うたを失したキリン

@singing_giraffe777

<序曲ニ短調: Misterioso(神秘的に・秘密を持って)>

 春の嵐。校門近くの小さな人口河川が今にも氾濫しそうなくらい雨が降りしきっている。

 少年は立っているのもやっとなくらい、全身が震えていた。先生の明るい声が聞こえる。

 「じゃあ歌ってみよか。」

 ピアノでレの音が鳴らされる。

 「きみはピアノが得意やから、きっと歌も得意やんな?」

 少年には追い打ちとなる言葉。全身の震えに加え冷や汗が流れてゆく。恐る恐る視線を少し上げた。級友の期待の目、冷やかすような目、窓の外を無関心に眺める目。音楽室は静まりかえり、窓を打ち付ける雨の音だけが響いていた。少年は自分の体がどんどん冷たくなってゆくのを感じた。

 「出だしは「はるのうららの」やで。思い出した?」

 彼の頭にはその曲のメロディが完全に頭に入っていた。だが、声が出ない。彼は心底神様に祈った。「下校命令出ろ!下校命令・・!」。その想いも空しく無限とも思える時間が流れる。

 「どうしたん?もいっかい鳴らすで。」今度は強めに、「レ」が鳴らされる。そのピアノの音が運命の合図だったかのように、彼は足元から崩れ落ちた。

 

 気を失う瞬間に彼がみたのは、眼光鋭くこちらを睨みつけるベートーヴェンの肖像画だった。

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