scene(6,Ⅲ);
上層階の三分の一を占める軍部支配地域、〈フォロ・ディ・スクラノ〉。広大な敷地を利用した最新技術と環境の中に身を置けるのは、軍人だけの特権だ。
〈フォロ・ディ・スクラノ〉内の研究施設裏手から、輸送業者らしき黒肌の中年女性が、ガラガラと台車を押している。施設内の通路は三次視像すらなく、研究員たちはさぞ気が滅入るだろうなあ、といらぬ同情を感じていた。
「おい、それどこからだ? 輸送ロボットはどうした」
警備兵がそう言って、輸送業者の女性に対して銃を向ける。
「アルトワからです。精密試験必須の軍用種体だそうで、ロボットだと煩雑に運ばれるからって人間のご指定をいただいたんです」
「ふーん。そう。ま、転ぶなよ」
兵士は説明を受けるとあっさり納得し、道を開けてくれる。どうも、と礼を伝えて、輸送業者の女性は台車を押して通り過ぎる。しばらくの間、台車の音だけが響き続けていたが、ある通路を曲がったところでぴたり、と止まった。
女性は積まれているコンテナを退け、一番下のコンテナ内の換装身体をいくつか避ける。中から覗いたのは緑の髪。
「出て来ていいぜ」
「ありがとうございます、クロエ様」
いくつも重なった換装身体から身体を捻り出すのが辛そうだったが、サティが何とかコンテナから這い出る。黒肌の中年女性の外見に換装したクロエが、コンテナに顔だけ突っ込む。
「お嬢は、もう少しそのままで頼むな」
コンテナ奥に縮こまっているヘレンが、こくり、と頷いた。上層階、クロエの実家までは本来のヘレンのままだったのだが、それ以降はやはり『自殺病』の症状が出てきてしまった。狭い所で心苦しいが、いったん隠れて貰っている。
「ヘレン様、少しでも良くなればいいのですが……」
サティが心配そうに呟く。ヴァンテからは研究所にいる〝リザ〟という人間になら、『自殺病』を治せるかもしれないと伝えられていた。
「まあ、まずは作戦を完遂しなけりゃあな」
「はい」
クロエとサティは壁に張り付くようにしながら、通路奥まで進む。時折I№がスキャンされている感覚が走るが、偽造I№チップを使っているので素通りできる。角を曲がった突き当りに広い部屋が見えている。小窓から忙しなく動く研究員と、軍兵の姿が見えた。
「敵は……六名ですね。全員武装しています。研究員も六名。僕だけで確実に斃せるのは二名……でしょうか」
サティの位置からでは壁が邪魔して内部が見えない筈なのだが、すらすらと内部状況について述べて行く。クロエはきっと、たぶんヴァンテが作ったなんたら技術なんだろう、と思い込んだ。この部屋の研究員たちが全員ヴァンテの仲間なのかは分からないが、少なくとも残り二名は探しに行かなければならないので、出来るだけ騒ぎにせず済ませたい。
「あ~……そんなら土産があるぜ」
クロエがにやにや笑いながら、サティに見せたのは手榴弾。ターゲッティング可能な追尾式・エルドリウム吸収弾と、閃光手榴弾だ。
「……それもスキャン妨害と改造を?」
「アルトワ社は、悪い方々にもご贔屓にしていただいてまして……」
クロエの実家、アルトワ社は【塔】建設以来の歴史を持つ老舗だ。その顧客ネットワークは善悪問わず、【塔】全域に及んでいる。軍事用兵器の開発や、危険物の取扱までを手広く請け負っていた。
「使えそうですね。こちらお借りしても?」
「勿論、いいぜ」
「では、私が先陣を切ります。クロエ様は、後背を突いて投げてください」
「あいよ」
言うが早いか、サティは駆け出して警備兵に襲い掛かる。斬りかかるのと同時に、閃光手榴弾が放たれ、部屋じゅうから呻き声が上がる。
クロエは追って出て、こちらに背中を向けている兵士にエルドリウム吸収弾を見舞った。手榴弾は空中で破裂し、付近の兵士数人のエルドリウムを吸い取る。軍兵士ならほぼ確実に換装身体だろう、エルドリウムが枯渇すれば動けないはず。
「このっ!」
エルドリウム吸収弾を逃れた兵士のひとりが、クロエに銃を向ける。咄嗟に通路側に戻った瞬間、壁に多数の銃創が刻まれた。間一髪に冷や汗をかく。銃撃は斬り伏せる音とともに止み、次いで悲鳴が聞こえた。サティが今の兵を斃したようだ。
「侵入者か!」
ところが、危機はまだ去っていなかった。クロエの背後から兵士が現れる。見逃してしまっていたが、クロエ達が進んで来た道中から枝わかれした先に小研究室があり、そちらから異変を察してやって来たのだ。
やべーな、と声に出る前に兵士の銃口がこちらを向く。相手はもう引金を引くだけだ。クロエは上着のポケットから小型機器のようなものを出し、ボタンを押す。兵士の撃った銃弾はクロエの頭部に向かい、きん、という音を立てて弾かれた。
「
タネに気付いたところで、兵士はサティによって背後から斬り伏せられた。クロエが小型機器を押すと、前方で傘のように展開していた透明な膜が消える。サティが剣を数度振って血を払ってから、こちらに歩み寄る。
「それもご実家の?」
「いや、これは市販の防犯グッズ。一瞬しか出ないんだけどな、買っといて良かった」
してやったりと笑うクロエにサティが微笑みを返す。
そこへ、捕らえられていた研究員らしき人物が、額を掌の付け根部分でトントン叩きながら近付いてきた。先ほどの閃光手榴弾が効いているらしい。
「お前達、何者?」
怪訝そうではあるが、たいして警戒をしている様子はない。研究員は外見的には女性に見えたが、声色は男性に近いものだった。アッシュグレーの髪に刻まれた赤のハイライト。服装も派手かつ個性的で、浮世離れしている雰囲気があった。
(……変人って、そういうことか?)
クロエは内心、納得していた。換装身体のプリセットを操作して、外見を平時使っているものに戻してから、握手の為に片手を差し出した。
「ヴァンテの遣いだ。オレはクロエ、こいつはサティ」
「ユリアスの……あいつ、面白い遣いを寄越したね。アタシはリザっていうんだ、宜しく」
リザは合点がいった様子でニヤリと笑ってから、左手をクロエ、右手をサティといった具合に握り、二人と同時に握手をした。効率的だが、前評判通り少し変わっているな、とクロエは僅かに首を傾げた。
「オレ達はあんたらを解放しに来た。代わりにリザ、あんたに『自殺病』の仲間を助けてほしいんだ」
「へえ! 反乱か? そう言うの大好きだよ。仲間も連れてこっち入りなよ!」
リザはちょっと話しただけで、すっかり乗り気のようだ。早々に研究室に戻って、うきうきと手招きしている。
クロエは通路奥に置いてきたコンテナと台車を取りに戻る。やっとヘレンを『自殺病』から救えるかもしれない。はやる気持ちが、脚を急がせた。
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