scene(4,Ⅲ);
「クロエ様! クロエ様!」
浮上する手段を失い、逆さまに廃棄口内を落ちて行く三人。サティはクロエの傷口を押さえながら、肩を揺すって呼びかける。しかし意識は失われたままだ。顔は青白く、撃たれた傷跡は拳大に抉れて酷く出血している。
エアブーツを扱える技術を持つのがクロエしか居ない以上、彼が気を失っているかぎり、廃墟層の床に叩きつけられるか資源分解槽に入って死亡する未来が待っている。一向に意識を取り戻さない様子を見て、サティはほかに打開策がないかと考えを巡らせ始めた。
そのとき、無抵抗に落下し続けていたヘレンが動いた。
空中という環境に苦戦しながらも、泳ぐようにしてクロエに接近して左肩を掴んだ。自身の右掌を肩ごと大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろす。
ばっっちぃいん、という痛々しい音が廃墟層へと至る穴のなかに反響した。
「起きろ!!!!」
ヘレンは、クロエの耳元で大声で叫んだ。
これまで平静を崩さなかったサティも、思わず理解できないという顔でヘレンを見た。
「て……めぇ、悪魔か‼ 暴力女! 気が狂ってんのか⁉ いや、そうだったな!」
クロエは叫んだ。
依然、顔は青白いままだが流石に意識が戻ったようで、容赦なく叩かれた左頬を抑えて泣きそうになっている。
「起きて早々うるさいわね。弾丸を取り出すとまた意識が飛ぶから、いったん傷だけ塞ぐわ。アンタはエアブーツを起動させて。死にたくなければね」
ヘレンは迷惑そうな顔で文句を言った後、撃たれた横腹の傷、サティが覆っている上から手を重ねた。ヘレンの身体からエルドリウムが集まり、光を灯す。クロエもその様子をじっと見ている。
「ねえ、アンタ……そこの緑の。エルドリウム貸してくれない? 少し足りないかも」
「ヘレン様、申し訳ございません。私は換装身体ではなく生身の肉体のため、余剰エルドリウムの積載がほとんど無いのです」
「チッ、役立たないわね。まあ文句を言うべきは製作者の方ね」
サティに悪態をつきながらではあるが、ヘレンは治療を続けた。一体どのようにしているかは不明だが、クロエの腹の傷は徐々に塞がっていく。そうする間も落下は続き、着々と廃墟層の底面が近付いてきている。
「魔術……か?」
「まあ、その一種ね。
「え……?」
エルドリウムは無から有を創り出せるが、それらの現象を魔術と呼ぶ。市民の多量の魔術使用は禁止となっており、基本的に軍人だけが魔術を扱っている。言い終わる際にヘレンが小声で囁いたことを聞こうとしたが、彼女は鋭く睨んできた。
「もうすぐ終わるから、ブーツの準備しなさいよ。出来ないわけないわよね? プロのライナー様」
ヘレンは笑ってみせる。嘲笑にも近い挑戦的な笑みを向けられ、クロエも釣られて笑いが零れてしまった。
「そこまで言われちゃあ、なあ!」
治療を終えた、という証のように、ヘレンが両手をクロエの身体から離す。
その瞬間、クロエはエルドリウムで命令を飛ばしてエアブーツの燃焼機関を起動させる。以前に落ちてきた時のようにいくつか起動操作を省略し、反重力噴射を行う。サティの身体を脇に抱え直していると、ヘレンの方は自分で背にしがみ付いてきた。少しの間だけ、目をつぶって深呼吸する。
「行くぞ!」
ブーツを急速噴射させる。落下中、ここまで逆さに向いていた三人の身体がぐるり、と逆転した。そのまま落下にかかる力をブーツの浮上する力で相殺しようと、ブーツからの噴射を続ける。前回と違って今度は三人分だ、これだけ落下していれば浮上するまでに時間がかかる。さらに、下層階の天板から落ちた分の距離もある。
落下スピードの方が上回り、廃墟層の床面に辿り着くまでに換装身体に耐えられない衝撃が与えられた場合、死んでしまうだろう。資源分解槽に落ちたら最悪だ。
