第三十七話 底辺から浮上し始める男

 月曜日の朝、俺はいつもと変わらない日常を歩いていく。


 大会を終えたばかりで疲れが残っているのもあるが、どちらかといえばやりきったという達成感の方が大きい。


「あ、あの……おはようございます、真才先輩」


 道中で来崎の声が聞こえ、振り返るとボロボロになった来崎が青白い顔で挨拶をしてきていた。


「あ、おはよう。ちゃんと登校してきて偉いね」

「まぁ……約束ですから……」


 黄龍戦で優勝した俺達は、無事県大会への切符を手にして地区王者の座に就いた。


 そしてその時、武林先輩がこう言ったのだ。


『県大会はこれまで以上に信頼関係がカギになる! だからオレたちはそれまでに互いの絆をより深め、一心同体となって戦うことを心掛けよう!』


 若干根性論が含まれていなくもないが、とにかく武林先輩はもっと将棋部の面々同士が仲良くなることを最初の課題として掲げたのだ。


 当然、不登校の来崎は論外であり、せめて将棋部には顔出しするようにと言われたらしい。それで今こうして朝から登校してきているというわけだ。


「なんだか随分とテンション低いけど、大丈夫?」

「あ、あ、はい……あの、朝はテンション低いので……あと頭痛が……」


 来崎は無理やり笑顔を作ってつらそうな表情をなんとか誤魔化す。


 ゾーンの副作用か。まぁ大会後半からとはいえ、あれだけの集中力をずっと解き放っていたのだから頭も痛くなるだろう。


 俺も若干ではあるが頭が痛い。


「いやーでも、あの時の来崎の覇気は今思い返してもヤバかった」

「あぅ……恥ずかしいので忘れてください」

「なんでさ、かっこよかったよ」


 俺がそう言うと来崎が顔を真っ赤にして視線を外した。


「……あ、ありがとうございます……」


 消え入りそうな声で呟く来崎に、俺は少し動揺してしまう。


 大会の時は煩悩を追い払って気にしないようにしていたが、来崎の可愛さは東城に匹敵するレベルだ。こうして近場で眺めると本当に顔の整った童顔、男なら欲情してしまうほどの可愛さだ。


 不登校じゃなかったら絶対クラス中でモテてただろう、間違いない。


 それに俺は私服の来崎しか知らなかった。だから今こうして制服を着た来崎を見るとなんかこう……変な背徳感が出てしまう。


 何せ俺は先日、この子に自分から抱き着きにいったんだ。それがいくら迷いを消すためとはいえ、好きでも無い男にハグされて喜ぶ女子など存在しない。


 来崎が俺を表面上好いてくれるのはなんとなく分かっているが、それが異性としての好意とは限らないしな。


 陰キャと言うのは調子に乗ったら最後、社会的に吊るし上げられて終わってしまうか弱い存在だ。


 だから変に期待するのはやめよう。俺は明日香から学んだんだ。


「そういえば、今日は黄龍戦の個人戦なんだっけ」

「はい、東城先輩が出ているみたいですね」


 今日は月曜日だが、黄龍戦はまだ続いている。日曜日に団体戦で、月曜日は個人戦だ。


 東城は西ヶ崎高校を代表してたった一人で個人戦に出場している。正式に学校を休めるのは羨ましい限りだが、一人で孤独に戦うのもそれはそれで寂しいものがあるだろう。団体戦が終わった後だとなおさらだ。


「私達は今回出場できませんでしたけど、団体戦で優勝したので次回の個人戦への参加はできますね」

「来崎は次回の個人戦があったら出場するつもりなのか?」

「もちろんです。真才先輩のおかげで壁を越えられましたし、今の自分がどこまでいけるのか試したいですね」


 さすがは来崎だ。向上心が高くて成長の幅が大きい。


 俺もうかうかしてられないな。


「……すみません。ちょっとコンビニで頭痛薬買ってくるので、また」

「本当に大丈夫? あんまり酷いなら休んだ方が……」

「いえ、今までもそうして自分に甘えて休んできたので、今回は意地を張ってでも登校します」


 凄い根性だ。来崎って良い意味で頑固な一面があるな……。


「分かった。じゃあまた」

「はいっ」


 こうして俺と来崎は学校前のコンビニで別れ、俺はそのまま教室へと向かっていったのだった。


 ※


 その頃、黄龍戦の個人戦では熾烈な戦いが繰り広げられようとしていた。


「おい、東城。どういうことだ……!」

「何?」

「昨日の団体戦のことだ。東城、お前どうして先鋒なんかに務めた? お前の実力であれば大将をやるのが道理だろう? それにあの男はなんだ? あんな駒の持ち手も安定してない新人風情がどうして天竜一輝に勝てたんだ?」


