春巻(6)

 調理台と食器棚に手を伝わせるようにして、軋む身体を引き上げる。

 見慣れた室内を染める色はどこまでも青い、夜明けの光だ。

 いつの間にか、雨も上がっている。

 リビングとダイニングは、掻き回したように全てのものの位置が変わっていた。

 ヒビだらけだが割れてはいない掃き出し窓を見て、少し首をひねる。

 ここからも外へ出られるような気がするが、使用が危ないという判断なのか、脱出といえば玄関という、人工知能にありがちな朴念仁ぼくねんじんだったのかは分からない。

 ともかく、とイグニスと掃除機と除草機とでこじ開けた、歪んだ玄関扉から外へ出て。

「――……なんッだこれ……」

 想定外の光景に、声を失った。

 イグニスの言った通り、家は傾いていて壁にはズレたらしいひび割れがいくつも入っていたが、家の外はその比ではなかった。

 物理障害が起きていると予想した西北西、玄関の北側には、家というより倉庫だろう小さな建物が食い込んでおり、建物の一部を潰していた。

 位置からいって、外部からの電線を引き千切った上に、壁の内側にあるはずの予備電源も破損したのだろう。

 家から離れるように歩いていくと、景色が変わっている。

 傷んではいたが道を成していた舗装は波打って地面をデコボコにし、あった空間がなくなり、なかった建物が現れていた。

 目を剥きながら更に敷地から離れ、振り返って、異常な光景の総合値がなんとなく測れるように思えた。

 たとえるなら、巨大な手が現れて、全てをガサッと片側に寄せたかのようだ。

 比較的広い間隔で建っていた家々が、押し寄せられて潰し合い。合間にそれを多少食い止めただろう雑木林も、多くの木々がへし折れて形を崩している。

 こうして見ると、工法自体が新しいせいなのか、自分のいた家はかなりマシだったことが分かる。

 道が崩れたところに敷地が差し掛かっていて、傾き、逆側にはやはり倉庫のような建物が食い込んでいるが、家自体は崩壊せず、ほとんど形を保っている。

 もう少し勾配を登って距離を取り、その最中に気がついたことは、また振り返って確信に変わった。

 人工台地の平面に家々が建つ場所だったのが、三分の一くらいは斜面に変わっていた。

 自分ではとても手に負えない大きさの被害に、しきりに動悸がする。

「……警察と消防、でいいのか、これ」

 助けを求める必要があるが、どこに向けるべきなのかと悩みながら、足元を確かめ慎重に家へと戻り始めた。

 まともに人が住んでいる辺りまででも歩いていけなくはないが、可能なら通信機器があった方が早い。ずっと使っていなかったウォッチやタブレットの端末があったはずだとか、どこに何があったか、何が可能かと頭を回しながら歩き。

 我が家を前にして、声を上げて手を叩きそうになった。

 予備電源が設置されている電源室の向こう、玄関から離れた車庫は潰れていなかった。中には自動運転車がある。

「よし、よしよしよし、もう勝ったようなモンだろこれ」

 知らなければ分からない位置にあるケースを開いて手動に切り替え、車庫のシャッターを上げれば、LDKには劣るともそれなりにブン回されたような光景になってはいるが、車自体、少なくとも動力部は無事でいそうだ。

 自動車には電源がある。まず真っ先に、そこから電力を取ってHGB023を再起動することも考えたが、機体に異常がないか確認せず起こしてショートでもさせたら終わる。

 落ち着こうと髪を掻き回して大きく息をつき。

 自動運転車はHGB023が運転する仕組みになっていて、当然そもそも通信機能がある。専門分野ではないが、これだけの材料があれば、どうにでもなるだろう。


 その日は、通報と状況の説明で一日が終わり、日が沈む前にやっと会社に連絡できた。

 専門の業者でなければ危険だから近付くなという警察と消防に内心はイライラしながら、その専門に所属していると説明し、会社に手配してもらって、とにかく何よりも回収が必要だったHGB023とイグニスを引っ張り出すのには、更に数日を要した。


 ひとまず転がりこませてもらったイノヴァティオハウジングの社内で、重機や輸送車を手配して。作業がやりやすいよう、社内で稼働している、前の型の人工知能で動かせるように接続した。

 陥没し傾いた台地でようやく仕事に取り掛かろうというところで、ちょうど現場を調査しにきていた警察関係者から、驚くというか、呆れるような説明を聞くことができた。

 ことの起こりは、何度かニュースにもなっていた、ブランド農作物だという。

 厳密には家が建っていた辺りではなく、その近くの農作地帯だそうだが、そこの土壌の成分が、特定の果物をつくることで健康だか美容だかに効果が見込めるという情報があったそうだ。

 数日おきにニューストピックにあがるからには、これを盛り上げようという勢力があり、それが当たると見込んだのだろう。

 その土を盗もうと考えた者がいたらしい。

 イグニスがそのニュースを読んでいた気がするが、要するに、かなり詳細な土壌検査が簡単で安価に誰でも利用できるようになり、どこそこの土ですと偽って手近な土を使うことはできなくなった。

 その土を使ってまさか農業をやるのか、単に土を売ろうと考えたのかは、これから聴取すると聞いたが、ともかく、話題の土地からそれほど離れておらず、しかもどうやら人目につかない場所だということで、自分の住んでいた土地が選ばれたそうだ。

 それが、本当に、物理の基本どころか常識から学び直して欲しいところだが、台地になっている土地の、いわゆる“ふもと”の場所が目につかないと考え、よりによって、そこから土地の下に向かって掘り進めたらしい。

 よく生き埋めにならなかったなと目眩がしそうになったが、とりあえず、盗掘作業に死者が出たかどうかは聞いていない。

 ともかく、人工台地の下は穴だらけになり、雨が続いて地盤が緩み、後は物理法則の基本通りだ。上にあった土地は下に落ち、斜めになった斜面を家々が滑り落ちた。

『彼らは人工知能と相談しながら作業するべきでした』

 経緯を説明した後に、前代機であるHGB022が寄越したコメントに、まったくだなと遠慮なく笑う。

 小型のロボットが数台、傾いた地面と自宅の調査に走るのを、少し離れた場所から腕組みで見守る。

 小型ロボットからリアルタイムの報告をHGB022で処理し、事前計画の通りで問題ないかシミュレーションさせて。

「まあ、既製品のプロテクト破って犯罪の手伝いさせるレベルのやつはいなかったんだろうな」

『抜け道ならいくつか候補を挙げられますが』

「やめろ」

 まだ向こうに警察いんだぞ、と笑いをこらえる肩が震える。

『樋口博士、シミュレーションが終わりました。事前計画に変更なく実行できます』

 お、と腕組みを解いた。

 作業着の胸ポケットからスマート眼鏡グラスを抜いて掛け、モニターくれとHGB022に指示して、重機を誘導する。

 重心が安定する位置に車体を留めさせ、伸びてくるアームについてHGB023の場所へと足を向けたところで、ポンと電子音が耳の後ろの骨に伝って弾んだ。

「ン?」

『園内博士から通信です』

「ああ」

 家族はいない。友人は少なくないが、SNSにはちょっと投稿できない事故について話せる相手はとりあえず絢人しかおらず、昨夜長々とテキストメッセージで愚痴ったのを、読んだのだろう。

「通信種別は?」

『一般的な3D通話です』

 スマートグラスのレンズの内側に、HGB022の音声と同じ内容が表示されるのを見ながら、少し考え。

 こちらはこれで充分3Dの映像を受け取れるが、カメラがない。

「なんか適当なアバター出しといてくれ。向こうの映像はその辺に座標固定で」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る