第7話 増幅して、膨らんで、溢れて 1

「えへへ……大和の手をにぎにぎ〜」

「ちょ、梨花、くすぐったいって……!」

「ん〜? 大和は私と手を繋げて嬉しくないの〜?」

「う、嬉しくない訳、ないだろ……」


 夏休み、受験生にとって大事な朝の時間を贅沢にも部屋のソファーで彼女と手を繋いでいる。

 こんな時間が幸せでないはずがないのだ。

 嬉しくないはずがないのだ。


 しきりに俺の手を握っている左手を開いては閉じて開いては閉じてを繰り返して落ち着かない様子の梨花。

 そんな彼女の嬉しそうな表情を見て、嬉しくないはずがないのだ。


 だからと言って、梨花から何をされてもいいというわけではない───。


「じゃあ、もっとくっついてもいいよね! えいっ!」

「ちょ! どうしてそうなるんだ!?」

「どうしてって、大和とイチャイチャしたいからだよ? 」

「それはそうだけど……もっと段階をだな……!」


 ───彼女にはもう少し、節度というのを知って欲しいと思う。


 少なくとも、腕に体を押し付ける時くらいは何か一言あってもいいんじゃないか、と。

 しかも彼女自身、純粋な気持ちで行なっているのだからタチが悪い。


 大好きな女の子の体が腕に押し付けられていて、何も感じない男だと思われているのだろうか。

 細い体ながらも力強く、しかしそれでも女性らしさを残している彼女の体に、何も感じない男だと思われているのだろうか。


 だとしたら、それは間違いだと言ってやりたい。

『俺だって男なんだぞ』って言ってやりたい。


 言ってやりたいけれど、それ以上に何かある度に梨花の顔を見れなくなるのをどうにかしたい。

 そして、それが梨花に見透かされるのも……。


「もしかして、照れてる?」

「違……っ!」

「顔、真っ赤だよ〜?」


 ニマニマしながら俺の顔を覗き込む梨花。

 それと同時に梨花の体と俺の腕が更に密着し、より一層彼女の顔を見れなくなってしまう。


 そんな事も梨花には見透かされているのだろう。

「ね、照れてるでしょ?」

 そう言って、インカメラになった自分のスマホを俺に見せる梨花。


 梨花に見せられたスマホ画面には熟したトマトのような顔をした俺がいた。

「で、どうなの〜? 照れてるの? 照れてないの?」

「……照れてます」

 こうもしっかりと、見せつけられてしまえば、否定する事なんてできるはずもなく俺はあっさり諦める事に。


「なら、始めっからそう言ってよね〜。そしたら───」

 すると、梨花は俺が照れている事を待っていたのか。恋人繋ぎを続けている自身の左手の親指を、同じく恋人繋ぎをしている俺の右手の甲に添えてくる。

「もっと長くイチャイチャ出来るんだからさ」

 言葉を紡ぎながら、ゆっくりなぞり始める梨花。


「梨花……これは……?」

 右手に感じるこそばゆさと、それ以上の愛おしさを胸に抱きながら、俺は梨花に聞いてみた。

 なんで手の甲をなぞっているのか、と。


 すると、梨花はうっとりしながらその理由を答えてくれる。

「んー? これ? 部活の後輩がね、『彼氏にやってあげるといい反応してくれるんだー』って言ってるのを思い出して、ちょっとやってみたくなっちゃった」

「な、なるほど……」

 やってみたくなったのなら仕方ないな……。うん、仕方ない……。


 そう、自分に言い聞かせる。言い聞かせないと、壊れてしまいそうだから。

 その壊れてしまいそうな心を、彼女に同じことをやり返して落ち着かせようと俺は画策したのだが……。

「どんな感じかな……?」

「……気持ちいいよ」

「ならよかった」


 より一層、梨花の表情がうっとりするものなのだから、むしろ逆効果。


 これ以上のイチャイチャを求められたらどうしよう。


 そう考えていると、急に梨花が不安な表情を見せてくる。そしてその理由はすぐにわかった。


「それで、その……続きはなんて書いてあるの?」

「え? 続き?」

「手を繋いだ後の続き……私、全然わかんない……」


 手の甲を引き続きなぞりながらも、泣きそうになりながら俺に助けを求める梨花。

 途端に愛らしかった彼女が、子供のように可愛らしく見えるのだから不思議だ。


 だが、それ以上にいつもの梨花の一面が見られて一安心した自分がいたのだから、更に不思議だ。

「本当に分からないで押しかけて来たのか……梨花らしいと言えば梨花らしいけど」

 そんな事を考えながら、俺は空いてる左手で、手を繋ぐより先の行為を検索していく。

「えっと、ハグだってさ」

「よし、じゃあしよう!!」

「切り替え早いな」

 調べた結果を俺が口にするや否や、食い気味に反応する梨花。

「こういうのは勢いだよ、大和!」

「俺も梨花もどっちも初めてだっていうのに……。ほんと、梨花らしいよ」

 男の俺よりも男らしい彼女。それでいて可愛くて努力家で、ちょっと天然で……そんな梨花への好きが増幅していく。


 増幅して、膨らんで───。


「何よ、イチャイチャしたくないの?」

「したくないなんて、言ってないだろ」

「うわっっ……!」

 好きが溢れて、耐えきれなくなって、思わず梨花に抱きついてしまった。


 俺はすぐに正気に戻ったが、かといって彼女へのハグをやめるわけではなく、より一層強く抱きしめる。


「えへ……私、大和に包まれちゃってる」

「状況説明、やめてくれないかなぁ……」

「大和の心臓、バックンバックン動いてるのが分かる」

「だから状況説明をだなぁ……!」


 自ら彼女を抱きしめたとしても、イチャイチャの主導権が俺に移るわけではなく俺はまた、梨花に心を揺さぶられていく。

 しかも、さっきまでと違い、耳元で梨花の声を感じるのだから大変だ。


 そんな俺をなだめるように梨花は背中をポンポンと叩く。

「大丈夫だよ大和」

「……何が大丈夫なんだよ」

 正直、梨花が大丈夫だって言っている根拠が分からなかった。


 梨花念願のイチャイチャだというのに、彼女に振り回されっぱなしの俺が大丈夫な理由とはなんなのだろう。


 そう思っていると、梨花はハグの密着度をあげて耳元で『大丈夫』の理由を口にした。

「だって、私もバックンバックンしてるから」


 グッと押し付けられた彼女の胸元からは、微かに心臓がドクンドクンと響いているのが伝わってくる。


「ね?」


 ───『ドキドキしてるのは一人じゃないよ』と梨花が伝えたかった事も。

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