第四十八話 相手が動くより先に
「葵~? アンタはアタシに借りがあるはずよねぇ……? それなのにどうして真才くんとそんな仲良くしてるのかなぁ~……?」
「ひぃっ……ご、ごめんなさいっすー!!」
笑顔を向けながら近づいてくる東城に、葵は謝りながら俺の傍を脱兎する。
元々敵対していたとはいえ、東城に借りを作ってしまったのは大きい。これから事あるごとにこのカードを切られてしまうことを考えれば、葵は悪手を指してしまったな。
「東城先輩は相変わらず怖いですね」
「そうか?」
普段周囲から冷めた目で見られることに慣れてしまっているせいか、俺には二人がじゃれあっているようにしか見えない。
それに、毒気も抜かれてる。
俺はまだこの部に入って日が浅いが、今まで部室内に漂っていたピリついた空気感というのが和らいだ気がする。
「そういえば昨日聞き忘れたんだけど。東城さん、黄龍戦の方はどうだったの?」
「ん? あー、優勝したわよ?」
「……マジか」
まるで当然とばかりにサラっと言うな……。
「……東城先輩ってやっぱり強いんすね……」
「そうよ? そしてそんなアタシを倒そうとしてた人もいたっぽいけど?」
「う、うぅ……」
東城に目を向けられると葵は縮こまってしまい、バツが悪そうな顔を浮かべる。
もう
なぜなら、俺も東城にはそんなに強く出れないから!
「???」
そんな俺達の様子を見て、来崎だけは何も分かっていなかった。
「あ、そうだ」
東城は自分の席にカバンをおくと、俺の方に近寄ってきて耳打ちをする。
「真才くん、琉帝道場のエースの子覚えてる?」
琉帝道場のエース……? あー、明日香か。
「覚えてるよ」
「あの子、昨日追い出されたらしいわよ」
「えっ、追い出されたって……道場を?」
「うん。真才くんと戦った時にいくつか問題行動があったのと、単純に勝負に負けたことが起因したみたい。銀譱委員会はその辺りに厳しいことで有名だから、大会翌日に脱退させられたって噂になってたわよ」
マジか、あの明日香が道場を追い出されるなんて予想していなかった。
いやまぁ、当然と言えば当然なのかもしれないが、アイツは狡賢いところだけは秀でている生き物だ。その辺上手く立ち回れると思っていたんだが、俺が勝手に過剰評価していただけなのかもしれないな。
……それに、今の俺にはどうでもいい話だ。
「そっか、まぁ俺には関係のない話だよ」
「本当にそう思う? ……いや、本当にそう思ってる?」
東城は人を見透かすような眼をしながら俺に問いかけてくる。
ただの駄弁として事を済ませるには無用な話題だ。だが、東城の中でも確かなロジックがあって俺にそう伝えたのだろう。
俺は面倒そうな顔を浮かべた。
「……東城さんって、俺の心読めたりする?」
「アタシ、こう見えても学年一の天才だから」
「存じ上げてます」
まぁ、本当に俺は明日香のことなんてどうでもいい。そもそも掘り返さないでほしいくらいの存在だ。
……ただ、降りかかる火の粉は払わないといけない。放っておけば燃え移ってしまうから。
本当に面倒くさい役回りだな、俺はただの陰キャなのに。
※
「ふざっけんなッ!!」
明日香は激昂しながら近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばす。
琉帝道場の玄関口前。周りに人影はなく、静まり返っていたその場所にゴミ箱は転がる。中に入っていた紙くずが辺りに散乱し、近くにあった小物とぶつかってけたたましい音を周囲に響かせながら数メートル転がっていく。
明日香はその様を見届けることなく、再び足を踏み鳴らしながら琉帝道場を去っていった。
(クビってなによクビって……! なんでこのあたしが道場を追い出されなくちゃならないのよ……ッ!!)
それでも明日香の怒りは収まらない。
(あたしがいないとロクに成長もできない凡才の集まりのくせに! 誰のおかげでここまで成長できたと思ってんの!? 全部あたしがいたから、あたしが先頭を引っ張ってやったからここまで来れたんじゃない……! それなのに、アイツらこのあたしの恩を仇で返しやがって……!!)
明日香は、なぜ自分が道場を追い出されたのか理解できない怒りに支配されていた。
(ムカつくムカつくムカつく……ッ!!)
爪を噛みながら自分の感情をぶつける対象を探す明日香。しかし、殺風景な外へと出てしまった今では当たる相手も見つからない。
だから、矛先を向けるべき相手は自然と定まってしまう。
明日香の頭の中には一人の男の顔が過った。
(……アイツさえいなければ、あたしはこんな目に遭わずにすんだのよ……!!)
それは黄龍戦で自分を負かした元凶。かつては自分より劣っていて、無能だと切り捨てた男──渡辺真才の顔である。
(アイツは一体なんなの……!? 臆病だったくせに、弱かったくせに、あんなあっさり全勝で優勝するなんてありえない……! 絶対にありえないわ!)
思い出すたびに脳裏を過ぎるあの瞳、あの表情──どれも知らないものだった。付き合っていた頃はもっと臆病で、自信が無さそうで、何より弱かった。
そんな男が覇気のようなオーラを出して次々と強豪を倒していく様は、明日香にとって違和感しかなかった。
(……不正、そう不正よ。あたしは不正されたから負けたのよ。絶対実力じゃない、実力なわけがない。アイツはあたしより弱いんだから、勝てるはずない。あたしに勝てるはずがないのよ……!)
人は見たいように見て、聞きたいように聞き、信じたいように信じる。
明日香の思考は自分本意な考えに支配されていた。
(アイツを……! あたしから全てを奪ったアイツを……今度はあたしが奪ってやる……!!)
見るものを狂気の色に染め上げるほどの憎しみを込めて、明日香は復讐を胸に誓う。
それが正しくないと知りながら、明日香の中で渦巻く憎しみはその男へと向けられた。
(待ってなさい、渡辺真才……。アンタの化けの皮を剝いでやるわ……!)
迫る黄龍戦の県大会を前にして、新たな波乱が起きようとしていた。
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