第43話 先輩とデート その2
「到着。河井くん。ここ」
甘越さんが指をさす。
そうして連れてこられた場所は、黒い箱みたいな見た目をしていて、店名がネオンで描かれている不穏な建物だ。
地下に繋がる階段が伸びている。
「甘越さん、まさかここはクラブとかいう悪質な輩が集う現代の阿片窟じゃないですか?」
「違う。似てるけど」
「似てる……?」
「薬物の方、違う。同じなの音楽」
「ライヴハウスってことですか?」
「正解。来たことある?」
「いいえ。でも、クラブって言われるよりは安心感ありますねえ。なんででしょう?」
きっと、クラブにはパリピ陽キャとドラッグとよくわからん重低音&謎ダンスというイメージが僕の中で強く結びつき過ぎちゃっているせいだな。
「じゃあ、行こ」
甘越さんに先導されて、地下への階段を降りていく僕。
再び地上へ戻ってくることができるだろうか?
そんな不安を感じてしまいながら、地下へと潜っていった。
★
それから約二時間後。
僕は、地下へ潜った時と同じ階段を使って、地上へと生還を果たす。
再び外へと出ると、それまで熱気で充満した部屋にいただけに、吹いてくる夜の風が心地よかった。
甘越さんが誘ってくれたライヴハウス内で行われていたのは、想像した通り、とあるバンドのライヴだった。
何の前知識もない、観るのが初めてのバンド。コアなファンを抱えるタイプらしく、ネットで何千万回も再生されるような耳馴染みのいい有名曲があるわけでもない。おまけに僕は音楽に詳しくもない。
普通なら、熱狂する観客をよそに一人冷めた顔をして棒立ちして時間を無駄に過ごしたと嘆きそうなものなのに、そうはならなかった。
きっと、隣にいた甘越さんを見ていたおかげだろう。
パンキッシュで刺激的なファッションで現れたものの、中身はやっぱり物静かで大人しいいつもの甘越さんは、いざライブが始まると、飛んだり跳ねたり拳を突き上げたり、周りの客と同じように合唱したり、それはもう「誰?」ってレベルのアクティブな姿を見せてくれた。
普段大人しい彼女を、そこまでさせるのだ。
同じく大人しい側の人間である僕まで熱狂に引っ張られて、甘越さんの横でぴょんぴょん飛び跳ねてしまった。
「どうだった?」
ライヴハウスから離れ、駅へ続く小道を歩きながら、甘越さんが訊ねてくる。
僕よりもずっと興奮していた彼女は、額にほんのり汗を浮かべた満足そうな顔だった。そりゃあれだけ堪能していたら、そういう顔にもなるよね。
「よ、よかったですよぉ、すごく! 初見のはずなんですけど、もう何度もライヴに足を運んでる馴染み方で楽しめちゃいました!」
「安心。好きの押し付けにならなくて済んだ」
照れ笑いを見せてくれる甘越さん。ライヴのテンションのあとだからか、普段よりずっと表情が柔らかい。
「きっと僕にも合ってたんですね。なんだか音楽は激しい感じでしたけど、歌詞の内容は陰キャの僕でも共感できるところあったので。不思議なバンドですね」
「うん。私も歌詞が好きなの」
甘越さんは深呼吸をするように目を閉じ、感慨に耽っているようだ。あまり長く目を閉じているようだったら危ないから僕がサポートしないと。
「昔。学生の頃ね。いつも聴いてて」
甘越さんにとって特別なバンドらしい。僕はそこまで入れ込んでいるものがないから羨ましい。学生時代から強い推しがいたのは、陽香さんだって同じ。僕の周りの大人は推しがいる率高いな。僕も引っ張られて何か推したいものができるといいんだけど。
「ライヴに行く。するといつも昔みたいになれちゃうの」
「すごかったですね。ワー! とかギャー! とか、いつもの甘越さんだったらあんな大きな声だしてぴょんぴょん跳ねるイメージないですから、僕も乗せられちゃいました」
「……そんな、跳ねてた?」
「そりゃあもう! 脚がパンパンになってないか心配なくらいで」
「大丈夫、だけど」
心なしか恥ずかしそうに、脚を手のひらですりすりして確認する甘越さん。
「……最近。痛みが遅れて、くる」
「ああ……」
陽香さんと同じ現象か……。まあこれは大人の女性なら仕方あるまい。あまり突っ込まないことにする。
「あのね。今日、きみを連れてきたのは」
