scene(7,Ⅰ). getFilesByName("事態は動き出す");

 ヘレンの『自殺病』への処置が終わったとリザから言われた。クロエは手術の様子を遠目で見ていたが、たしかに滞りなく進んでいるようだった。

「後は縫合だけだからロボットに任せるよ。安心してな。あ! あとキミさ、結構な感じだったけど、この子とはどういう関係? 彼女?」

 処置用のマスクや手袋を外しながら、リザが下世話に聞いてきた。絶対、さっきのキスについてだろう。キスという行為は、思念通話を開く際のエルドリウム交換のために行う行為でもある。エルゼノアでは特別、重たい意味がある。だからリザが揶揄ってきたのだ。


 誰のせいでこうなってると思ってるんだ。クロエはあからさまに渋い顔を向けたが、リザが揶揄うようにこちらをチラチラ見てきて、悪気が無さそうで頭にくる。

「……今は違うけど、オレにとっては大事な存在だ。あんたが『自殺病』にしなきゃ、見せる必要もなかったよ!」

 苛立ちを隠さずにぶつけると、リザは驚いたように目を見開いた。それから考えるように視線が上方に泳いで、ああ、と呟く。

「そうだよね、ごめん。またやっちゃったか。アタシ、研究バカジャンキーでさ、よく人のこと怒らせちゃうんだよね。不快にさせるようなこと聞いて悪かった」

 リザは笑みを引っ込めて、ぴしりと立ってから慇懃に頭を下げてきた。


「ジャンキーって……こんな所に縛られててもか?」

「うん。好きなことをやらせて貰えてたからさ、正直あんまり不満なかったんだ。おかしいよね。本当、悪かったよ」

 本当に悪いと思っていそうな顔だった。クロエは今になって、ヴァンテが彼女のことを〝変人〟と呼んだことを納得していた。悪人ではないが共感能力に欠けているし、好きなことの為に何でもやる奴だ。自覚はあるらしいのが、また厄介だった。


「ねえ、アタシもキミ達の反乱に付いていってもいいかな? 邪魔にはならないよ、こう見えてそこそこ動けるんだ。ここ数一〇〇年の軟禁でちょーっと鈍ってるかもだけど!」

「ええ? まあ、いいけど。換装身体、ちゃんと偽造№のやつにしてくれよ?」

「あ、アタシ、生身のままだからいらないんだよね。あっでもI№の情報は差し替えないといけないな、行ってくる!」

 了承するやいなや、リザは急いでサティ達のもとへ駆けだしていく。

 

「生身? ……声が若いけどな。でも数一〇〇年って……」

 クロエは首を傾げたが、今は考えずにおく。ヘレンも心配だが、下層階やボスは大丈夫だろうか。湧き出る不安に押し潰されそうだった。ロボットに身体を縫われても眠ったままのヘレンを見る。無事に戻ってきてほしい。そう思わずにはいられなかった。




 同時刻、下層階。

 二回の爆発のあと、下層階西側のスラムエリアで二勢力が対峙していた。住民たちは爆発によってロストラエリアに集中しており、巻き込まれる心配はない。

 ボス、アウリス、腕を縛られたまま連れられるアナスタ。一ブロック分の距離を開けて、ノフィア、少数精鋭の軍部隊。両者は睨みあっていた。


 屈辱に耐えかねたのだろう、アナスタが舌打ちする。

「俺はまだ解放していただけそうにない? それとも、ここで殺す気ですかね?」

「なワケねぇだろ、返すってアタシが言ったんだからよ。まあ、ちょっと待ちな」

 ボスはそう答えてやるが、内心そろそろ限界だな、と思っていた。これは時間稼ぎだ。クロエ達がヴァンテの仲間を救って合図を送ってくるまで、戦いになることを避けるためだった。


(早くしろ……まだか? クロエ)

 ボスが奥歯を噛みしめていたその時、一発の銃声が響いた。どこからか撃ちこまれた銃弾はアナスタを縛る縄を掠り、拘束を解いた。

「あぁ? ……はは!」

 自分が逃げられることに気付いたアナスタは、縄を引きちぎってからボスへ殴りかかろうとし、咄嗟に護衛たちが車椅子ごと引き寄せた。その間にボスが周囲へ視線を巡らせるが、銃弾を撃ったのが誰かはすぐに分かった。

 上層階からの飛行輸送機。スラム上空に留まったその中から、兵士の援軍が降りてきていた。軍部はついに、本腰を上げて仕掛けてきたのだ。


「キャンベル! あの赤眼女のせいで捕まっちまうとは予想外でしたが、これで思う存分やり合えますねぇ!」

 アナスタはボスを仕留め損ねても気にする風もなく、嬉しそうに言った。ノフィア達のもとまで走って退いていく。

「ちっ、予想外に早まっちまったね! アウリスは家屋を盾にして戦え!」

「了解!」

 護衛達に車椅子ごと引っ張られながら、ボスが指示を飛ばす。アウリスとノフィアの銃撃戦が始まった。


 下層階よりさらに下。地下廃墟層内、研究所。

 ヴァンテもまた上層階からの知らせを待っていた。彼の身は、上層階フォロ・ディ・スクラノ内の研究所に軟禁されている仲間の命により縛られている。仲間が解放されることが、ヴァンテが自由に行動する絶対条件だ。

『報告、エリア4で発生した火災を対処完了。原因は爆発物への引火。軍部へ報告を上げますか?』

『いや、いい。ご苦労様』

 環境維持ロボットからの伝令に、ヴァンテは頭の中で応える。報告を上げようが上げまいが、総督は自分の反攻に気付くだろう。きっと仕掛けてくるはずだ。


 そのとき、何かが資源分解槽に向かって落下してきて、大きな音を立てた。見覚えのある換装身体。上層階で捕らわれていた仲間たちの使っていた換装身体、これが合図だ。ヴァンテはすぐさま駆け出して、研究所内を全力で走り出した。


『ディー! 分解槽の濃度五〇%増加! リュアとニンフは遷移エレベータ前で待機。バンシ、戦闘準備。ピグ、下層階エリア6に通じる天井を開口!』

『了解しました』

 走りながらも思念を通じ、廃墟層の支援ロボット達に指示を飛ばす。普段は廃墟層の生活環境保全と研究支援を行っている機械達だが、以前から隠れて何機か命令を書き換えて準備をしていた。指示した通り、廃墟層の天井の一部————つまり下層階の底面が収納されていき、天地が通じる。


『ルフは落下死亡した人間の清掃。あ、もちろん銃火器類は資源分解槽に入れてね。サラはもし助かった兵がいれば収容。ハンはディーと連携してエルドリウム絞っといて。ヴィラ、例の兵団よろしく』

 ヴァンテは指示を投げながら走っていたせいか、一瞬足元が縺れて転げそうになるのをどうにか踏み留まった。長年の運動不足が祟ったな、と後悔したが、必死に足を進める。一秒でも早く、上層階へ急がなければ。

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