scene(3,Ⅲ);

 ボスから告げられた話の内容を、クロエはうまく呑み込めていなかった。全て繋がっている、とはどういう意味なんだろうか。

 しかしボスは視線を合わせようとせずのんびりと煙草を吸っている。こちらの疑問に答える気はなさそうだった。ボスの肺に煙が深く吸いこまれる。吐き出すのと、ふたたび喋り出すのが同時だった。


「……ノフィアもその娘を探してる。アナスタの野郎がこの辺りを嗅ぎ回ってるのも見たぜ」

 ボスが口にした名は、クロエにとって因縁深い人物だった。思わず眉間に皺が寄る。

「アナスタ……あのド腐れオートマタ野郎」

「ああ。アナスタは馬鹿だが、脳と心臓以外……脊髄ももう機械になったんだっけか? あの身体だけは厄介だな」

 ボスもまた、忌々しそうに顔を顰めた。


 下層階で活動する犯罪組織・ノフィア。法と警察が存在しない下層階を取り仕切っているのは、ボスの組織〝アウリス〟、そしてアナスタの〝ノフィア〟だ。ノフィアは暴力や脅迫、非合法の営利活動を行うゴロツキの集まりだ。軍部が背後で糸を引いていて、実質的に彼らの小間使いになっている。

 下層階をまっとうに守ろうとしているアウリスと、暴力に訴えて軍の言うままに金を貪るノフィア。この二つの組織は縄張りを争って対立している。アナスタはノフィアの現頭領。全身を機械化しているともっぱら噂の人物だ。


「じゃあ、事が起こる前にひとつ教えておいてやる。その娘は現代の人間じゃない。過去から来た」

「はっ……?」

 突拍子もない話がボスの口から飛び出して、クロエは思わず目を丸くした。

「その娘が、ヘレンが受けていた実験は……」



 ボスが言おうとした瞬間、建物全体を突然、爆発音とともに大きな揺れが襲った。


「なんだ⁉」

 クロエは慌てて、隣に掛けるヘレンへ覆いかぶさるようにして庇う。同じようにして、護衛の二人はボスを守っている。部屋には必要最低限の物しか置いていなかったお陰で、倒れたり飛んでくるようなものはなかった。

 地震は最初の大きな揺れ一回のみで、すぐに収まる。クロエは周囲を見回して危険がないことを確認したのち、窓硝子へと駆け寄った。この建物のすぐ傍で、ロストラの街が燃えて黒煙を上げている。

「街が……!」

「どんな状況だい?」

「近くで爆発があったようで、街が燃えてます!」

 クロエから状況を聞いたボスは、無言で車椅子の手摺を膝置き部分をトン、トンと叩く。

「……ここはエルドリウム機器を遮断してる、クロエ達も地下から上がって直接ここにいた、ってことは……狙いはアタシの方か。こうなっちまったら仕方ねえな……」


 ぶつぶつと呟いたあとに、ボスは護衛に早口で何か指示した。護衛の一人が車椅子の背中側を操作すると、銃が何丁か取り出されて、ボスに手渡される。拳銃なんか比にならないような物騒な火力の散弾銃だ。

「おいクロエ。てめェ確か、ベレッタ持ってるよな」

「一〇発しか撃てないっすけど」

「てめェが助けたんだ、その娘を守れるな?」

「何とかします」

 クロエが落ち着いた口調で答えると、ボスはニヤリと笑った。


「地上にはノフィア達が居る。非常階段を降りてくと、三階から外に出られる。そこから逃げな」

 ボスはクロエが何か言おうとするのも聞かず、すぐさま車椅子を旋回させ、背中をこちらへ向けたまま叫んだ。

「言っとくが、お前らはもう巻き込まれたんだ。戦うか、今まで通り俯いて見ないことにして、そっぽ向いてるかだ。覚悟決めな!」

 それだけ言って、ボスと護衛達は慌ただしく立ち去ってしまった。


「ボス……」

 クロエは呆然と呟く。戦えと言いながら、逃げろとも。結局庇ってくれている。相変わらず、言葉の荒さに反して優しい人だ。


『今まで通り俯いて見ないことにして』————ボスはクロエの本質を見抜いていた。下層階で生きるために、『自殺病』もノフィアの横暴からも目を背けてきた。ヘレンを助けた今はもう、逃げられない。立ち向かえ。そう言われた気がした。


 クロエは持ち歩いている拳銃を取り出し、上部のスライドを引きながら、窓硝子から街の様子を窺う。炎上している範囲はこのビルから数ブロック先で、先ほどの音からしても爆発物を使った襲撃だろう。クロエ達が居る建物の入口付近では戦闘が起きている。

 襲撃者はノフィアのようだ。クロエは以前に関わったことがあるうえ、エアレースでよく知った仲なので、ひと目で分かった。

 しかし恐喝や暴力行為を食い扶持とする彼らといえども、アウリスとまともにやり合ったら、被害は尋常ではないはずだ。だからこそこれまで睨み合いで済んでいたのだから。ノフィアをけしかけたのが誰かは、明白だった。

「軍部……か」

 クロエは人知れず言ってから、椅子に座ったままのヘレンの元へ早足で近付く。

「階段行くぜ。付いてきてくれるか?」

 ヘレンは生気のない瞳で、こくり、と頷いた。







 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【用語解説】

 ・アウリス……ボスが管理する組織。自警団のようなもので、下層階の人々を守ろうとしている。

 ・ノフィア……アナスタが管理する犯罪組織。軍部と繋がりがある。

 ・ベレッタ……拳銃の一種。

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