八宝菜(2)

 ゴーストタウンだという絢人の言葉は、比喩表現ではない。

 夏の間に胸の高さまで伸びた雑草がそこら中に生い茂り、近頃しおれはじめた向こうには、雑木林ぞうきばやしに浸食されかけている空き地がある。

 数十軒分の土地に、廃屋すらまばらで、この地区の住人は今のところ自分一人だ。

 まだ試作段階の自動除草機が、せっせと巡回することで、辛うじて保たれている街路を走り、区画を抜けていく。

 数軒先のまだ新しい空き家には、数年前まで住人があったらしいが、高齢者には便利な土地とはいいがたく、ここに来る少し前に最後の一軒が空になったそうだ。

 今や歴史の教科書で知るばかりの日本の、最後の好景気の頃に、資産運用の一環として土地の売買が流行したそうだ。

 売り買いできる土地を増やすために、多くの山地や丘を切り開き、またはここのように半端な勾配の土地を台地としてならすことで面積を確保して、日本中のあちこちで分譲地が造成されたらしい。

 現在の1.5倍の人口があったという当時でも、商業施設から遠く、インフラも半端な住居環境度外視で生み出された限界分譲地は、ついに区画すべてに家が建つことすらなかったようで、いくつか通り過ぎたような雑木林を成してしまっている。

 そんなゴーストタウンならぬ、ゴーストニュータウンは日本中にある。

 だが、と草むらを分けるようにして現れる景色を見るたびに思う。

 ここは、意外と人気が出る、少なくとも多くの区画が埋まることを目論んで選ばれたのかも知れない。

 人工の台地が途切れる眼下に、水平線が現れた。

 辛うじて車道のアスファルトが保たれているものの、脇にはこれまた草が伸び放題の下り坂を、やむを得ず車道にはみ出すようにして下っていく。

 視界を遮るものがないせいで近く見えるが、海まで走れば往復で30分程度の道のりで、有酸素運動はもちろん研究や仕事の気分転換にもちょうどいい距離だ。

 ゆるやかな坂を下りながらペースをつくり、身体をそこに乗せてしまえば、頭には先ほどの雑草がよぎる。

 枯れるに任せてしまうと、自然発火で火が出ることがある。試作除草機を改良せず、次も新設して併走させるか。

 自宅の周りだけ延焼しないように刈り取ってしまえば、後は地区ごと全焼してもスッキリしそうなものだが、さすがにその規模になれば、自分だけ無事の保証もないだろう。

 イグニスのプロジェクトが完成してしまえば、全自動住宅の自分の家では暇だろうから、と、そこまで考えかけて、口許が笑ってしまう。

 絢人に言わせればニュースでしか見ないレベルの最先端ヒューマノイドに、延々草刈りをさせるのもずいぶんな話だ。

 もちろん、イグニスは文句など言わないだろうが。

 人工知能、人工知能は、と。浮かぶ頭に、HGB023の管理下にあるだけでも数十機にのぼる、人工知能を搭載した機器が現れては消える。

 人工知能は、大雑把にいえば計算機だ。

 草刈り機は周辺の雑草を感知し、自機で処理できる草を刈って、能力を超える雑木や障害になった段差を記録し、HGB023にフィードバックしている。調理器は投入された食材を分析して調理し、洗濯機は洗濯物を分類する。

