Route 365 男と少女と車
大沢敦彦
第1話 四つ目の荷物
バーミヤン州に入ってからはまだマシだった。北ミシガン州は壊滅的な被害を受け、全土に渡って交通規制が敷かれていた。ハリケーン「サマンサ」はアメリカ合衆国を縦横無尽に荒らし回り、大きな爪痕を残していった。
『ハロー、ハロー。こちらは陽気なラジオ放送局ANBCのマイケル・チャンポンだ。さあ今日も張り切っていってみよう』
カーラジオから騒がしいナンバーが流れてきて、ライカンはボリュームを絞った。良い天気だった。窓を開けていると風が気持ちいい。鳥のさえずりもちらほら聞こえてくる。ここは自然な音に任せて運転したい。
4WDには三つの荷物が載っている。一つは後部座席に。これは丁寧な梱包がなされている。一つは荷台に。これは動かないよう厳重に固定されている。一つはライカンの頭の中に。これはいびつな形をしている。ライカンの上司の顔はいつだって歪んでいる。
「ライカン。すまないが頼まれてくれないか」
出発前、ガソリンスタンドで電話を受けた。ライカンはその時、渋い表情をしていた。
「マキラ州までいくんだろう? だったらついでに仕事を頼みたい。報酬はいつもの三倍だ。それに危険手当も付く。悪い話じゃない」
「良い話でもないな」
ライカンは首を振った。傍で洗車していた店員と目が合った。店員はすぐさま洗車に集中していた。
「まあそういうな、ライカン。奥さんと娘さんを食わせるのも楽じゃない。金になる話には飛びつかなきゃ損だぜ」
「今は一刻を争う事態だ。二人が無事かどうか、今すぐ発って確かめにいきたい」
「連絡がつかないのか」
「ああ」
「そうか…………だがな、ライカン。いくらタフなお前でも、今契約を切られたら生きてはいけないはずだ。違うか」
「脅しですか」
「脅しじゃない。『サマンサ』のおかげで、どこもかしこも狂ってる。彼女はよっぽどアメリカが好きだったみたいだ。情勢は不安定だ。だが、お前なら調整できるだろう?」
「……他に人は」
「ボブは死んだ。ジムは行方不明。連絡がついたのは今のところお前だけだ。なあ、ライカン。ほんというと、もうお前にすがるしかないんだよ。頼む。この通りだ」
受話器の前で禿げた頭を下げる上司の姿が、ライカンにはどうしても想像できなかった。
「……わかった。但し、報酬三倍と危険手当は絶対だ。反故にしたらただじゃ済まない」
「やってくれるか? さすがは俺が見込んだだけのことはある」
こうして、4WDには三つの荷物が載っている。
「…………」
騒がしいナンバーが終わり、アップテンポなナンバーに移り替わっていた。ボリュームはそのままで、空気に土のにおいが交じってきた。微妙な変化はこの先の道も楽ではないことを暗示させていた。
『ブッブーーー!!』
ルームミラーに大型トラックの頭が映っている。ライカンは肩をすくめると、徐々にスピードを落として、あわてんぼうのトラックをやり過ごした。
『パアアアアアアアッッッ!!!』
追い越したトラックがまたもやクラクションを鳴らし、泥水を脇へ大きく跳ね上げた。
「ちょっ――もうサイアッック!!」
泥水を体じゅうに浴びた少女が、大声で叫び、走り去るトラックに向けて中指を突き立てる。
「死ねえええっっっ!!! くそやろおおおおっっっ!!!」
全身に怒りをたぎらせる少女の傍を、無視して通り過ぎるのは難しかった。
「まったく、災難だったな」
ライカンは窓を下ろすと、少女に声をかけた。振り返った少女の目は熱く燃えており、思わず息を呑むほどだった。
持ち物といえば、背中に預けたバックパックただ一つ。金髪に、空を映した青い瞳、大人になる前のあどけなさが残る顔。
『PICK ME UP!!』
ダンボールにマジックで太く書かれたそれも泥水で濡れている。まるで酷い有り様だった。
「泥ネズミといいたいところだが、きみは可愛いから泥ミニーかな」
「おじさん。乗せてくれる?」
ライカンは、少女の頭から足まで視線を走らせた。
「いくら可愛くても、泥ミニーは乗せられない。ただのミニーなら大歓迎だが」
「ふうん。あっそ」
いうなり、少女は服を脱ぎ始めた。あわててライカンは車を降りる。
「ばかっ」
「これなら、ただのミニーでしょ?」
下着姿で堂々と立っている少女を前に、大きくため息を吐いた。
「……わかった、乗れ。違う、後ろだ」
「え~、助手席がいい! ダメならもっと脱いじゃう! おじさんも、すっぽんぽんの方がいいでしょ?」
「頭おかしいのか、てめえ。……ああもう、わかったよ。好きにしろ」
「やったあ、ありがとー! おじさん大好き! チューしてあげよっか?」
「チューチューうるせえ奴だ」
少女は大喜びで助手席に飛び乗った。これで荷物が四つになったわけだ。ライカンは後部座席の荷物の上に掛けていた毛布を取ると、少女に手渡した。
「汚れた服は足元にでも丸めておいて置け」
「はーい」
「シートベルトを締めて。さ、いくぞ」
「レッツゴー!」
賑やかな子だった。おかげで、ラジオを聞く意味もなくなっていた。
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