1.運命の三女神洗礼の儀




「はぁ……」



 ヴァルトハイネセン王国王都レグリオン。

 その貴族街区に邸宅を構えるラーデンハイド公爵家の大門前で、俺は溜息を吐いていた。



「どうしたんだい? 兄さん」

「ぃや、何……少々昔のことを思い出してな……」

「昔のこと……?」



 不思議そうに首を傾げる弟のクラウスだったが、俺はそれ以上の説明はしなかった。

 正確に言うと、これ以上思い出したくないと言った方が正しいかもしれない。



 ――ともかくだ。



「……あれから十年か。時が経つのって早いよな」

「なんだよ、爺さんみたいな言い方して」



 ――前世の記憶を取り戻して早十年。俺は十五歳になっていた。



 他の国はどうか知らないが、ここヴァルトハイネセン王国では十五歳で成人となり、一月十日から一週間にわたって開催される新年祭に合わせて、成人の儀が執り行われることとなっている。


 そして、それと同時に行われる最も重要な式典。


 それこそがまさに、『運命の三女神』様から女神スキルと呼ばれる特殊技能を授かる洗礼の儀だった。


 この儀式は現在神エイルヴェル、過去神リンドウェルズ、未来神ラーンルンドの三女神に体力や魔力といった身体機能の一部を捧げることで、初めて、女神スキルと呼ばれる特殊技能を授かることができると言われている。


 この毎年恒例となっている行事イベントは、王国人であれば誰もが行わなければならない儀式として定められていて、決して避けて通ることはできないとされていた。


 なぜなら、ここより北西にある大陸最北端に『魔の領域』と呼ばれる死の大地があり、そこから湧き出る妖魔どもと戦うためには必須の力とされているからだ。


 だから、この国の者たちはみんな、妖魔に対抗するために編み出された神術、女神洗礼によってスキルを授かることが慣例となっていた。



 ――しかし、俺にとってはただの通過儀礼では終わらない。文字通り、今日が運命の分かれ道となるんだからな。



 幼き日に見た予知夢によれば、俺は洗礼の儀にて体力の一部を捧げた結果、『調理スキル』などという竜騎士にとってはまったく使い物にならないどうでもいいスキルを授かってしまうようだ。


 しかも、そのせいでその場に居合わせた大勢の人間に揶揄された挙げ句、我が公爵家と権力を二分する形となっている宰相――リッチ公爵家が、ここぞとばかりに俺のスキルのことを持ち出しては問題視するようになる。


 更に間の悪いことに、このとき既に、俺はなんの因果かしれないが、この国の守護竜にして白焔の古代竜ホワイト・ブラーナスジークリンデ本人から名指しで、『彼女』の背に乗ることが唯一許される白焔の竜騎士ブラナス・デ・ドラグナーとして竜騎兵契約させられていたから、余計に質が悪かった。


