第十八話 存在しないイスパニア

 イサベルの話によると、私の父、ネーデルラント総督だったガルシア・アルバレス、それだけでない。イサベルの父ヴィゼウ公も、他の貴族たちも、私たちも含めてその存在自体がこの世界にないと言う。

 数日前、カサブランカで私の姿を見たと言う船乗りが、リリア宮殿に謁見に訪れたと言う。そこに居合わせたヴィゼウ公とイサベルは、お父様とともに話を聞いてる途中、突然周囲が深い霧に包まれたそうだ。

 霧が晴れるとそこには他のみなの姿はなかった。イサベル自身はセビリアの王城、アルカサル宮殿の牢の中に居たと。


「そ、そんな……なら、お父様は、アルバ公はどこに……」


 私は涙で顔を濡らしながら言う。


「アルバ公だけではないわ。私の父上、ヴィゼウ公もまたどこにも姿はなく……」

「なんで言ってくれなかったの⁉」

「ノルマンディー公子と共に地中海に散ったと思われていたあなたが、一年ぶりに私の前に姿を見せた。正直、驚くよりも再開出来たことがたまらなく嬉しかった」

「それなら……それこそ、どうして……」

「だからこそよ! あなたのその服を見てすぐにピンときた。この一年、きっとどこかで辛い思いをして過ごしてきたのだろうと」

「……」

「それなのに、そんな思いをしてまでやっと帰って来れたのに。肉親の、母国の惨劇を告げるなんて残酷なこと、私には――」


 そこまで話すと、イサベルは堪え切れずに大粒の涙を流す。

 そうよ、彼女だって同じ境遇。だから敢えて私に冷たく当たって、その真実から遠ざけようと、彼女なりの優しさだったのよ。


「申し訳ない、聞くつもりは無かったのですが、ドアの前から声が漏れていたもので」


 そう断りを入れながら、アブドーラが入ってくる。


「話の内容から、イサベル様とマリアさんは何か訳ありとお見受けします。ですがそれ以上は詮索しますまい。どうかこの先は、私めに話させてください」

「助かるわ。そうね、この先はあなたのほうが詳しいかもね」


 イサベルはそう言って、続きをアブドーラに託す。

 その話によると、イベリア半島を支配するウマイヤ朝が極秘裏にフランク侵攻を画策していたと言う。


「どうもそこが腑に落ちなかったんですよ。我々のカリフ、アブド・アッラフマーン様は、それまでフランクとは良好な関係を築いていました。むしろ脅威だったのは、同じムスリムのアッバース朝のほうでしたし」


 ウマイヤ朝もアッバース朝も昔の王朝じゃない。それが実在してるってどういうことなの?


「それが急に侵攻なんて。その上わざわざグラナダがサラセン人たちに襲撃をされていると、嘘の勅使を送ってシャルルマーニュ陛下に援軍を要請して、それを迎え撃つなんて正気の沙汰じゃありません」


 そうよね、そこまでする意味が分からないわ。


「更にはこのセウタにある武器や火器、兵士や軍艦をすべて前線に編入するって急に言い出すんですぁ。こいつぁいよいよおかしいと思いまして、商会のほうで色々探った結果――」


 アブドーラは一連の真相を語る。

 商会の調査によると、それはウマイヤ朝の決断ではなかったと。バルバリア海賊の首領の一人、バルバロス・オルチの仕業であると。

 オルチは、セビリアのアルカサル宮殿に居たウマイヤ朝のカリフ、アブド・アッラフマーンを暗殺し、セビリアを陥落させたと。

 その事態を知ったフンドゥク商会のアブドーラは、あらゆるルートを使ってこの事実をフランクに伝えようと模索する。しかし肝心の船は新造したばかりのキャラック級一隻しかない。途方に暮れているところに、ローマ皇帝の末裔まつえいを名乗るネロの一団がやってきた。


「藁にもすがる思いでした。どう考えてもローマ皇帝なんて、怪しさしかありませんでした。でも一刻も早く、オルチの所業を伝えないと、国同士の取り返しのつかない問題に発展すると。今にして思えば、なんと浅はかな考えでしたが」


 ネロの言葉をそのまま信じ、その一団を受け入れ、ことのあらましを説明して支援を求めた。

 しかしその説明で、街に兵士も武器もないことを知ると、ネロは態度を豹変させ傍若無人の振る舞いをする。手から火の玉を出し、街の砲台を破壊しつくした。すっかり怯えた民衆から宝石や貴金属、金目の物を根こそぎ奪い、略奪の限りを尽くした。


「その悪事になす術もなく。どうすることも出来ずに愕然とする私たちの前に、一筋の光が差したのはそのときでした」

「光?」

「フランク王国十二勇士のお二人とイサベル様を乗せた船が、漂着してきたのです」

「漂着ですって?」

「ええ。私も最初は驚きましたよ。帆に陛下の紋章が描かれ、フランク国旗をマストに掲げた船。なのにボロボロなんですもん」


 その船を見たネロたちは、更に金品を強奪しようと、降りてきた三人の前に立ちはだかる。が、瞬く間にねじ伏せられ、逆に制圧された。

 すぐにネロの一団をひっ捕らえ、牢に閉じ込めた。

 アブドーラを始め、街のみなは一行に感謝し、この商館に案内して最大限のもてなしをする。その中で、フランクに起きている異変を聞かされる。


「セビリアから脱出してきた?」

「ええ。先のウマイヤの勅使から援軍の要請を受け、慈悲深いシャルルマーニュ陛下は十二勇士と兵団を率いて、直々にセビリアにおもむいたようで」

「だって、フランクもブリタニアと一触即発の状態じゃない?」


 確かフランクとブリタニアは、シャルルマーニュ陛下の時代もかなり危険な状態だったはずよ。


「そこはノルマンディー公の強い進言があったようで」

「ノルマンディー公⁉ リシャールのお父様? って、さすがにそれはないか……」

「え? うぅんと、名前なんだったかな……」

「ギヨーム公爵です。失礼、盗み聞きするつもりはなかったのですが、なにしろドアが開いてるので、聞こえてきてしまい。マリア嬢が何者であれ、イサベル様のご友人ならば信じます。ここからは、我らに説明させて下さい」


 パラディンたちが入ってくる。なにこの展開、デジャブかしら……。


「それを聞き入れ、陛下は我ら二人に留守を託すと、他のパラディンたちを引き連れ、セビリアに向かわれたのです」

「留守? でも、それならあなたたちはどうしてここに?」

「陛下がった一月後、ガヌロンの鷹が戻ってきたのです」

「ガヌロン? 鷹?」

「ガヌロンとは十二勇士の一人。私の父親代わりでもあります」


 長髪は唇を嚙みしめて続ける。


「鷹に文を括り付け、使いとして寄越したのです。彼は鷹の加護を受けていますので」

「な、なるほど……」


 加護って、別に戦いに特化したものじゃないのね。


「その鷹の首に付けられた手紙を読むと、血で書かれた文字で一言「セビリア」と書かれていました」

「血文字⁉」

「これはただ事ではないと。オリヴィエと共に、急ぎ海路でセビリアに向かいました。しかし、そこで待ち受けていたのはウマイヤ軍ではなく、バルバリア海賊たちとサラゴサ王を名乗るサラセン人、マルシルの軍勢でした」

「国王ですって⁉」

「ええ。オルチはセビリア制圧と同時に新国家建国を宣言し、その国王にサラゴサ出身のサラセン人、マルシルを擁立したのです」

「なんですって?」

「国を治めていたカリフを失ったウマイヤ朝は混迷を極め、オルチは結託していたサラセン人やバスク人たちと楽々とイベリア半島を支配して海賊国家を建国し、その勢いのまま今度はフランクに侵攻しようとしているのです」


 その情報はセビリアでバルバリア海賊とマルシルの軍勢を制圧した際に得たものらしい。そしてそこに捕らわれていた人々を解放した中にイサベルがいたと。

 ただ、肝心のシャルルマーニュ陛下や他のパラディンはなかった。どうやらやつらの拠点、後ウマイヤ朝の首都グラナダに捕らわれている可能性が高いと。

 ってか、むしろ……たった二人でセビリアを制圧⁉ さっきの変な力があったとしても、さすがに盛ってるわよね……。


「ところがそこに、グラナダからオルチの本隊が合流したのです。どう言う訳か、やつの部隊は倒しても倒しても起き上がって……二人ではどうにも出来ず、陸路を諦め再び海に出たところを狙われて船はボロボロに」


 そしてやっとのことで漂着したのがここ、セウタらしい。


「あとはアブドーラ殿の言った通り。ネロを捕まえ、この商館で互いの事情を話す上で、新造の船があることを聞きました。それを使い、再びセビリアに上陸しようと画策していると」

「ネロに船を奪われたのですわよね」


 イサベルが呆れ気味に話しに割って入る。


「面目ありません。話に集中する余り、外の火の手に気付くのが遅れ、よもやその船まで奪われてしまうとは。追って行こうにも、乗ってきた船もすでに燃やされ」

「ネロのあのおかしな力で、牢を破ったのでしょうね。一番あそこが激しく燃えていましたし」


 アブドーラは半笑しながら言う。とりあえずは、だいたいの話の筋は分かったわ。ただ一つを除いては。


「おぉい、そろそろ時間だ。出航するぞ」


 そう、この男よ。エンリケ。なんでこいつが国を動かすような話の席に、堂々と顔を連ねているのよ。

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