第百六十三話 ミリオス
「……テメェ、ふざけてんのか?」
東地区・非公式戦『
衝撃のあった黄龍戦の県大会が終わったのも束の間、差し迫る大会に待ったは無く、日を追うごとに次々と押し寄せてくる。
宗像との一件以来、水面下で真才の側に付くこととなった環多流だったが、そんな彼の立場を真に知る者は真才を除いて誰もいない。
所詮は銀譱委員会の飼い犬。他所からはそう見えている。
そして、そのことを自覚している環多流は今日も銀譱委員会に貢献すべく、非公式の大会に顔を出していた。
「ふざける? オレは至極真っ当だが?」
「あぁ……!?」
そんな環多流の前に座っていたのは、海外からの刺客──アリスターだった。
舞台は既に決勝。ここまで順調に勝ち進んでいた環多流は、自分が優勝するのを確信している面もあってか、アリスターの存在を今の今まで認知していなかった。
いつもの顔ぶれ、そう思って決勝の席に座ってみれば、見たこともない顔が対戦相手として待っている。
いや、見たことはある。知っている。
──先日行われたWTDT杯の練習試合で凱旋道場を完膚なきまでに叩き潰した海外陣営『ミリオス』のリーダーだと。
「ここは東地区の地区大会だぞ……!」
「地区? 知らないな。オレは参加できる
「……この大会で優勝した選手は2週間後の県大会に代表として参加するんだ。分かってるのか?」
「さぁな」
まるで興味無さそうに告げるアリスター。
彼にとってはこんな大会に出ることなど暇つぶしの一種でしかなく、自分が優勝した時のことなど微塵も考えてはいない。
先日の奨励会員を倒した際もその勝利に酔うことはなく、ただ自分の技量を研ぐための砥石程度にしか思っていなかった。
完全に舐めている。そんな雰囲気を感じ取った環多流は、青筋を立てながら駒を並べ終える。
「……ここは個人戦だ、仲間がいないからって文句言うなよ?」
「言わねぇよ、どうせ勝つからな」
そう言って余裕の笑みを浮かべたアリスターは、力強く対局時計のボタンを叩いた。
※
「……それで、青薔薇。その『ミリオス』ってのはどんな相手なんだ?」
中央地区の凱旋道場にて、俺と天竜、そして赤利を含めた3人はWTDT杯に向けて作戦会議を開いていた。
「どんなって言ってもな、手も足も出なくて戦況分析どころではなかったのだ」
「……珍しいな。お前にしては弱気すぎる発言だ」
赤利のことをよく知っている天竜は驚いた顔で反応した。
「んー? 別に腰が引けているわけじゃないぞ? ミリオスの連中より赤利の方が断然強い。それは事実なのだ」
「だが、チーム戦となると話は別と」
赤利はコクリと頷く。
「赤利は相手の手を考えることはあっても、自分の手を考えたことはないのだ。将棋の本質は自身の勝利ではなく相手の敗北によって決まる。赤利はただ相手の手を読み切り、その手を打ち破るための手を指すだけなのだ」
それはまさしく天賦の才。天才だけに許された指し方だ。
いうなれば、メアリーは自分の手の中から最も最善である手を選ぶのに対し、赤利は相手の手を咎めるための最も痛恨となる手を選んでいる。
メアリーは自分に対する最善を、赤利は相手に対する最善を取っているわけだ。それは同じように見えて全く異なる性質だろう。
「だが、チーム戦となるとそうはいかないのだ。赤利が必死に考えて指した手も、後続の人間がそれを理解していなければ戦術として成り立たない。赤利だけが知っていても、他が知らなければ平凡な手に落ちるのだ」
その通り。赤利は自分の弱点を理解している。
そして、これは赤利だけに言えることではない。俺も同様だ。
作戦会議をする前に、赤利からWTDT杯に関してのルールを知らされた。
WTDT杯は通常の将棋とは違って仲間がいるチーム戦となる。これは俺達が戦ってきた団体戦とは少し違う、本当の意味で協力して戦う対局だ。
ルールは簡単。
一つ目、この大会は3対3のチーム戦であること。
二つ目、一人5手~15手までしか指せず、15手目を指した時点で強制的に次の人と交代となる。
これだけだ。他は全て普通の将棋と同じらしい。
「オマエたちも知っての通り、今回の大会のルールは1人5手から15手まで指すことができる。そこで聞きたい、オマエたちが赤利と同じ立場だったらどの程度指すのが理想だと思う?」
赤利の問いかけに俺は沈黙し、隣にいた天竜が即座に答えを導き出す。
「──限界、15手まで指してから交代する」
「その通りなのだ」
赤利は首肯して天竜の言葉に同意した。
「手番を味方に渡して交代するという行為は、自分がそれまで築いてきた読みを壊す行為に等しい。だから理想は限界ギリギリまで自分の手を指し、なるべく自分の描く読み手が崩れないように局面を運んでいく。そうすることでバトンを渡した時のデメリットを削る戦い方をしたのだ」
合理的だ。将棋は常に個人戦、自分との戦いの果てに相手との読み合いが発生する。
しかし、今回の戦いはまごうことなきチーム戦、協力戦だ。味方の手も理解しなければ手を指し継ぐこともできない。
いや、理解するところまでは赤利も簡単にできるだろう。だがその手を有効に派生させることは難儀だ。
将棋は1手目からずっと自分の中で流れを作って、積み上げて、戦術を築いて、それで自分の中で納得のいくタイミングで攻めに出る。
しかし、今回の対局ではそれができない。最大でも15手を指してしまえば交代になるからだ。
そして、交代して次に自分の手番が回ってくるのは最短でも10手後、遅ければ30手後だ。そんな状態で果たして自分の読みを正確に繋げられるのか?
