第二十話 ロワール川で真剣レース
そろそろビスケー湾かしら。
東に見ていたイベリア半島の海岸が、今は南に見えている。セウタを出て丸三日、ついにイベリア半島の北、ビスケー湾に入った。それにしても想像以上の速さね。
「本当に、エンリケ様の力には御見それした」
「いやいや、能力だけじゃない。あの凛々しく気品高きお顔も、育ちの良さが伺える」
私の後ろでパラディンたちが剣の稽古をしながら、それぞれにエンリケをもてはやす。
当のエンリケはそれが聞こえてか、見張り台で顔をにやつかせている。
「ちょっとあなたたち。随分エンリケを買いかぶりすぎなんじゃない?」
我慢ならず、私は二人の会話に口を挟む。
「いやいや、そんなことはないですよ」
「左様、マリア嬢の主人は大変ご立派な殿方です。ご謙遜なさらず」
こいつら、まだ私がエンリケの使用人と思ってるのね……。
「あいつはね、海賊勝りの粗野で乱暴で、か弱いレディに対して慈悲の欠片も持たない、ゲスな男なの! あいつのどこが凛々し――」
そう言ってパラディンたちの顔を見る。
あれ、こいつら……この二人、案外。いや、結構いけてる?
よくよく見ると、長髪のほうは透き通った綺麗な肌に、大きな瞳。長いまつ毛に面長の整った顔立ち。
セミロングのほうは、やや幼さの残る童顔。でも鼻筋のしっかりとした美少年。ちょっとやだ、二人ともかなりのイケメンじゃない!
なんか意識したら、照れてきちゃったじゃない……。
それはそう。生粋の箱入り娘の私は、男なんて知るはずもなく。リシャールとだってダンスで手を繋いだ程度よ? 恋のABCどころか、小文字のaさえ経験ない。
意識したら、それは気にしちゃうわよ……私だって公女の前に乙女なのよ!
「マリア嬢?」
「どうかされましたか?」
緊張して怖気づく私を心配して、パラディンたちが言葉を掛ける。
「いえ、あの。その……」
だめ……意識しちゃダメ! そうよ、私にはリシャールがいるのよ。なのに、私ってば何してるのよ!
意識を逸らそうと視線を下ろすと、その手に握る剣に目が行く。
「それにしても、すごい剣ね」
長髪がかざす見事な装飾の剣を見て私は言う。
「分かりますか? これは由緒ある聖剣、デュランダルです」
「デュランダル⁉ あのアーサー王の?」
「あはは、いえいえ。あっちはエクスカリバー。でも、このデュランダルはそれと双璧を成す名剣ですよ」
「なるほどね。あなたの剣も豪華ね。金の
豪華な剣を持つセミロングに聞く。
「はい、ローランのデュランダルに比べられると困りますが、僕の剣も負けず劣らずの名剣ですよ」
「マリア嬢、オリヴィエの剣オートクレール。かの円卓の騎士ランスロットの名剣である、アロンダイトなのではないかと言われているくらいの代物ですよ」
「どうりで輝きが違うと思ったわ。ローランとオリヴィエ、きちんと私を守れるよう、鍛錬なさい」
「え? あ……はい……」
そっか、この二人の名前、長髪がローランでセミロングがオリヴィエ。私を守るパラディンなのだから、ちゃんと覚えておかないと。
それにしても危なかったわ。ちょっとでも油断すると、意識しちゃいそうになる。結婚こそしていないけど、これでも婚約者のある身なのよ。しっかりしなさいマリア。
そう自分に言い聞かせながら、見張り台を見上げる。
エンリケは、まぁ普通に顔はいいのよね。でも全く緊張しないし意識もしない。あいつの場合、その全てを台無しにするくらい性格が最悪なのよ。
「お、街が見えてきたぞ」
「本当に、三日目に着いてしまうとは……」
エンリケの声を聞き、船首に目を向ける。そこにはエンリケの言うように、街の灯りが小さく見えている。
ローランとオリヴィエは驚愕の様子でそれを見る。
「パラディン諸君、例の川はどこかね?」
「は、はい。僕が誘導します」
私はオリヴィエの案内通りに舵を回し、船は海から川に入る。
ロワール川。確かに大きな河川だけど、海に比べたらとても……。私は川のうねりに沿って、どうにか操舵するが、そんな懸命な姿にもエンリケは風の力を緩めようとしない。
「ちょっとエンリケ、少し減速してよ!」
「ばぁか、俺の力は夜明けになると使えなくなっちまうでしょ。それまでに着かないと計画がパーになっちまう」
「分かってるけど、私だってもう手がパンパンで……」
「あぁあ、少しは期待したのに、もう根を上げちまうか。やっぱりおとなしく、留守番してたほうがよかったんじゃないか?」
「ふ、ふざけるんじゃないわよ!」
私を誰だと思ってるのよ⁉ アルバ公女マリアよ! それが期待外れだ? 留守番だ? いい加減にしなさいよ! これでも奴隷船での一年間、おばちゃんに鍛えられたんだから! 見せてやるわよ、私の底力を!