 通常、竜騎士は小型の翼竜として知られるワイバーンを駆って戦場を飛び回るが、白焔の竜騎士だけは違う。


 この称号を有する竜騎士は、この大陸に一頭しかいないとされる巨大な古代竜の背に乗り、大空を飛ぶことが許されている唯一の人間だった。


 その上、ジークリンデは竜種の中では最上位種にあたる。


 その強さは尋常ではなく、ただの人間ではとてもではないが、太刀打ちできない。


 それゆえに、彼女は王国人から神にも等しい存在として崇められていたのである。



 ――しかし、それがそもそもの間違いなんだよな……。



 そんな神にも等しい古代竜と契約してしまったせいで、俺は事実上、親父を差し置いて竜騎士の最高位にまで上り詰めてしまった。


 もっと言えば、白焔の竜騎士になったということは即ち、女王陛下に次ぐ第二位の権力を掌中に収めたも同然だった。


 それゆえに、そんな奴が目の前にいたら、当然、権力欲の塊みたいな人間にとっては、この上なく目障りに感じるだろう。


 そして、そんな奴等の最たる代表がリッチ宰相だった。


 彼はすべての実権を掌握しようと陰で暗躍しているとまで噂されているような野心家だったから、目の上のたんこぶである俺のような存在を、みすみす放置しておくわけがない。



 ――だからこそ、ポンコツ女神スキルをきっかけに、俺だけでなく、家ごと俺たちを潰しにきたんだろうけどな。



 このままいくと、最悪、予知夢――未来視で見た転落人生通りの未来が待ち構えていてもおかしくなかった。



 ――だったら、そうならないようにするしかない。



「あ、兄さん来たよ」



 物思いに耽っていたら、いつの間にか目の前に馬車が到着していた。

 俺はこれからこの馬車に乗って、王都郊外にある大聖堂へと赴かなければならない。

 そこで、文字通り運命の洗礼が行われるのだ。



「じゃぁ、行ってくるよ」

「うん、がんばってきなよ」



 二つ年下の弟クラウスは、人懐っこい笑顔を向けてきた。

 俺は御者によって閉じられる扉の窓から、徐々に見えなくなっていくクラウスの笑顔を見つめ、一人気合いを入れた。




◇◆◇




 大聖堂の最奥に作られた三女神の間。

 そこには大勢の若者たちや国の重鎮らが集まっていた。


 先代女王が数年前に急死したことを受け、現在、玉座についているイリスレーネもいた。


 代々聖騎士の家系でもある宰相の息子レンディル・リッチを始めとした親父の敵対勢力である竜騎士の家系の御曹司たちも勢揃いしている。


 この洗礼の儀に立ち会えるのは今回スキルを授与される十五歳の若者たちや、既にスキルを授与されている関係者のみとされていた。


 そのため、当然、俺の親父もいるし、三つ年上の兄グラークもいる。


 既に成人を迎えてスキルを有している有力貴族の嫡子もいた。

 そんな状況下で、厳かに始まる洗礼の儀。



「おおお~! これは素晴らしい!」



 部屋の隅っこで所在なげに成り行きを見守っていたら、大歓声が響き渡った。

 幼き日の面影などまるでない女王イリスレーネに対する賛辞だった。


 彼女は煌びやかな赤いドレスに身を包み、白銀の美しい長髪を後頭部でひとまとめに束ねた姿で巨大な三女神像の前に跪いていた。


 三女神像は壁一面ステンドグラスの嵌められた部屋最奥に鎮座しており、その手前にはこれまたやはり巨大なプリズムが置かれていた。


 洗礼を受ける者たちは更にその手前に設けられた祭壇に跪き、女神様へ身体機能の一部を供物として捧げ、その見返りにスキルを授かる。


 そして、スキルを授かったときに、プリズムと祭壇が七色に光り輝き、スキル名と効果内容が祭壇に表示されるといった仕組みとなっていた。


 俺は離れた場所にいたからよくわからなかったが、



「皆々の者! 聞くがよい! 女王陛下はこのヴァルトハイネセン王国王家に相応しい女神スキル『剣姫』を授かりましたぞ!」


「おお~!」

「なんということだ」

「やはり、武力に長けた血筋なだけはございますな」

「先代女王も『双剣の乙女』として勇名を馳せておられましたからな」

「うぅ……本当に。これで先代もご安心召されるであろう」



 周りの大人たちが仰々しいまでに感動を振りまく中、イリスレーネはにこりともせずに祭壇から下りると、侍女たちが控える一角へ移動していった。