 それぞれの専業に見合った方程式を内在して、与えられた条件を当てはめ、演算の結果を処理に反映しているにすぎない。

 イグニスの顔が思い浮かぶ。

 人工知能は、計算機に過ぎない。

 それでも、草刈り機に顔を描いたら、自分は草刈り機を撫でてやっただろうか。

 川沿いを下りきり、舗装された道路を外れて海岸へ出た。重くなる足を踏み込んで、砂浜を走るのが折り返しのコースだ。

 波の音が思考を洗う。

 色褪せた緑とくすんだ街並みを抜け、視界を開くよう広がる海と空と、地上を繋ぐ砂浜が現れる。寄せる波のすそに泡の白さが浮かんでは、引く波につぶれて消え。

 短く切れる自分の息と、靴の裏で鳴る砂。

 くるくると表情を変えながら談笑する絢人と、穏やかに応じるイグニスの横顔が脳裏に蘇る。

 全身に染み渡る自分の命の律動が心地良く、その一切を持たない人造ボディを思い浮かべれば、こめかみが涼むような心地がした。


 帰宅して筋トレを終え、再びのシャワーで汗を流して。

 脱衣室で髪を拭いている時に、いよいよ降り出した雨の音に気がついた。

「イグニス、」

 姿を探して足を踏み入れたLDKで、少し室内を見回して。リビングから庭へ出る掃き出し窓のそばで屈んでいるイグニスに声を掛け、ドキリと心臓が跳ねた。

「はい、万理」

「なにやってんだ?」

 立ち上がってイグニスが窓を閉める、ガラスの向こうに自動除草機が見えた。降り出した雨が跳ねたのだろう、泥だらけだ。

「しばらく雨が続くようなので、除草機を軒下に移動させていました」

 何を動揺することもないのだが。

「そうか。まあ防水だから流されさえしなきゃ大丈夫だろうけど」

「はい、同感です。通信が弱いようなので、僕が中継して戻らせていました」

「ああ……」

 そうか、と自分に苦笑いしながら、まだ湿っている髪を掻いた。

「話でもしてんのかと思ったわ」

 ひとつ、ふたつ水色が点滅する。

「除草機には会話機能がありません。除草機の人工知能にアクセスして情報を得ることはできますが、除草タスクの進捗については、既にHGB023が受け取っています」

 そうだな、と頷きながら額をこすった。

 何をもって会話とするかによるが、仮に話せたとしても、除草機は草刈りの進み具合しか喋らないだろう。

 気を取り直そうと大きく息をついて、顔を上げる。

 八宝菜の、と言いかけ、やめた。

 まだ少し、夕食の準備には早すぎる。

 イグニスの瞳孔は点滅しておらず、灰色の瞳がこちらを見つめたまま、従順に何かを待っている。

 解りきったことだ。何か言いかけたのを理解しているせいだろう。

 鼻筋、唇、耳の下から顎に流れる曲線。

 視線でなぞり、指を伸ばす。

「イグニス」

 もう、あの歌手に似ているようには思えない。

 足を寄せて、距離を詰めた。

「はい、万理」

 首筋を覆うように掌で触れる。

 ほのかにあたたかいのが判るが、脈動はない。

 小指の付け根がジャージの襟首にぶつかり、先に目が吸い寄せられる。喉元まで上げられたファスナーの金具に、意識が張り付き。

「――ボディを見てもいいか」

 ゾクゾクと、鳥肌を立てぬまでも、自分の言葉に肌の裏がざわついた。

「はい。もちろんです。衣服を脱ぎますか?」

 えもいわれぬ興奮がある。

 こんな下らない、ひどく“ちんけ”な優越感。

 絢人が見たいと言った時、イグニスが何と答えたか、なんて。そもそも、その前に自分が命じている。

 解ってはいる。いつでも、すべて。

「いや、そのままじっとしてろ」

「はい、わかりました」

 彼の立場になったと仮定して考えてみれば、指導担当から仕事のチェックを受けるようなものだろう。

 布地を軽く押さえてファスナーを下ろすと、黒い生地が裂けたところから、裸の胸が現れる。

 下着を着けさせていなかった。別に、何もおかしくはないが。

 肩をはだけさせ、背に落とすように腕から抜いて、上着を取り去る。ソファに放り投げておいて、振り返り、先と同じように首筋に触れた。

 首の根から鎖骨を撫で、肩の先まで掌を滑らせて、皮膚と骨と、筋が表現されているのを確かめる。

 首筋ではほんの少し粘るよう、鎖骨の上では薄く、肩の下で波打つ骨格を掌に伝える、皮膚の繊細さ。

 サラリと滑らかな手触りは、しっとりと吸いつくような人間の肌とは、確実に何かが違う。

 胸に手を当てて薄くまさぐれば、厚みが手を押し返した。

「人工筋肉か?」

「今触れている場所ですか? 人工筋肉自体はありますが、おそらく、万理の手に伝わっているのは複合材による造形です」

 額の辺りで声が聞こえて、自分がイグニスの顔を見ていないことに気づく。けれど、顔を上げる気には少しもならない。

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