第三十五話 死神の身体

 天馬に跨ったまま、私は二人を見る。

 オルチは自分の背丈ほどもあろうかと言う大剣を握り、エンリケ目掛けて振り下ろす。

 エンリケはそれをかわしながら、時折手に持つ短剣でそれをいなす。

 一撃でも喰らえば致命傷になるだろうに、エンリケのやつうまいこと立ち回るわね。ってかあいつ、あんなに剣術に長けていたの?

 普段そんな素振りも見せず、私の中では卑怯者のイメージしかなかったエンリケがこのときばかりは輝いて見えた。


「こしゃくな! だが、避けるだけでは戦いにならんぞ。それでは貴様もそのうち体力が尽き、くたばるだけだ!」

「なるほど。言われたみりゃ確かにその通りだ。そんなツラして、あんたも意外と賢いんだねぇ」

「ぬかせ!」


 エンリケの挑発に怒ったオルチは、渾身の一撃を振り下ろすが、エンリケは風に乗って舞い上がり、それをかわす。


「あらら、隙だらけじゃん」

「ぐぬぬ」


 地面に刺さった大剣でバランスを崩すオルチを見て、エンリケは言った。


「コルタドール・デ・アール!」


 エンリケが叫ぶと、オルチの体から突然血が噴き出し、無数の鋭く深い切り傷が出来る。


「ぐはっ……貴様、一体何を⁉」

「お前さんの周りの空気を圧縮してな、随所に真空の刃を作ったのよ。これが風の力さ」

「今はまだ加減をしてるが、その気になればそのままあんたの首を落とすことくらい造作もないぜ?」

「ふっ、ならばやってみるがいい」

「クルス・ドゥ・ヴェント」


 エンリケはさっきと違う言葉を発すると、オルチの体は柱に叩きつけられ、そのまま十字架のように張り付けられている。


「ちょいとその前に聞きたいことがあってさ。赤髭はどこだ?」

「あん? し、知らねぇな。ここには居ねぇ」

「知らない……ねぇ。まぁいい。あんたらの狙いはオリハルコンだろ? まさかまた探すつもりなのか? アトランティスを」


 アトランティス⁉ それってあれよね。伝説の沈んだ国……プラトンの著書、クリティアスにあった。ってか、「また」ってどういうこと?

 オルチは苦しそうな表情の中に、どこか余裕のようなものを感じさせながら言う。


「もう遅い。俺たちの計画はすでに進んでいるのだ。そのための準備も万全。世界は我々のものになるのだ。貴様もあのとき死んでいれば、これから訪れる生き地獄を味あわずに済んだものを」


 あのとき? やっぱりエンリケとオルチは以前になにかあったのね。


「地獄ねぇ……つまり、開けたんだな? 俺から奪い取ったあの箱……パンドラの箱を」


 パンドラの箱⁉ あの、この世の災厄を詰め込んだって言うあれ? 伝説じゃなく、実在したって言うの?


「それは貴様自身がよく分かってるだろう? じゃなけりゃ、そんな魔女の力など有り得ないとな」

「そこまで分かれば十分だ。赤髭もこの世界のどこかにいることがな。あんたには個人的な借りがあるからな、ここで清算させてもらうぜ」

「借り? 海に落としたことか?」

「パンドラの箱だけじゃなく、俺の船まで奪いやがって。おかげで大事な執事たちを失ったんだぞ! ……あぁ、それはあのあとか」


 執事? セバスチャンのこと? エンリケめ、私に随分と隠し事してるわね。


「ともかく、しでかしたことの報いを受けろ。コルタドール・デ・アール」


 私はすぐに手で目を覆った。

 だって、エンリケの言葉とともにオルチの首から大量の血が噴き出たのよ? あの真空のなんとかで首を切り落としたのよ、きっと。そんな惨い光景見ていられる訳ないわ。


「よおし、意外とあっさり終わったな。これで人質たちも大丈夫だろう」


 エンリケはそう言いながらこっちを振り向き歩み寄ってくる。


「だめですわ。さっきと同じまま、全く反応しませんわ」

「エンリケ様、こちらも倒れた兵がどんどん蘇ってきています」

「ほんとゾンビだよね。さすがの僕も結構疲れてきたよ」


 三人とも口を揃えて状況に変化がないことを告げる。


「あれ? おかしいな」

「それはそうとエンリケ。あなたには聞きたいことが――」


 そう言いかけたとき、私はエンリケの背後にあるオルチの体を黒い闇が包んでいくのが見えた。


「エ、エンリケ、後ろ! オルチが!」

「ん? オルチだぁ?」


 私の言葉にエンリケが振り返ると、オルチを覆っていた闇は消え、その下から傷が全くないオルチが姿を現す。


「ありゃ、どうなってんだこれは」

「ふはははは、これが俺の力。死神の力だ。俺の心臓を突かぬ限り、俺は何度でも蘇る!」

「ったく、相変わらず脳まで筋肉の馬鹿が。あんたはまだ縛り付けられてるのに、よくも敵に弱点を教えてくれるねぇ!」


 エンリケは風に乗り、一瞬でオルチの元へ行くとそのまま短剣でオルチの心臓を突き刺した。


「よし、今度こそ人質たちは戻っただろう⁉」


 エンリケの言葉とともに、私は振り返り人質たちの様子を見る。

 だが、相変わらず誰一人反応を示すものはいない。

 その奥で戦っているローランとオリヴィエも、状況は変わっていないようだ。

 ――と、いうことは……。


 再びエンリケに目をやると、すぐ後ろにオルチの巨体があった。

 言葉を発する暇もなく、オルチは右手を大きく振りかぶりエンリケに強烈な拳をお見舞いする。

 その勢いでエンリケは壁に飛ばされた。


「――ってて……」

「なんだ? 風の鎧を纏ってるんじゃなかったのか?」

「あんたが後ろから不意打ちするから、モロに受けちまったよ。いたたた」


 エンリケは後頭部をさすりながら立ち上がると、苦しそうな顔つきで言った。


「それに俺はあんたの心臓を突いたぞ?」

「馬鹿が。誰が俺の心臓はここにあると言った?」


 オルチは左胸に手を当てながら言う。


「あれ? 心臓は右だっけ?」

「左でいいのよ!」


 自信なさそうな顔で言うエンリケに、私は強く答える。


「じゃあなんだ、オルチ。あんた嘘ついたんだな? 卑怯者め!」


 お前が言うな感がすごいわ……。


「嘘なものか。ただし、俺の心臓は俺の身体の中にはない。別の場所に保管してある」

「体にないだと?」

「でなければ、わざわざ自分の急所を教えるものか」


 ……まぁ、当然ね。


「マリア」

「な、何よ?」


 エンリケは急に私に呼びかける。


「やつの心臓、どこだ?」

「私が知るはずないでしょう!」

「……ちょいと状況がやばいな」


 そう言うエンリケの尖った耳は丸くなっていき、口元からは牙がなくなる。朝日が昇り始めたのだ。


「オレイカルコスの場所は分かった。急ぐ必要もあるまい。貴様はなぶり殺しにしてやる!」


 オルチはその巨体を揺らし、エンリケを一方的に殴り始める。

 能力の使えなくなったエンリケは、ただただその猛攻を受け続けるしか出来ない。

 ……どうしよう。あとちょっとなのに……。

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