骨姫(こつひめ)

ペアーズナックル(縫人)

骨姫伝説

 大昔。まだ科学よりも魔術が人々に信じられていた時代。ある村のはずれに一人の若き魔女が住んでいた。魔女は博学多才で仁義を重んじる人柄であり、己が治めた魔術を使って村の畑の土壌を改良して作付けを助けたり、また魔術を覚える際に培った薬草の知識を駆使して村の人の病の治療に当たったり、はたまた副次的に覚えた占術をもって、人々の相談に乗ったりしていた。


 そんな魔女が、ある日恋に落ちた。相手は村に住む若き青年だった。青年の家で育てている作物、滑々繰根すべすべぐりこんの品種改良の相談にやってきたのが馴れ初めであった。彼を一目見て以来魔女は何かと理由をつけて彼の元へと足しげく通うようになった。彼女が村に来るときは彼女でさえ直せない重病に苦しむものを看取るとき、と言われていた村人たちは、何度も姿を見せる彼女を見て心底驚いた。が、事の真相を知るようになると村人たちは大いに喜んだ。


 それから魔女と彼が夫婦の契りを結ぶまでにさほど年月はかからなかった。魔女は自分の庵に婿を招き、彼女の家に代々伝わる婚姻の紋章を彼の腕に刻んだ。そして互いの小指を鋭い刀で切り、その指を重ね合わせた。二人の門出を村人は大いに祝い、喜んだ。仲睦まじい彼らの姿を見て、この幸せは二人が置いて死ぬその時までとこしえに続くものだろうと誰もが考えていた。だが二人の幸せは長くは続かなかった。


 青年は、契りを結んで10年後に急な病に倒れて齢30という若さで死んでしまった。その病気は魔女でさえも治せない心の蔵の震えからくる発作であった。魔女は泣いた。長い黒髪を振り乱して大声を上げて泣いた。その鳴き声は村にも響き渡った。村一番のおしどり夫婦の片方がなくなって、悲しまないものは村には一人もいなかった。村は皆彼女の喪に服し、三日三晩悲しい雰囲気で包まれていた。


 しかし、現実を受け入れられない彼女はどうにか夫を蘇らせるべく、家に伝わる魔術書を片っ端から読み漁っていた。その中には、今では禁忌に触れる術を記した書物もあった。そしてついに、彼女はある禁書の中で気になる術を見つけた。


「(禁術)死者複製術:己がはらに紋を記し、死人の屍より心の蔵以外の肉を喰らいて三日三晩飲食を断つべし。四日目の朝に乾燥させた心の蔵を焙じた薬湯を飲み、悪阻が訪れれば、これを術式成功の証とす。」


 魔女は、この文章を写したうえでさらに禁術書を読み漁ったが、この術に勝るものはついに見つからなかった。よって、魔女はこの術を使って青年を再び生みなおすことにしたのだった。自分の体に紋を刻むのまでは良かったが、魔女とて人の子。死に化粧を施した青年の屍を切り裂き、喰らうのはいささか抵抗があった。だが、彼にまた会いたい、彼とまた愛し合いたいという彼女の心が生物的嫌悪感と倫理的罪悪感を上回った。人肉はとてもひどい味で全く食えたものではなく、途中何度も吐き出しかけたがそれでもなお彼女は喰らい続け、2時間かけて心臓以外をようやく腹に収めたのだった。


 そして、三日三晩の断食に耐え、四日目の朝を迎えた時、彼女は彼の心臓を焙じた薬湯を一気に飲み干した。するとすぐに、激しいつわりがやってきた。下腹部に熱を感じる。胎紋が熱を帯びているのだ。今ここに彼が、愛すべき夫が、冥界より自分の胎の中へと帰ってきたのだ。


「良かった……術式は成功したわ。また、貴方に会えるのね……嬉しい。」


 命を宿した腹をさすりながら、彼女は涙を浮かべて喜んだのだった。


 ・・・


 それから十月十日、彼は再びこの世に生まれた。魔女は生まれ変わった彼を自分の子として育てることにした。当たり前と言えば当たり前であるが、禁術で複製した彼は前世の記憶を有してはいなかった。だが、時おり彼は前世の夢を見るのだという。


「僕、物心がつく前からお母さんの事を知っている気がするんだ。僕が大人になって、お母さんと結婚して暮らしている夢をよく見てる。でも必ず夢の最後には、大人になった僕は死んじゃうんだ。僕が死ぬとき、お母さんがいつも泣いているの。だから僕も泣いちゃうんだ。」

「……」

「ねえ、お母さん、これっていわゆる、予知夢ってやつなの?」

「さあ、どうでしょうね、予知夢かもしれないし、ただの夢かもしれない。本当の事は、私にも分からないわ。」

「そんなのいやだ!僕はお母さんと離れたくない!僕はお母さんとずっと一緒に生きていたい……たとえ死んだとしても……僕は、お母さんからまた生まれたい!」


 彼は彼女に抱き着いた。彼女は優しく抱きしめた。記憶はなけれども愛は決して忘れていない。それだけでも彼女は嬉しかった。だがもし、産みなおした彼がまた短命に終わったとき、私はその時彼をもう一度産みなおせるのだろうか。産みなおしの途中で、死んでしまったりしないだろうか。一抹の不安に駆られた彼女は、陽が沈んだ後、再び禁術の書を開いた。そして任意の術を見つけると再び、己に禁術をかけたのだった。その術の名は輪廻りんね解脱術。有り体にいえば、不老不死の術である。


