𓄲 緑 𓄴
杉天井へ手を翻せば、
「もう
「鳥を
障子が怒気に開き、檀弓に夜着を奪われた。白緑の陽光を、翼と袖が舞い透かす。泣き腫らした目尻と肩を露わにされ、割座した私は衿ごと櫛に縋った。
「鳥を教えてくれた源進師匠は、孤児だった私を拾ってくれましたから。紀州藩主から八代将軍に成られた吉宗様の
檀弓は、白緑を映した瞳を見張る。
「蒿雀様は、国境付近の『天野山
「ええ。鑑札を手に、餌鳥を殺生に追って寺領にも踏み込める刺鳥刺は良い顔をされませんが、師匠は匿われていた貴人を見たそうで……」
小首を傾げた時、櫛を攫われてしまう。凍えた鼓動が、切を解いた微笑みで焚かれる。赤銅色の髪筋は、檀弓の染る頬を撫でた。
「蒿雀様は、源進様から
窓格子を覗けば、碧緑首の真鴨がゆく。山吹茶に和らぐ松並木と
「御手と櫛を穢してしまいます! 」
「初心な蒿雀様は清いのです。貴方に好かれても、今は不思議と……心地いい。金朱の色を纏うのは最後だからかな」
本当に柔い髪、と結び囁かれたのも幻聴か?
「女々しい蒿雀様には
はて、と見下ろす眼下。窓から飛翔した白鶺鴒を睨むのは、若衆髷の十五の少年。黒漆のような
「古巣からの追っ手です! に、逃げなくては! 」
「お前の隠などバレてるぞ、蒿雀! 」
階段を駆け上り現れた少年は、私を苛烈に睨む。
「どなたです? 蒿雀様」
「師匠の兄……鷹狩りの餌鶴を飼い慣らす
「忙殺の秋に西小松川村から探し回ったのに、兄貴分のお前は女と懇ろかよ! 表へ出ろ!」
刃風に、肌が覚醒する。角帯に潜ませた小型鳥銃剣で弾き返せば、
「網差から刺鳥刺へ転じた師匠と同じく、私は晴志郎とは家督を争いません! 加納家の養子にはならないのだから! 」
「果たし合いもせず、千歳緑の餌鳥札とお前を逃せるか! ……というか、例の女じゃないか」
晴志郎は嗤い、呆然とする檀弓の手を取る。二人の手が重なった刹那、
「蒿雀は執着したのか。代わりに任を果たしてやる! 」
「駄目です、晴志郎! 」
「離しなさい、青二才! 」
吠える嵐は檀弓を攫っていく! 不在の番頭を恨みながら疾走し、黄金の
「夜道に禍を鳴く【送り雀】の異名が泣くぞ、蒿雀。密猟者の偽刺鳥刺に堕ちれば極門だ」
鍵を弄ぶ晴志郎は、樹上へ跳躍する!
「それ以上言わないで下さい、
鋒で軌跡を追えば、眼前の霞網を切り裂いていた! ここは鳥の狩猟場か!
「鷹が狩った黒鶴を
「餌鳥札を見た時から、勘づいていました。私の最期が、蒿雀様だと」
網差は餌鶴と信頼を結び、鷹が狩る際に逃亡を遅らせる。裏切る為に壊れる愛情を敷くのだ。照準が揺らぐ私も、檀弓が羽合せてくれるのを待っていたのか?
「師匠が、吉宗様から『千歳緑の餌鳥札』と同時に賜ったのは『高貴な
「知らなければ、蒿雀様も私も……囲炉裏を囲めるでしょう。けれど私は、『金朱の鷺』という輪廻を灰にしたい。清い蒿雀様に、私を裁いて欲しいのです」
飴色の棗眼は、
「私は清くなんかない。私の心臓と同化した
後退した足が動かない。仕掛けられていたのは、水草の縄に塗った
「惻隠の情も、俺達の礎だ。だがお前は
飛び降りる晴志郎は、檀弓を刃先で狙う! 餌を撒けば、怯んだ彼を白鶺鴒は撹乱したのに――飛咲花と鉤爪が
「遺薫は、俺達の魂に溶けるんだ。
弟分を
「家督は継げずとも、いつか帰ります……晴志郎。生類憐みの世は去ったのだから」
「お前を案じる家族から逃げても、生業からは逃げんな……馬鹿兄貴 」
解放した晴志郎は、顰め面で涙ぐんでいた。私には刺鳥刺の業が遺されていたのだ。手鎖を解き、玲瓏なる眼閃で檀弓を射抜く。怯えた上目遣いで応える色風に、動悸の甘痛が扇られた。
「弱い私を許して下さい、蒿雀様」
引き腰は、
「金朱の鷺を殺す事も逃がす事も、私には出来ません」
「若松葉先に、霧雨の涙ですか。情けないんですね」
睫毛が、爪先に掬われる。檀弓は蛾眉を辛く寄せたのに、紅潮する頬を綻ばせた。真白へ滲む、朱色の光芒に溶ける。私は抱き寄せられ、唇に慰められていたから。この世ならざる温柔に、腹底から白焔に慄く! 華奢な身体を抱き締め、早鐘を
「お代が必要な、色なのでしょうか」
「馬鹿じゃありません? 蒿雀様が哀れだったから……」
飴色の瞳が揺らぐ檀弓は、私の早鐘に手を添えた。
「木の國を駆け抜けた、貴方に憧れたのよ。匿われていた私を知らなくても、蒿雀様は私と同じ緑を知っているの」
私はかつて、遠く霞む紺碧の山々を追い続けていた。黒樹は、
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