第四十二話 自滅帝、正体バレる2

 稀代の英雄、玖水棋士くなぎし竜人たつとはこう言った。


 ──将棋は対話だと。


 軍師同士が戦争で相手の意図や心情を理解するように、将棋も指すことで相手の意図や心情を理解することができる。


 見極めなければならない。見つけなければならない。


 他人を救うと口にした男が、ただ相手を潰して終わりなど三流もいいところだ。


 緩やかに動く盤上の駒達。未だまとまらない両者の戦型。


 互いの思惑が交差する中、先に動いたのは葵からだった。


「いつまで不気味に駒組しているつもり? そっちが動かないなら私から攻めるよ!」

「やってみろ」


 葵の攻めを警戒して未だに戦型を決めていない。そんな俺のゆったりとした将棋に嫌気がさしたのか、葵は突然猛攻を仕掛け始めた。


 中央からの殺到。──とみせかけて、こちらの大駒を詰ましにくる。


 俺はなんとか10秒で読み切りを図り、葵から追いかけられる大駒を広い場所へと逃がそうとするが、その動きを見た葵が今度は反対方向にある俺の王様を攻め始める。


 ──トリックスター。その名に恥じない指し回しだ。


「ほらほら、受けばかりに回っていると一瞬で負けるよ!」


 葵はここぞとばかりに時間攻めを繰り返し、俺の思考時間をずっと10秒に固定させる。


 無論、それをするには葵もノータイムで指さなければいけないが、持ち時間が無限に時間のある葵は、こうなるところまで全て読み切ってから攻めに入ったのだろう。


 俺はなんとか王様だけは取られないように守りを固めるが、その一手一手が過剰防衛に終わってしまう。


 頭を守れば足を斬られ、足を守れば腕を斬られる。


 的確な弱点だけを狙い続けるその指し回しは、人を翻弄するために生まれ出た定跡外の指し方だ。


「この指し回しは、まさか……」

「やっと気づいた? 私の師範は天王寺玄水。──そう、私も先輩と同じ天王寺道場の出身なんだよ!」

「……!」


 駒の捌き合いはバランスの取れた葵の方に分がある。かといって下手に逃げると攻めのターンが回ってこない。


 葵はそれを見切って俺に時間を与えない。高速の攻めが繰り返される。


 10秒のブザーが鳴る。6秒、5秒、4秒と──。命を削る音が鳴り続ける。


「ちっ……」


 俺は何とか時間内に手を指した。


「甘い、先輩の指し手は何もかも甘いんだよ!」


 しかし、その瞬間に葵によって大駒の詰み筋を作られる。


 そして再び鳴る10秒のブザー音。


 この指し手、この攻め方、そして独特なまでの局面構成。それはかつて、鬼才の世代と呼ばれた第一世代の神格者──天王寺玄水の変幻自在トリックスターそのものだ。


「これが、お前の本気というわけか」

「そうだよ。私の将棋は鬼才の系譜、実力勝負への強制誘導。これまで誰も真似できず、誰も越えられなかったこの指し回しを、私は天王寺玄水から奪い取った」


 葵は勝利への確信を持った瞳で俺の飛車を奪い取る。


「先輩がどれだけ定跡に強く、どれだけ深くまで研究していたとしても、実力勝負になれば私の方が勝つ──!」


 その背後からは、確かにかの鬼才──天王寺玄水の面影が見えた。


「……第一世代の、申し子か」

「忘れ去られていった彼らの将棋は悲しいものだよ。現代では誰も目にしない、誰も指さない。なぜなら、より魅力的な定跡が手の届く範囲に置いてあるから」


 葵は一切の攻めを切らさず、ついに俺のもう一つの大駒である角まで取ってしまった。


「だから、私の指し回しには誰もついてこれない、誰も対策を取れない。屍となった後で後悔だけを嘆き続ける。そんな未来が待っている。私を舐めた者達の末路だよ」


 皮肉なものだ。彼らは歴史を学ばずに得た成長を強くなったと勘違いする。実際には、強力な武器を持っただけの素人にすぎないというのに。


 葵はそんな者達を狩り続けてきた生粋の狩人なのだろう。


「──妹弟子として、引導を渡してあげるよ。四肢を失った猛獣に畏怖はない」

「まだ失ったのは両手だけだぞ」

「強がりを言う暇があるなら、次の一手を考えるべきだね──!」


 葵は俺から奪った飛車と角を使い、こちらの陣形を荒らし始めた。


「あはははっ! なにその格好! まともに囲いも作れてないじゃん!」


 勝ちを確信した葵は中段に上がった俺の王様をみて嘲笑う。


 持ち駒は金銀桂の3枚、小駒は十分。葵は歩切れで入玉の気配はなし。一見絶望的に見えるこの状況で、俺は不意に息を吐く。


 ──条件は整った。


 俺は視線を下げて僅かに微笑むと、王様を掴んで更に前へと押し出した。


「──?」


 王の早逃げ八手の得。葵は俺が攻めを警戒して早逃げをしたと思っているだろう。


 ──残念ながら、違うな。


 葵が落ちている駒を回収している隙に、俺は王様を掴んで更に前へと上がっていった。


「……え? あ、あれ……?」


 違和感。そう、違和感が脳裏を巡るはずだ。


 乱雑した駒組、無駄に先んじたくらい取り。いつまで経っても囲わない王様。


 銃弾飛び交う戦場の地で、いつまでも城を作ることなく座っている王は、誰がどうみても隙だらけのそれだ。


 だが、城はとっくの昔に作られている。──そう、上空に。


「……なに、それ」


 その上空に作られた城への入場はたった2手の時限式。追っていたはずの標的は的中に紛れて進軍を果たす。


 天空に作られた金色の要塞に、果たして地上の銃弾は届くかな?


「ウソ……攻めていたのは、私でしょ……?」


 葵は大駒を全て所有している。俺の分も含めて全て奪い取った。


 だが、空中に浮かぶ天空城にその弾丸は届かない。


 将棋の駒のほとんどは、前に行くように設計されている。歩も香車も桂馬も、前に行ったら二度と後ろには戻れない。


 だから、将棋の鉄則には『玉は下段に落とせ』と言う格言がある。上に行けば行くほど、詰まなくなってしまうから。


「空中……楼閣……」

「違うな。この城は──攻めるぞ」

「なっ……!」


 俺は先んじて取ったくらいを活かして葵の陣地へ突進する。


 アヒルの弱点は囲いの低さ。それは中央を守る『中住まい』だろうと『elmo囲い』だろうと、それらは常に下からの攻めに強くなっている。


 上から押しつぶされる攻め筋には対応できていない。


「実力勝負と言ったな? ──それは、俺が最も望むところの土俵だ」

「──ッ!?」


 俺は元から圧迫してあった攻め筋を多用して葵の陣形に風穴をあける。


 最強の囲いは様々ある。穴熊あなぐま端玉銀冠はしぎょくぎんかん、ビッグ4。しかし最も攻めにくいのは中段玉からなる空中楼閣くうちゅうろうかくだ。


 だが、空中楼閣は決して堅くはない。攻めにくいというだけで囲いの堅さ自体は大したことはない。


 だから──小駒を使って囲い自体の強度を上げる。それも、絶対に詰まなくなってしまうくらいに。


「……まさか、さっきの大駒交換……!」

「なんだ、今頃気づいたのか。──そうだ、わざと捨てた」

「……っ!」


 前提を考えれば自ずと取捨選択ができるはずだ。


 まず、葵の王様を攻めるのに大駒は大して役に立たない。なぜなら、アヒルを使った戦法は元より大駒を捨てることで成立するものだからだ。


 アヒルには隙が無い。どれだけ大駒を持っていても、隙が無ければ相手の陣地に駒を打つことすら叶わない。


 逆にアヒルは、小駒による集中砲火に弱い。連続して攻められるほど囲いは脆く、貫通すれば一瞬で崩壊する陣形だ。


 だから、あえて大駒は使わない。置き場所のない大砲など拳銃より役立たずだ。いくらでも捨ててやろう。


 その代わりに攻めるための構図を作る。常に一部分から風穴を開ける準備をする。


 その役目を取るには事前に相手のくらいを取って、いつでも攻めれる姿勢を作ればいい。


 そうして出来上がるのは空中から攻撃する城である。敵陣に侵入する要塞そのものである。


 そしてその城に王様が入れば、もう二度と俺の王様が詰むことはない。


「自称トリックスター、この手順は読めたか?」

「くっ……!」


 俺の言葉に焦る葵は、自らの大勢を取り戻すため無理攻めに転じる。


 だが、無理攻めとは言葉通り無理やりな攻めである。正しく受ければなんてことはない。


「読み切ってるの……!? たった10秒で……!」

「愚問だな。10秒将棋は日常茶飯事だ」

「冗談でしょ……!」


 葵は俺の手を信用せず、下段から挟撃の形を作って抑え込もうとする。


 しかし甘いな。それじゃあ手順に守りを堅くしてもいいと言っているようなものだ。


「なんで、なんで攻めが通らないの……! というかなんなの、この指し回しは……!」


 削れば削るほど持ち駒が増えて俺の守りは堅くなっていく。


 そして僅かに得た手番を使って、葵が俺のように入玉できないよう事前に包囲する。


 次第に葵の余裕が無くなっていった。


「こんな指し回し知らない……プロでもみたことない……! アンタの師は天王寺玄水じゃないの……!?」

「違うな。俺に師はいない、この指し方は独学で得たものだ」

「そ、そんなはずない!」


 葵は自陣の駒も使って半ば捨て身で俺に攻撃を仕掛ける。


 俺はその瞬間を待っていたとばかりに守りを捨て、鍔迫り合いを躱すようにノーガードの殴り合いに持ち込んだ。


「なんで……っ!? なんで、そんな指し方ができるの!? 怖くないの!?」

「慣れてるんでね」

「慣れてるって、そんなわけないでしょ! こんな自滅するような指し方を好んで指すなんてありえない! こんな、自滅する、ような……指し方、なんて……」


 葵は言いながら何かに気づいたのか、口元を震えさせながら掴んでいた駒を落とした。


「ま、まって……」


 そして、信じられないような、怯えたような、そんな表情で俺の方を見た。


「まって……まっ、て……。…………え……?」


 葵の消え入りそうな声が部室に響いた。

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