 何を言ってくるのかと思えば、相手の実力も見極められない雑兵の一人。そんな男に東城は呆れた顔を浮かべていた。


「アンタの道理が何かしらないけど、強い人間を大将にするのは定石ね。アタシもそうするわ」

「だったら──」

「彼はアタシより強い、だから大将になった。それだけのことよ」

「なに……? あの男がお前より強い、だと……?」


 西地区の四天王はここ数年から変化がない。


 天竜一輝、舞蝶麗奈、成田聖夜、そして東城美香である。


 東城は学生ということもあり、参加する大会は学生専用の大会。つまり他の上位3人と戦う機会がなかった。


 高校生枠の最強として君臨する東城と、一般戦枠の最強として玉座を争っている天竜、麗奈、聖夜の3人。これが今までの西地区における実力順のランキングだった。


 ゆえに、東城より強く、天竜にも勝った渡辺真才という人物は──文字通り西地区最強の座に降臨する実力者ということになる。


 それを認められない大多数の西地区の選手達は、その真相を知る唯一の人物である東城へ疑問を投げかけていた。


「は、ははは……! 冗談はよせ! あぁ、わ、分かったぞ……お前さては弱くなったんだな? お前も天竜も実力が落ちたんだ。だからあんな新人風情に後れを取ったんだ。そうだ、そうに違いない……!」

「……頭お花畑ね」


 男は自分の持論に合点がいったのか、意気揚々と駒を並べ始めた。


 東城はそんな男を哀れな目で見ながら、周りを一瞥して他の選手達の顔ぶれを確認する。


(昨日のチームフナっこのメンバーは誰も参加してないみたいね。せっかくリベンジしようと思ったのに……)


 そもそもとして、昨日東城と戦った青薔薇赤利は元々中央地区の選手である。そのため別地区である西地区の大会に参加するのは本来禁止されている行為なのだが、青薔薇は第十六議会の権限によって特例で参加させられていた。


 なので青薔薇赤利が西地区の大会に出ることは基本無いのである。


 この時の東城はそれをすっかり失念していた。


(次会ったら絶対本気出させて勝ってやるんだから……)


「おい、何よそ見してるんだよ東城。段々とお前の時代の終わりが近づいてきてるぞ? その覚悟はできるんだろうな?」


 男からの挑発を受け、視線を戻した東城は男に向けて優しい表情を作った。


「アタシ、昨日の大会で少し掴んだことがあるのよね。なんだと思う?」

「……?」


 怪訝な表情を浮かべる男に、東城はニコっと笑みを浮かべながらこう答えた。


「──自滅帝の指し回し」

「……は?」


 ※


 来崎との楽しい会話タイムも終わってしまい、一人憂鬱な気分になりながら俺は教室の前までたどり着く。


「今日もつらい一日が始まるな……」


 そう思って教室の扉を開けると、クラスメイト全員が一斉に俺の方に視線を向けた。


(え……なに……? 怖い、怖いんだけど……)


 教室に入るや否や、俺を見たクラスメイトたちが小声で何かを話し始めた。


「ねぇ、あの噂本当なのかな?」

「なんか渡辺が大将で優勝したってやつでしょ?」

「東城さんでも1回負けたのに、渡辺は全勝したらしいよ」

「なんか信じられないよね」


 会話の内容が全て聞こえてくるわけではないものの、微かにそんな感じのやりとりが女子たちの間で行われていた。


 そして、男子たちの中でもその会話は行われていた。


「アイツ将棋なんかできたっけ?」

「ほら、先週の全校集会でなんか大会に出るとか言ってたじゃん」

「全然覚えてねーわ、渡辺って普段から影薄いしな」

「でも優勝したのが本当だったらやばくね? かなりデカい大会だって聞いたぞ」

「なんか今朝新聞載ってたのをみたんだけど」

「マジ……?」


 俺を見ながらこそこそと話しているクラスメイトたち。


 なんだろう、この疎外感。普段から浮いてはいたのだろうが、この浮き方はちょっとキツイ。


 彼らは疑惑と疑念を織り交ぜた怪訝な目をこちらに向けてくる。どうやら俺が優勝したという事実を疑っているみたいだ。


 まぁ、陰キャの実情なんてこんなものだろう。たかがひとつの大会で優勝したくらいで人の見る目が変わるものじゃない。俺は陰キャのままだ。


 特に何かを答えるわけでもなく、俺は静かに教室の中へと入っていく。


 心のどこかで賞賛の視線を求めていたが、現実はそう甘くない。俺には荷が重かったんだ。


 せめてその役は東城に譲ろうと、そう思っていた。


 しかし、俺の知らないところでこの優勝の噂は広まっていき、同時にクラス内での俺の評価が少しずつ変わり始めていくのだった。

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