一見簡単そうに見えるが、やっていることは神業へと挑むことに等しい。棋力が高ければ高いほど自分の力を発揮できなくなるのは容易に想像できる。
そうして赤利を含む凱旋道場はWTDT杯の練習試合で敗北を喫する結果となったわけだ。
……ということは、別に赤利たち凱旋道場チームが大きなミスを犯したわけではない。理にかなった戦い方は行っていた、その上で負けたんだ。
つまり──。
「……対する『ミリオス』はチームワークが完璧すぎる。赤利はその攻防に手をつけられなかった」
影を落として静かにそう呟く赤利。その手は拳として強く握られていた。
「ミリオスは赤利達とは真逆、5手で交代を宣言するのだ」
「5手? 最短手数でか?」
「ああ、5手で交代を宣言し、アリスターだけが最大数の15手を使って手を指す。そしてその後の二人は5手で交代を済まし、またアリスターだけが15手指すのだ」
一人に一極集中させた戦い方。傲慢で脳筋、それでいて王者のような戦い方だ。
俺はその話を聞いて疑問を呈す。
「そんな戦い方をしたら、5手しか指せない残りの二人は物凄い負担を強いられることになるわけだけど……可能なのか?」
「真才は知らないから勘違いしているかもしれないが、アリスターの横に引っ付いてる二人は全然弱くない。むしろ棋力だけならその二人の方が高いのだ」
それまで緩い表情で話しを聞いていた俺と天竜の表情が引き締まる。
「……棋力は?」
「カインもジャックも大体同じくらいの棋力だが、そうだな……先日オマエに勝った女がいただろう?」
来崎のことか。
「アレより一回りは強いな」
「……」
それが嘘でも誇張でもないことは、赤利が物事を自慢するタイプではないことから容易に推察できる。
信じたくはないが、実際に体験した存在がそれを口にしている。これ以上の信憑性はないだろう。
「あぁ、言いたいことは分かるぞ? オマエは赤利に実力で勝っている。そんなオマエを真正面から下した女より『ミリオス』の連中の方が強いと言っておきながら、赤利自身の実力は『ミリオス』に劣っていないと考えている。大言壮語と捉えるのも無理ないのだ」
いや、赤利の言っていることは矛盾しない。
将棋はある一定の棋力まで到達してしまうと、明確なパワーバランスが制定されるようにできている。それは人間である以上越えられない思考力というものが現実としてあるからだ。
大将として黄龍戦の大会で全勝を遂げた俺に、来崎は勝利した。だから現状の面々を実力順に並べるのであれば来崎が一番上に来るはずだろう。
だが、俺の中で最も強いと感じた相手は来崎ではない、天竜一輝だ。それは勝敗を無視してでも一番上に置くほどに俺は評価している。
そして、そんな天竜一輝と肩を並べていた青薔薇赤利もまた、俺にとってはトップレベルに強いと信頼を置いている人物でもある。
これは"相性"などという言葉で片付けられるほど簡単な話ではなく、実力を測るための立ち位置がそれぞれ違うという意味で差がついている。
だから俺は天竜を誘い、天竜は俺の参戦が無ければ参加しないと言い、赤利はメアリーを切った。
誰しも、それぞれが描く『最強』がある。ただこの一瞬に限ってはその想いが俺達の中で合致した。
「赤利はオマエたちの実力を信用していないわけじゃない。でも、赤利たちは即席のチームだ。誘っておいてなんだが、互いに上手く連携が取れるとは到底思えない」
これからの課題。いや、もう時間がないのだから課題というより解決すべき問題か。
赤利の言うように、俺達は即席のチーム。実力があってもこうして協力し合うのは初めてだ。
もしこのまま本番に向かおうものなら、それこそ先日の凱旋道場のようにバラバラな指し回しになって負けるのがオチ。そう思っているのだろう。
天竜も同意するように考え込む姿勢に入っている。
「……俺はそう思わないけど」
二人の視線がこちらに向く中、俺は静かにそう告げた。
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