廃墟層は目前に迫っている。クロエは懸命にブーツを吹かせる。落下速度は少しずつ緩やかになっていく。サティは相変わらずの仏頂面で、ヘレンの方は緊張した面持ちで足元を見ている。
廃墟層の底面が、まるで大砲でも撃たれて飛んで来るかのようなスピードで、接近してくるように見える。着地までに相殺できるのか誰にも予想できなかった。クロエは歯を食いしばった。
ブーツの足先は、底面の間際ギリギリでふわりと浮き上がる。瞬間、クロエは安堵の息を漏らした。間に合ったのだ。
「……っはぁ、やったぜ……」
ブーツを停めてゆっくりと地に足を付けると、抱えていた二人を降ろしてやる。ヘレンは降りてすぐに『まあまあね』とでも言いたげな、ニヤついた笑みを向けてきた。クロエは思わず苦笑を返すほかなかった。
「クロエ様、ヘレン様。ありがとうございました。主人がお待ちの筈です。クロエ様は動けないと思いますので、まずは何処かお休みになれそうな場所を探して参ります」
サティはてきぱきと喋って、研究所に向かった。クロエはブーツを止めて地上に降り立った。傷を塞いだとはいえ、まだ銃弾が体内に残っていて治療を必要とする状態だ。ヘレンが肩を貸して抱えてやった。
そんな時、研究所側を背にして、何者かが暗闇からぬるりと姿を現した。先日ここで出会ったばかりの人物、ヴァンテだった。
「……」
「ご主人様」
サティは意外そうな声をあげて、ヴァンテに近寄って行く。常から疲れた顔ではあるが、いつもよりどこか緊張した面持ちのヴァンテは、無言のまま一言も発しなかった。上半身くらいまでを闇の中から抜け出したようにして、姿を現している。
ヴァンテのこめかみ横あたり、暗く何も見えないが————闇の中から、黒く光る銃身がのっそり現れて、最後に撃鉄が引かれた。
一瞬の出来事。狙いはヘレンだった。彼女を庇うために、クロエはみたびエアブーツの噴射を利用して、ヘレンの脚を蹴って後ろへ崩れさせた。肩を借りるために乗せていた手でヘレンを引っ張り、背後にむかって共に倒れる。銃弾はヘレンの肩を掠めて切り傷を作ったものの、直撃を避けた。
だが誤算があった。背後にあるのはただの床ではなかった。廃墟層の中心の広い範囲を占めている、資源分解槽。ふたりの身体は液体へ吸い込まれ、水飛沫を立てながら落ちて行った。
「っ、クロエ様、ヘレン様!」
サティは背後で起きた出来事に驚き、急いで資源分解槽の際まで駆け寄った。液体の向こうを眺めても、既にふたりの姿は見えなくなっていた。
「あっはは! 小僧、ご苦労だったな。
銃身が前に進み出て、銃を握る手、腕、顔、という順に、暗闇から男の姿が現れた。
「アナスタ殿……」
サティが、男を見て静かに呟く。
「ユリアス。やつらが自分から始末をつけてくれて助かったな。資源分解槽に落ちたら身体と魂が分離されて、還るだろ。お友達は残念だったが、お前もこれに懲りたら、もう無駄な抵抗をしようとするなよ」
ノフィアの頭領・アナスタは、資源分解槽の方を向いたままのヴァンテに対し、肩に手を置いて励ますように言った。対するヴァンテは、まるで表情を作るまいと努力しているかのようにして、何も言わず、何も示そうとしなかった。
アナスタはヴァンテから手を外して、暗闇の中へと戻る。付き従うように靴音が複数鳴り響き、徐々に離れていく。
「……」
ヴァンテはなおも無言のまま、資源分解槽へと視線を向ける。ふたりが落ちて行った後の水面は静かで、波紋がいくつか起きているだけだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【用語解説】
・魔術:エルドリウムは無から有を創り出せる。そういった現象を魔術と呼ぶ。現在では市民の多量の魔術使用は禁止となっており、基本的に軍人だけが魔術を扱っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます