第一章 旅立ちのレコンキスタ

第一話 婚前舞踏会

「マリアよ、公子がお待ちだ。今宵は独身最後の晩餐会。我がトレド家の名に恥じぬ振る舞いをするのだぞ」

「承知しております。お父様」


 優しい弦楽器の音色が響く広間。その隅でお父様は言う。嬉しそうな、寂しそうな、そんなどちらとも言えない表情ながらも、口調はしっかりとしていた。

 久方ぶりに会うお父様。この日のために、わざわざアントワープからいらしてくれたのだ。長旅でお疲れでしょうに、無用な心配は掛けられない。どうか安心なさって。公女らしく、気品高く振る舞って見せますわ。

 そう、私は公女。イスパニア公爵、ガルシア・アルバレス令嬢マリア。先日、隣国であるフランク王国のノルマンディー公子、リシャール・ド・ノルマンディー様との婚約が決まった。

 名門と言えど栄枯盛衰。男子に恵まれず跡目のない我がトレド家にとって、フランク王国の大諸侯である、ノルマンディー公ご子息の婿養子の縁談は、まさに渡りに船であった。

 独立の気運を見せるネーデルラントを牽制するため、その周囲を囲い込みたいイスパニア。そしてブリタニアと一触即発の緊張状態の中、西側の安全を保持したいフランクの思惑が一致した親善婚。

 だが実情は、跡取りの欲しいトレド家。そして領地を拡大する中、うちの家名が欲しい彼の家とで利害が一致した、家同志の決めた私情の政略結婚以外の何物でもなかった。でも私は満足だった。

 なぜなら、若干十六歳の私にとって十歳年上の彼はとても優しく気品に溢れ、何よりもその端整な顔立ちは、舞踏会で毎度貴婦人たちの憧れの的であったから。


「まぁ、ご覧なって。リシャール様よ」

「なんて凛々しいお姿なのかしら」

「いつ見ても気品に溢れた方ね」

「あの方の心を射止めるのは、どこのご婦人かしら」


 広間の反対に立っていた彼は、私を見つけると笑顔を見せながら、歓談する人たちの間を横切ってこちらに歩み寄ってくる。その場の貴婦人たちの目は、すぐさま彼の姿に釘付けになった。

 そんな婦人方の様子を見て、私はほくそ笑む。

 社交界では最年少。若さと美貌を兼ね備える私。それを妬むバカ女たちは、いつも私を子供扱いして嫌味の言葉を浴びせ続けた。

 でもそれも、彼という婚約者を得たことにより、一気に形成が逆転するのよ。

 

「あぁ、これはアシュフォード婦人。ごきげんよう」

「あら、マリア。お子様がこんな時間まで起きてるなんて、ふふ。大丈夫なの? もう眠いでしょうに? 早く帰って寝ないとほら、パパもママも心配なさるわよ?」


 せっかく私のほうから挨拶をしてあげたと言うのに。彼女は私を嘲笑あざわらいながら言った。

 予想通り、いつもの私を見下した対応。年増女が人をいつも小馬鹿にしてくれて。いいわ。あんたたちがいつも憧れていた、彼を紹介してあげるわ。

 私の数メートル前までやってきたリシャールに駆け寄り、その腕を抱きしめながら声を張り上げて言う。


「まぁまぁ、いつもご心配頂きありがとうございますね。ご紹介しますわ。お子様な私の婚約者、リシャール・ノルマンディー公子です」

「初めましてアシュフォード様。マリアがいつもお世話になっております」

「リシャール様……え? え⁉ ……ぁ、はい……」

「あらあら、いつもの威勢はどこにいったのかしら? 婦人も早く良き殿方を探さないと、手遅れに――あらまぁ、ごめんなさい。私ったら、ついうっかり」


 してやったりだ。今まで私を子供扱いして、さんざんバカにしてきたここのメス豚どもは、彼を婚約者だと紹介した途端、みな一斉に青ざめていった。

 そう、今日の舞踏会は他でもない。私と彼の、婚約発表の場として用意されたものだったのだ。つまり主役は私たち。

 私は自慢の赤毛をなびかせ、おろしたてのレース製の黄色いドレスを主張して歩く。

 これでもかと言うくらい、その場の婦人たちにリシャールを自慢して回る。今までの鬱憤を一気に晴らしてやるんだ。

 いつものように私を小ばかにしたいのに、リシャールの手前なにも言えない女。癇癪を起こして立ち去る女。恨めしそうに睨む女。その場に卒倒する女。どれもこれも愉快そのもの。

 セビリアを発って一週間、やっと昨日到着したバルセロナ。その長旅の疲れも、一気に癒されるわ。みんな私に敬意を払って、以後言動には気を付けることね。


 ワルツの演奏が始まった。みなの視線を集めながらリシャールは私の手を取り、広間の中央で共に踊る。踊りながら彼を上目遣いに見つめると、私は吐息をかけるように彼の耳元で囁く。


「ねぇリシャール。私、船を操舵そうだしてみたいの。お父様には内緒で、いいかしら?」


 リシャールは、やれやれと言った表情で了承してくれる。私がおねだりをすると、彼はいつでも聞いてくれる。

 生粋の箱入り娘だった私は作法や学問など、ありとあらゆる教養を身につけさせられた。まさに淑女として育てられたのだ。

 本は嫌いじゃなかった。ずっと屋敷と言う牢獄に捕らわれていた私は、外の世界にたまらなく魅力を感じていた。本はそんな私を色々な場所へ連れて行ってくれた。

 マルコ・ポーロの「東方見聞録」は私を黄金の国へ導き、プラトンの「クリティアス」は私に沈んだ都を見せてくれた。

 いつか、そんな素敵な場所に自分の足で行ってみたい。その為に船に関する様々な本を、片っ端から読んだ。そしてついに、その第一歩を踏み出すことが出来る。

 最高の家柄で最高の教養を身につけ、最高の伴侶を得た今、私の辞書に不可能という文字はなくなったわ。

 名実ともにイスパニア、いえ欧州一の貴婦人となった私。踊りながら眺める、その景色の素晴らしいこと。クソ女どもの羨ましそうな眼差しといったらたまらないわ。

 みな私に媚びへつらい、座してひれ伏すがいいわ。


――――今夜は最高の舞踏会――――




   *****


 一年後。


「ほら、ぼさっとしてるんじゃないよ! さっさと掃除を終わらせちまいな!」

「いったぁい、いちいち叩かないでよ……」

「なんだい? なんか文句があるのかい?」

「……いいえ」


 世話人であるおばさんに箒で小突かれ、ブラシで床を磨く。


「いいかい、それやったら次はモップ、あとは明日の食料の確認だ」

「えぇ、私一人……で?」

「他に誰がいるんだい⁉ こっちとら、ただでさえ人手不足で大変なんだ。明日には港に着いて、みんな船から降りる。そしてあんたたちも売られる。それまでの辛抱だ!」

「そうね。明日になれば……」


 そうだ、私明日売られるんだ。奴隷市場に――――って、どうしてこうなった⁉


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