投げかける者は皆凡人だ。言葉で説明できるほど単純な真実が答えなら、オマエの成長はそこで止まっている」


 言い得て妙。いや、的確な回答だった。


 俺は自分がその問いに返せるだけの棋力を持っていると思っていない。もしかしたら、強さの定義が違うということなのかもしれないが、厳密にはそうじゃないだろう。


 しかし、その考えは意味を為さない。


 どうやって今の棋力を得た、か。その問いに対する答えは決まっている。


「俺の答えを参考にするのが見えているから、答えないだけだよ」

「……」


 俺はきっぱりとそう告げる。


 別に赤利の心が読めるわけじゃない。だが、今の赤利は過去の自分との決別を望んでいる。自分の状態を変えようと必死に足掻いているのが分かる。


 俺との一戦で何かが変わったのだろう。いや、俺が変えた。あまりにも辛そうな将棋を指すものだから、本気でぶつかる楽しさを伝えた。


 将棋を指せば、その者の考えていることが大雑把に理解できる。指し手は千差万別だからこそ、指し手に感情が乗る。


 青薔薇赤利の戦い方は孤高と孤独の両立したものだった。


 きっと、将棋への向き合い方が分かっていないのだろう。


 赤利は天竜の方に視線を向けると、俺達に背を向けてスマホをいじっている天竜に声をかけた。


「……天竜」

「断る」

「えー……」


 無常にも断られる赤利。まぁ、自分で考えろということなのだろう。


 やがて数分あまりの沈黙が続くと、赤利は不安そうな顔でその言葉を呟いた。


「赤利は……成長できるのかな」

「……」

「……」


 バカな問いだ。


 だってそうだろう?


 俺達は、ここにいる3人は、全員その『課題』に悩んでいるからこそこの場に集っている。


 成長に必要なことは全てやっている。やってきたつもりだ。


 しかし、頂点もくひょうには届いていない。


 何かが足りないのだろう。何かが原因となって立ちふさがっているのだろう。


 各々にその課題は存在する。そして、その課題をクリアするため、解決するためにこの場に集った。


 あぁ、そうさ。俺達は決して仲間チームなんかじゃない。お互いを利用して自分の目的を達成しようとする好敵手ライバルだ。


 凱旋道場からの勝利ノルマが免除された青薔薇赤利。俺に手の内を見せたくない天竜一輝。そして、黄龍戦の全国大会が控えている俺。


 全員、この大会に出場する義務はない。なのに参加を表明した。


 それは、成長するためだ。


 では、成長とは何か? 強くなることか? 相手に勝つことか?


 それは成長した"結果"に過ぎない。

 

 本当の成長とは──。


「チーム『無敗』のみなさん、時間です」


 いよいよ大会が始まるのか、スタッフが扉をノックして控室に入ってきた。


「……はぁ」

「……ひでぇネーミング」

「皮肉全開だな、沢谷師範の考えそうなことだ」


 今日初めて聞かされるチーム名に、俺達は頭を抱えて立ち上がる。


 天竜は地区大会で俺に負け、赤利は県大会で俺に、そしてWTDT杯の練習試合でアリスターに負け、俺は来崎に負けた。


 全員、最終試合が敗北で終わっているチームだ。それをチーム『無敗』か。皮肉もいいところだ。


「まぁ、いいだろう。どうせ勝つんだから」

「沢谷は後でお仕置きしてやるのだ」

「血の気が多い連中……」


 俺達は大会のスタッフに連れられて対局会場まで案内される。


 すると、会場入りする直前のところで先に待っている海外陣営の選手達と鉢合わせた。


「アリスター……!」

「懲りねぇな青薔薇赤利。それとそっちのは確か……天竜、とか言ったか?」

「……へぇ、俺のこと知ってるのか」


 アリスターと天竜は視線を合わせると、二人は強者特有の笑みを浮かべてバチバチに火花を散らす。


「いくら日本の雑魚でも名前くらいは知ってるさ」

「あぁ、神から見たら雑魚かもしれねぇが、お前アリから見たら恐竜だぞ?」

「デカいだけが取り柄だから生存競争に負けたんだろ? 随分偉そうだな?」

「小さすぎて死んでも区別つかない奴がする態度よりはマシさ」


 いやお前ら何で張り合ってんだよ、そして取り合えずアリと恐竜に謝れ。


「まぁいい。お前達二人の実力は棋譜を見て知っている。それで……誰だお前?」


 そう言ってアリスターは初めて俺に視線を向けた。


「あー、初めまして……」

「あ?」


 うわ、挨拶しただけでガン飛ばされた。海外の選手こっわ。


「……単なる数合わせか。日本のアマチュアもいよいよ人材不足だな。 ──おい、青薔薇、天竜、死ぬ気でかかって来い。じゃねェと足元にも及ばねぇぞ?」


 そう言ってアリスターは先に会場へと足を踏み入れていった。


「アリスターの奴……言いたい放題言いやがって……」

「まぁ落ち着けよ青薔薇、こういう時は冷静になるのが大事だ。な、真才? ……真才?」


 二人が顔を覗き込んでくる。


 対する俺は体を震わせて、初めて対峙する威圧的な海外の選手に慄いていた。


「……怖かった」


 日本人とはまたベクトルの違う高圧的な態度、陰キャにはきついです。







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