「うりゃぁぁぁっ!」
「うお、急に威勢が戻ったな」
「へん、全然遅いわよ! あなたこそもっとスピード出せないの? まったく口だけの男ね」
「このアマ……よぉし、衝突しても知らねぇぞ」
エンリケも私の挑発に乗り、船はどんどん速度を増してロワール川をさかのぼる。
「うわ、どうしたのですか急に加速なんて」
「これはたまらん……」
ローランとオリヴィエは剣をしまい、必死にマストにしがみ付く。
「うおりゃぁぁ、もっと、もっとぉぉぉぉ!」
「このくそ、負けてなるか!」
パラディンたちをよそに、私とエンリケの意地の張り合いは益々加熱する。
「ちょっとあなたたち! 一体どうなってますの⁉」
たまらず船室からイサベルが、這いつくばりながら抗議をしにくる。
目の前に差し掛かる急なカーブ、船の速度を考えいち早く舵を切る。
あ、あれ?
ところが船は急に減速し、早く舵を切りすぎた船は岸に乗り上げる。
「ちょっとエンリケ! なんで減速するのよ?」
「いやぁ、時間切れのようだ」
辺りを朝の陽射しが優しく包む。どうやらエンリケの力が使えなくなったようだ。
「私の勝ちね」
エンリケに向かって私は声を張って言う。
「ふん、別に勝負じゃねぇし」
そう言いつつも、エンリケの顔の悔しそうなこと。
「ふふふ、そうよねぇ。子供じゃあるまいし、こんなことに悔しがる人なんていないわよね」
「だから、なんで俺が負けたみたいな言い方して――」
「お静かに!」
イサベルが私たちを制す。
「まったく二人とも一緒ですわよ。それにしても、どうしますの? このあとトゥールまで……」
周りを見ると、草原が広がっている。その奥に数えきれないほどの大きな岩が、ところかしこに乱立している。
「いえ、心配に及ばないようです」
オリヴィエが言う。
「ここはカルナックです! ちょうどトゥールとポワティエの間」
ローランも声高らかに言う。
「ここからトゥールまでは目と鼻の先、なんとも絶好の場所に到着したのです」
「結構なるようになったわね」
「もちろん、俺はここを目指してたけどな」
「嘘おっしゃい」
そんなやり取りをしながらも、とりあえず最初の段階がうまくいったことで、みな安堵の表情を見せ笑う。
そのさ中、不意に何かが飛んできて私の顔の横をかすめる。後ろを見ると、マストには斧が突き刺さっている。
え……?
それの飛んできた方向、甲板の上に誰かが立っている。
陽の光に照らされたその人物は、がっしりした体格で顎鬚をたくわえた男。怒りに任せた顔でこちらを睨み、その右手にはマストに刺さったものと同じ斧が握られていた。
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