ReferenceError02:Heren is not defined

 眼が明いた。


 ヘレンは信じられない心地で暗闇を見ていた。記憶があいまいだが、狭い箱状の何かに閉じ込められて居たはずだった。身体が動かせたため、腕で蓋を押し上げて、そのまま横へ落とした。久方ぶりの照明で目が眩んだ。


 視界が回復するにつれて状況がわかり、戦慄する。自分が閉じ込められていたものと同型の箱が、だだっ広い密室空間に数十、いや数百と並んでいたのだ。蓋が開いたり破られているものもあれば、未だ固く閉じられたままの箱もある。

 ヘレンはひとつ横に並んでいた箱の蓋をとり、中身を確認する。人間が横たわっているが、すでに死んでいる様だった。身体は冷えきっていて脈も無い。

「父さん、母さん……アノン…………」

 ヘレンは無心で、残っている箱の蓋を開け続けた。

 脈を取っても動いている者は見当たらない。すでに中身がないこともあった。蓋を開けた人々はどこへ消えたのだろうか。蓋の開いている箱の周囲を確かめると、裸足の足跡が複数重なっていた。それらは同じ場所を目指すかのように集中していき、この広い密室から唯一、外界に繋がる出口に向かっていた。


「!」

 そのとき、手元で外した蓋の向こうに、見慣れた顔が目に入ってヘレンは息を呑んだ。

「とう……さ……」

 震える手先で頬に触れる。冷たい。突き動かされるように横隣に並んでいる箱も開き、同じように頬に触れて、がっくりと俯いた。


 残っている箱の中身はすべて開いたが、あとひとり。大事な人間が見つけられていなかった。

「……っ」

 ヘレンは意を決して立ち上がり、ぺたぺたと足跡のうえを歩いて辿っていく。扉を開いた先は長い廊下があるだけで、別棟へ繋がっていた。人の気配はないが特別汚れてもいない。始めはばらばらと散らばっていた足跡が、やがて一本の線のように細くなっている。気味が悪い。

 普通、何かしら研究施設にしろ資材庫にしろ、横に逸れる通路が巡らされているものだろうが、足跡が辿る道はまったく分岐先が無かった。まるで、この道だけを通るよう仕向けられているように。敷かれたレールのような一本道を歩いて行く。緊張で汗が頬を伝う。淡々と歩き続けていると、道行く先に信じられないものが目に入った。

 アノンだった。彼女もまた換装身体ではなく生身に戻ったうえで、狭いバルコニーのような箇所に立っている。


「アノン姉さん‼」

 ヘレンは思わず声を上げ、彼女の元へ走った。もう会えないと思っていた大事な人に、また会う事ができた。あまりの嬉しさに顔も綻んだが、アノンとの距離が縮まるほど、違和感が大きくなっていく。

 アノンは間違いなくヘレンの方を見ているが、全く目線が合わない。表情豊かでよく笑っていた彼女が、茫然として思慮のない顔をずっと浮かべている。なにより、何度叫んでも返事をしない。

「姉さん……?」

 嫌な予感に苛まれて、ヘレンは急いだ。アノンは徐々に、バルコニーの奥側に近付いて行く。近寄ってようやく分かったが、開口部の奥は何もない。他の建物の姿も奥方に見えているが、付近を避けるように距離が開いていることを考えると、開口部の先は空洞か穴になっているのでは、と考えられた。

 アノンは開口部の最端に辿り着いた。彼女はぐっと身を乗り出し、気休め程度に備え付けられた柵を越える。足がふわりと、浮く。

「っまさか、姉さん! やめて‼」

 ヘレンがようやくバルコニーに足を踏み入れた瞬間、アノンの身体は反転した。悲鳴をあげて懸命に伸ばした手は、空を掠め、何もつかめなかった。あとは、落ちて行くアノンの姿を目で追う以外にできることは無かったのだ。

 予想していた通りバルコニーの真下は空洞に、もっといえば廃棄口になっていて、地下まで直結している。アノンの身体が、下層階に繋がる穴へと吸い込まれていった。


「ねえ……さ……」


 呆然とつぶやき、バルコニーにへたり込んだ。

 俯いた視線の先に廊下から続いていた足跡が目に入る。横道に逸れたものはない。全員、アノンと同じ末路を辿っている。それに気づいた途端にぶわっと汗が噴き出して、堪えきれずに吐いた。


 ——ざざッ、ざざざ……




 ぶつりと、再び意識が途絶えた後。次に目に入ったのは、どこかの工場の倉庫だった。あの施設からどう脱出したのかは分からない。

 出荷を待つ換装身体が積まれているなかの、軍用種体を手に取っているようだった。アノンがよく使用していた女性型の軍用種体。


「アノン……私が、アノン。私は姉さんだから……死んでいない」


 ヘレンは右腕を伸ばし、ぐるりと捻って上向けたり逆にしたりして、うっとりと笑う。換装身体を着けた自分を眺めていた。換装身体は本来、エルドリウムさえあれば簡易的な操作ひとつで入れ替えできる。だが、いまヘレンが行っていることは正当な購入ではないので、I№で弾かれて換装できない。


 だから彼女はパーツひとつひとつを生身から剥がして、無理やり接着していった。当然ながら、辺りは血塗れになっていた。軍で習った緊急治療術アトリを外で使ったのは、これが初めてだった。



 ——ざッ、ざざ……



 また意識を無くしていた。ヘレンの意思と身体の自由は、もはや無いに等しかった。

 ただ、つぎに瞳を開いたときには、何故だか身体がひどく痛んだ。痛みの原因を考えているうち、やけに世話焼きな女に廃墟層まで付いてこられて、助けられた記憶が蘇る。ドジを踏まれて自分も痛手を負ったところまで思い出すと、怒りがふつふつと湧いてきた。例の女もどこか打ったらしく、目の前で痛みに喘いでいる。

 考えるより先に、感情が声に出た。


「アンタ! 誰か知らないけど、何で私と一緒にいるの。ここは何処よ。あいつらは?」

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