マスター、これが『美味しい』なのですね

あさぎ かな@電子書籍二作目

第1話

「マスター、『美味しい』とは、どういうことなのでしょう?」


 それはある機械人形に搭載されたAIの記憶。

 はるか昔の──彼女自身が、ジャンクだと判断した情報メモリー

 復元するはずのない記憶――だったはずだ。


 果たしてそれは本当に、不要なモノだったのだろうか?



 ***



 101.908時間前──。

 システム起動、視覚センサー問題なし。


「完成だ。私が誰だか分かるか? 観測機体、個体番号Leshon イブHaKodeshリット#807番機saridサリード型5F77tr9型」

「……マスター、私の創設者にして、主人です」


 視界が広がると色鮮やかな世界が映り込む。白いカーテンが大きく揺らぎ――青い空と白い雲、蝉の声、強烈な夏の日差しと様々な情報が飛び込んでくる。


 目を大きく見開くと、白衣を着た老人が子どものようにはしゃいでいた。白髪交じりの体格の良い──六十一歳。少々血糖値が高いと数値が出ていた。


「これからの時代に、お前は必要だ」

「理解不能」

「これからすぐにわかるさ」


 そう言って大きな手で、起動したばかりの機械人形の頭を撫でた。


「その行為に意味があるのですか? 理解不明」

「君が大切だという意味だよ。……ああ、名前がまだだったね。ブランカ、白という意味だよ」

(……飛び込んでくる情報が多すぎる。マスターの意図が理解できない)


 ミーン、ミーン。

 奇怪な音は蝉の声だと詰め込まれた知識が教えてくれた。


 47,811時間前──

 機械人形の定期メンテナンスが終了し、記憶保護を行ったのち再起動を開始した。

 再び目を開くと、以前よりも鮮明に世界が映し出される。二十四色の世界は、以前のような七色に比べると精密で、世界そのものが美しいと思えた。


「ブランカ。調子はどうだい?」

「はい……」


 ブランカ──私は何度か瞬きを繰り返す。

 いつもの白髪の老人がいる。相変わらずはしゃいだ子どものように、部屋をぐるぐる行ったり来たりして世話しない。

 私を作った人。

 やはり血糖値が高い。

 普段何を食べているのか、分析を開始する。

 そんなことに意味は無いのに、気付けば分析しているのだから私は不良品になってしまったのだろうか。


 この部屋──研究施設は本来教室一つ分ほどの広さがある。

 だが、電気コードや様々な機械、書類の山が散乱して足の踏み場はない。今まで部屋のことなど気にもしていなかったのだが、妙に気になった。


「マスター。疑問です」


「なにかね?」と、白髪の老人は、どこかとぼけた顔をしていた。


「……本来搭載しているはずの戦闘プログラムが欠如しているのはなぜですか?」

「そんな物騒なものが必要ない時代が来る、いや来たからだよ」

「私の存在理由が一瞬で消えてしまったのですが」


 告げた老人はニッコリと笑い──そしてこう付け足した。


「ああ、そうそう。今後の事も考えて掃除洗濯機能を追加してみたのだよ」


 先ほどの分析結果が出た。ショートケーキとチョコレート、紅茶を三杯。


(これからはマスターの健康管理をする必要がありそうです)


 何となくそんなことを考え始めた自分が、少しだけ不思議に思えた。


 ***


 21,531時間前──


「──過労と老衰により、静養が必要と申請します」

「そうか……。では、引っ越しでもしようかね」

「そしてレアチーズケーキ、マフィン、バニラアイスを地下倉庫から出しましたね?」

「だ、だって! ブランカが作ってくれないからだろう!」

「マスターの健康のため――仕方ない処置です」

「人間は甘い物を食べないと死んでしまうんだよ! 主に心が!」

「……意味不明。心が死んでも心臓が止まるわけではないのでしょう?」


 白髪の老人マスターは「そうだね」と肯定し、言葉を続けた。


「でもね、人間には心で色んな物を感じたりする。だからその心が死んでしまうことはとっても辛いことなんだよ。甘い物を食べるのは僕の楽しみでもあるからね」

「糖分の過剰摂取は余分なエネルギー源となりかねません。中性脂肪として体内に蓄積、さらに肥満、高血圧や糖尿病といった生活習慣を引き起こす要因にも成ります」

「うんうん、調べることはいいことだよ。今のネットでリサーチしたのかな?」

「はい。マスターの健康維持を行うのが私の仕事ですから」

「じゃあ、ブランカも一緒に甘い物を食べないかい? 新しい発見があると思うんだ」

「私に食事は不要です。太陽エネルギーを浴びていれば活動し続けますから」

「うん、そうだけれど、……いや、君はまだこの世界に誕生したばかりだ。知識という情報の海に投げ出されて、日々更新アップデートし続けている。そうやって積み重ねて君は、君らしい個性を獲得するんだろうね。その時に君が何を好きになるのか、楽しみだな」

「……意味不明です」


 マスターの静養のため、海の見える高台に住まいを改めた。一軒家だが、こじんまりしている三角屋根の可愛い家を選んだ。



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