 その際、俺と彼女は一瞬だけ目があったのだが、彼女はまったく笑顔を見せなかった。


 俺はそんな彼女を見て、薄らと笑みをこぼす。



 ――やはり、嫌われてしまったのかな。



 幼い頃は俺の顔を見る度に飛びかかってきたものだが、なぜか十歳を過ぎた頃から、徐々に態度に変化が見られるようになっていった。


 次期女王としての自覚が芽生えてきたのか、それとも成長と共に、俺への恋情に心変わりがあったのか。


 その辺はよくわからなかったが、ともかく、最近では顔を合わせても笑顔を見せるどころか、視線を合わせようともしなくなっていた。



「やれやれ……」



 寂しいようなほっとしたような、よくわからない感情に思わず頭をかいたときだった。



「素晴らしい! お前はやはり、我が公爵家の嫡男に相応しかったな!」



 一際野太い声が室内へと響き渡った。



「なんだ?」



 眉間に力を入れてそちらを見ると、人目もはばからず、宰相ことリッチ公爵が息子のレンディルを抱きしめていた。



「や、止めてください! 父上!」



 さも嫌そうにする青髪が美しいイケメン嫡男。



「女神スキル『聖剣』! 聖騎士の家系に相応しいスキルですな!」



 儀式を取り仕切っている大司祭を始めとして、宰相やレンディルの取り巻き連中が大騒ぎし始めた。



「なんだかなぁ……」



 そんな連中を冷めた目で見つめる俺。

 その後も滞りなく儀式は行われていく。


『剣聖』だの『戦略級魔法士』だの『大魔道士』、『槍神術』などといった秀逸な女神スキルが次から次へと授与されていった。



「今年は実に素晴らしい! これで我が王国は安泰ですな、女王陛下!」

「……そうですね」



 リッチ宰相が芝居がかった口調でイリスレーネへと近づく中、遂に俺の番がやってきた。

 今日、この瞬間で俺の運命がすべて決まってしまう。

 そう思って緊張気味に祭壇へと近寄ったのだが、



「ふんっ。次はあのくそったれの番か。せいぜいいいスキルが得られるよう祈っててやるぜ」



 いかにも人を食ったような台詞を吐いてきたのはレンディルである。



「ぷっ。まぁ、あの野郎には少々痛い目を見てもらいたいですけどね。陛下に目をかけていただいているばかりか、あのジークリンデに認められるとか。何か裏があるとしか思えませんからね」

「まったくだ」



 レンディルに呼応するように、奴の取り巻きで俺と同じ竜騎士の家系の御曹司たちが一斉に騒ぎ始める。



「静粛に!」



 それを見かねたのか、大司祭が一喝する。

 途端に静寂を取り戻す洗礼の間。

 俺は祭壇へと一歩踏み出し、女神像の前で跪いた。


 未来視によると、本来の歴史では俺はここで体力を捧げて『調理スキル』などという下らないものを手に入れてしまうようだ。


 だったら、もっと別のものを捧げたらどうなるのか。

 それこそ、この世界では必要不可欠なもの――即ち、魔法を扱うことのできる魔法技能のすべてを。


 俺は大司祭が儀式呪文を唱える中、一心不乱に祈り続けた。



『魔法技能のすべてを供出いたします。その代わりに、ヘッポコスキルなんてものは与えないでください』と。



 その結果は如何に――



「な、なんだこれはっ……」



 大司祭が呻くような声を上げていた。

 目を瞑っていたから実際のところ何が起こったのかわからない。


 眼球の奥を焼き尽くすような強烈な光が、瞼を通り抜けるようにして入り込んできた。

 そして、爆発的で得体の知れない歪な力が内側から俺の肉体を破壊しようと、膨れ上がってくる。



「ぐっ……」



 俺は懸命にそれを堪えながら、倦怠感と光が収束していくその瞬間をじっと待ち続けた。

 そうして、それらが完全に収まったのを見計らい、瞼をゆっくりと見開いていったのだが――



「……は?」



 俺は祭壇に表示されていたスキルを見て、思わず絶句してしまった。



 スキル名『※■ガ◇◆◇ン◇※○セyキ※※★×○ソウゾウ』



 そこには、思いっ切りバグ表示された女神スキルが映し出されていた。



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