 それから10年後、彼が再び魔女と初めて出会った時の年齢に成長した時、彼女は全てを打ち明けた。これは彼女も悩みに悩んだ末での決断であった。だが、真実を聞いた彼は、動揺することもなく、あの時と同じように彼女に微笑んだ。


「ああ、僕はなんて幸せ者なんだろう。生まれ変わっても君を再び愛することが出来るなんて。」


 そして、魔女と青年は、再び、婚礼の契りを結ぶのだった。


 魔女の懸念は当たってしまった。契りを結んでわずか十年で彼はまたもや病に倒れてしまった。易占術を用いて調べたところ、どうやらこれはもともと彼に決められていた運命らしい。魔女の力をもってしても運命だけはどうしようもなかった。

 だが、あれ以来魔女もけしてへこたれることなく研鑽を積んでいるので、最初の時とは違い延命処置を施せるほどになっていた。


「あなた……ごめんなさい、私が出来る事は、あなたの延命だけで精一杯。あなたがこの歳で死に至る運命は変えられないの。せっかく、せっかくあなたを冥界から連れ戻したのに、また別れることになるなんて……」

「……いいんだ、僕は死ぬのは怖くない。だって、また君に会えるんだもの。君はその術ですぐに僕を呼び戻すんだろう。そしてまた君のもとに帰ってくる。なあに、ちょっと遠くへ出かけるだけさ。……でも、人肉を喰らうってつらいね。人肉って不味いんだろう?」

「ああ、それなら大丈夫。私もあれからいろいろと研究して、禁術を改良したの。貴方の肉はもう食べなくていいのよ。その代わりに……」


 すると、魔女は己の着物を脱ぎはじめ、横になっている青年にまたがった。


「あなたの”精”さえもらえれば、この術は完成するわ。」


 そういうことなら、と青年は自分も服を脱ぎ、ともにまぐわい、を行った。そして、精を出し尽くして果てた時、彼女の耳元でささやいた。


「じゃあ、またあおうね。」


 その言葉を最後に、彼は魔女の腹の上で再び死んだ。それと同時に、彼女の胎が僅かに熱を帯び始める。ああ、彼がまたここへ帰ってきたのだ。彼女は胎紋をさすりながら、優しいまなざしでささやいた。


「おかえりなさい。あなた。」


 ・・・


 それからまた長い年月が経って、村人たちの魔女に対する印象はすっかり変わっていた。この時、新たに発足した統治政府の政策によって産業革命がおこり、科学が発達し、その恩恵が村にまで回ってくるようになる一方、古代から信じられてきた魔術などはたとえ目の前で披露して見せても迷信だ、と切り捨てられるくらいには人々の関心が離れていった。そういう時代背景もあったにせよ、婿に取った青年の死以来全く年を取らなくなった村はずれの魔女と、その青年との間に出来た、一人息子を皆気味悪がるようになっていた。


「あの女とその子供、どうして全然年を取らねえんだ……?俺が物心ついたときには既にあの姿だったぞ。気持ち悪いな……」

「俺が子供のころに見た時、あいつの子は俺より背丈が大きかったんだ、ところが、俺が成人してからあの子を見たら、なんと赤ん坊になってたんだぜ! こんな不思議な話があるかよ……?」

「この前、私が山の方へ行くときに彼女とすれ違ったのよ! まあ気味が悪くてしかなかったわ!」

「あの魔女がいるせいで、この村にいくら工場を誘致しようとしても資本家たちがおじけづいて全く誘致できねえ!俺たちだって好きであの女と一緒にいるわけじゃないのに……」

「ああ、早く出て行ってくれないかなあ、あの魔女親子。はっきり言って迷惑だ。」


 とうの二人は村人たちの陰口は気にもせず、月に一度食料を買い込む時以外は村に無用の出入りはしないようにしていたが、ある日、ついに村の長が意を決して彼らの庵に入り込んできた。


「これは、村長。よくお越しくださいまして。」

「挨拶は結構。私はあなた達にお願いしに来ました。」

「はて、お願いとは?」

「今すぐに、この村を出て行ってもらいたいのです。」

「はあ……?」

「貴方がいるお陰で、我々の村は何度も大きな商機を逃してきた。周りの村はみな近代化が進んでいるのに、我々だけが一向に進んでおりません。すべてはみなあなた達のせいなのです。今まではあなたの魔術で助けられてきた恩もあって私も見逃していましたが、もうこれ以上は、私が許しても村民が許さないでしょう。引っ越しに伴うお金は全て用意します。ですから、どうか、この村を出て行ってもらいたい。」

「……」


 二人は、長く生まれ育った村を出ることを惜しんだものの、出ていかなければおそらく今よりもっとひどい仕打ちを村人にされるだろうと考えて、村を出ることにしたのだった。荷物を馬車にまとめて、新天地へ向かう際に村を横切ったのだが、村人たちの中で誰一人見送るものはいなかった。皆厳重に家の戸を閉めて、その隙間からこっそりとこちらが村を出るのを今か今かと待っている。


「お母さん、これから僕らは、どこへいくの?」

「そうね……もう私たち以外の、誰もいけないようなところに住みましょ。そこならもう、追い出されることはないわ。」

「ずっと二人っきり?」

「ええ、二人っきりよ。」


 5回目の生を受けた青年は喜んだ。魔女も微笑みながら、長く育った村を後にした。それが、この村における最後の彼女の姿となった。

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