第6話 泥臭い手のひら、綺麗な手のひら 2

「ほら、手繋ご? 早くイチャイチャしよ??」

「いや、ちょっと心の準備が……」

「私を焚きつけておいてそれは無し! ちゃんと責任とって貰うからね!」


 八月初旬の日曜日の朝。

 俺はソファーの上で彼女である花園 梨花に迫られていた。

 頬を膨らませ、物乞いしく俺の右手をチラチラ気にしている、可愛い女の子に。


「焚きつけるって、俺そんな事した覚えないんだけど」

 梨花のあまりの可愛さに目を逸らしてしまいながら、彼女の言葉を否定した。


 焚きつける?

 俺が梨花の何を焚きつけたのだろうか?

 まるで意味がわからなかった。


 が、それはただ単に俺が人の感情を理解してなかっただけなのだと、すぐにわかる。


「私の泥臭い手マメを『だからどうした』って、一掃してくれたじゃない」

「確かにそう言ったけど、あれは別に焚きつける為とかそんなんじゃなくて、どんな手マメを梨花がつけていようが俺が梨花を好きな事は変わらないって事をだな」

「十分焚きつけてるじゃない。しかも、余計に」


 梨花の瞳には熱がこもっており、余計に直視しにくくなった。

 ど直球の恋愛感情。

 紛れも無いほどに、俺を好いてくれている表情。

 恋に恋い焦がれているような、乙女な一面。


 梨花の見せるそれらが俺には眩しすぎて、勿体無さすぎて、少し目を逸らさないと耐えきれないと思ってしまう。


 しかし、当の梨花は俺の悩みなんてお構いなく、距離を更に詰めてくる。

「で、大和は?」

「え、梨花……ちょっ───」

「大和は私と手を繋ぐの、嫌?」

 ドサ……っ。

 気がつけば俺は梨花にソファーの上で押し倒されており、目を逸らそうにも逸らしにくい雰囲気になってしまった。


 そして、真正面から見上げる彼女の顔が美しかったのは言うまでも無い。

 だが、それ以上に肩口からハラリと垂れたポニーテールが梨花の美しさに拍車をかける。


 更には、目の前に広がる薄手の服装。

 好きな女の子の無防備な姿に何も感じないほど、男を捨てている訳では無い。

 だからこそ、直視できなくて困るのだ。


 それでも、答えを求める彼女に何も言わないのも俺には出来なかった。

 だから俺は───。

「……嫌じゃないさ。ただ、ちょっと意識したら急に緊張してきて」

「意識? 何を?」

「梨花が……可愛い女の子なんだって事……」

 彼女の目を見つめながら、本音を吐き出したのだった。


 すると、途端に梨花の表情に明るみが増していく。

「ふふっ、あはははっ! 大和ってば、もしかしてそんな事で手を繋ぐのを躊躇い始めたの?」

「笑うなって! 仕方ないだろ、今までこういう経験した事ないんだから!!」

「じゃあ、今まで私のことどんな風に見ていたのさ〜」


 楽しそうだ。心の底から楽しそうだ。

 まるで、格好の獲物を見つけた猟師のように物々しい雰囲気を醸し出す。

 しかし、それは決して俺にとって嫌なものではない。

「……頑張り屋で、少し落ち着きがない女の子」

 むしろ本音を更に引き出すものであった。


「落ち着きがないは余計! でも、ありがとう!!」

 口調こそ強いが、反して表情は明るい梨花。

 その表情を見て俺は「あぁ、言ってよかった」と、そう思えてしまう。


 そして、押し倒していた俺をソフトボール部で鍛えた腕で引っ張り上げると、梨花はそのまま、耳元で囁きながら顔を近づける。

「で、その頑張り屋で落ち着きが無くて可愛い女の子の彼女とイチャイチャするのは、嫌なの?」

  

「嫌じゃないって……ただ、心の準備が」

それでも俺には勇気が沸かず、機会を引き延ばそうとした。

 そんな俺にヤキモキしたのだろう。いや、しない方がおかしい。

 しかし、予想外の言葉も飛んできて俺は驚いた。

「あーもう! 大和の意気地無し!! そこはこう……、度胸でガッって来てよ!」

「度胸でって……」

「ダメ……?」


 ここに来て、“度胸”。根性論。

 運動部の彼女らしいと言えば、彼女らしい。

 しかし、それだけ彼女が本気なのが伝わってきてしまう。


 それに加えて、押し倒しの次は上目遣い?

 どうして梨花はこうも、俺の心を揺さぶってくるのだろうか。


 答えは簡単だ……。好きだからに決まっている。

 俺だって、梨花の事が好きだしもっと、彼女を知りたいと思っている。

 そんな事を考えていると、自然と答えは決まっていた。


「あーもう、わかったわかりました! やるよ! やりますよ!! やりたいですよ!!」

「分かればよろしい」

「そ、それじゃあ……いくぞ……っ!」

「どーぞ」


 頭をガシガシと掻き毟りながら、俺は覚悟の気持ちを口にしていく。

 胸がバクバクし、今にも爆発してしまいそうだ。

 しかし、それに反して梨花の顔はしっかりと見ていられる。目を逸らしたく無いと、心の底から思ってしまう。


 そして、無意識のうちに俺は梨花の左手を右手で握り始めていた。

 手のひらを確認している時以上に感じるゴツリとした彼女の左手。努力の証が詰め込まれた梨花の左手。

 ほんのりと温かみもある彼女の左手に、俺は改めて実感させられる。


 ───あぁ、この子が俺の彼女なのだ、と。


 そんな彼女が俺との手繋ぎをどんな風に思っているのかと、考えていると梨花はニヤニヤしながら俺を見つめてくる。

 とても、熱っぽく……とても、意地悪な笑顔で。


「ん……ふふ……大和ってば手汗すごいよ〜? それに物凄く熱い」

「感想を口にしなくて、いいから……」

「いっぱい、ドキドキしてくれてたんだね〜。嬉しいなぁ〜〜」


 自分が自覚している事を全て言われて、物凄く悔しかった。

 しかも、それを強く言い返せない自分にも更に悔しくなり、そんな気持ちを梨花にぶつけようとしたけれど───。


「そ、そういう梨花こそいつも以上に落ち着きがないだろ……手がちょっとくすぐったいぞ……」

「大好きな大和の手をもっと感じたいからねぇ〜、そりゃ落ち着いていられないって」

「大好きって……」

「あっ、また手汗が出てきた。そんなに嬉しかった?」

「……当たり前だろ」

 逆に、やり返されてしまった。


「じゃあ、こんな事したら大和どんな反応してくれるのかなぁ〜?」

 しかもより密着度の高い手繋ぎ、“恋人繋ぎ”へと勝手に切り替えられてしまう始末。

 そんな事をされて、何も感じないはずもなくもなかった───。


「不意打ちは、ずるいって……」


 ひたすらに悔しくて仕方なかった。


 男なのに彼女に主導権を握られている事が。

 そして、これからの反応も彼女に全て知られてしまっているだろう事が。

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