もじもじする甘越さん。本当に、アクティブなのは格好だけで中身は何も変わっていない。
「我慢。しなくていい時をつくりたかったの」
「我慢……ですか?」
「きみはね」
「痛っ」
別に痛くはない。急に背中を叩かれてびっくりしただけだ。甘越さんの力だから、バシン、というよりは、ポンって感じの強さだった。
「普段。もね、もっと言いたいこと言うといいよ」
「普段……」
きっと、学校でのことを言ってくれているのだろう。
元々、甘越さんは、僕がバイト外のことで悩んでいることを察して、ここへ連れてきてくれたのだから。
「うん。きみはいい子」
いい子、と言って僕の頭を撫でるためか腕を伸ばす甘越さんなのだが、なにぶん背が低いため、僕の頭まで腕が届かない。背伸びをしてもギリで無理だった。仕方ない、ここはこっそり腰を落として……。
「むふん」
忖度に気づかない甘越さんは、頭に手が届いたことで満足そうだった。
「意見。きみのはね、ちゃんとみんなも聞いてくれる」
「そ、そうですかね?」
「きみは、慎重。たまには、殻を破るべき」
耳が痛い言葉だった。まあ僕の場合、慎重というよりは臆病なだけなんだけど。
「恥ずかしい気持ちは忘れるの。さっき、わーわーぴょんぴょんしてたみたいに。すると言いたいこと言える」
「もしかして甘越さんも、そうだったんですか? 学生時代からの推しバンドに勇気もらって、何か踏み出せるようになった経験があるんですよね?」
「……今も。そうだよ」
「今……?」
「助言。人にするの、苦手。でも、きみのために頑張らないとって思って」
このライヴに連れてきてくれたのも、きっとそのため。
学生時代の甘越さん自身と同じく、一歩踏み出す勇気を持ってもらうために。
甘越さんは饒舌なタイプではないから、こうして自分の経験を追体験してもらった方がいいと考えたに違いない。
そんな甘越さんの気持ちに報いたくて。
「わかりました! 最近ため息ばかりの僕ですが、暗い自分とはもうお別れします! 明日からは強気で行きますよ!」
「その意気」
ぱちぱち、と手を叩いたかと思ったら、今度はうっとりした顔をし始める。
「愉悦……。年上女性と高校生の恋愛……」
「恋愛は観る派閥の悪いところが出始めてますね……いい感じに無責任だ」
「きみは応援しがいがある」
「それは嬉しいですけど」
「年上女性。きっと学校の先生?」
「わ、鋭っ! あ、しまった……」
これじゃ自らバラしているようなものだ。陽香さんの名前を出したことはあっても、学校の教師だということは秘密にしていたのに。
「当たり? 教師を襲う若い性。教師と生徒。性による権威への反抗……ふふっ」
「かつてないほど楽しそうですね。さっきのライヴより楽しんでませんか?」
「続報。超期待してる」
「甘越さん、まさか純愛じゃなくてドロドロの方が好みなんじゃ。あいにく僕は純愛がしたい派なんですけど……」
「純粋に応援してるだけ」
ふふっ、と微笑む甘越さん。
ともかく、甘越さんのおかげで今後するべきことは決まった。
陽香さんとのことは他の誰でもなく僕の問題だ。
僕以外に解決できる人はいない。
僕がやらないで誰がやる、というやつ。
そうと決まった時の僕の心境はやたらと晴れやかで、教師と熱愛疑惑が過熱している学校でのことなんてたいしたことないと思えるくらい怖いものなしになっていた。
駅が近づいてくる。
「食事。これもお出かけプランに入ってる」
「なるほど。夜までかかるって言ってましたもんね。この際なので、ぜひご一緒させていただきたいです」
「りょ。わたしの行きつけ行く?」
「行きつけですか……?」
ファッションで驚かせてくれた甘越さんの行きつけ。店選びの趣味でも僕は驚かされてしまうのかもしれない、と戸惑うのだが。
「嘘。こどもには早いからファミレスね」
「ははは、まあ、ですよね。僕としてもそっちの方が安心しますし」
「大人になったら教えてあげる」
「怖そうなところじゃなければ、ぜひお願いします」
甘越さん発案の、「わるいこと」はもう少しだけ続くのだった。
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