硝子の家から

朔之玖溟(さくの きゅうめい)

硝子の家から

 ――僕が喰われるか、あるいは君が喰われるか。そんな議論は意味を成さないよ。結局僕らに残された時間は、もうほとんどないからね。


 わたしが、友人の口から奇々怪々で馬鹿げた話を聞かされたとき、あまりにもかれが狂人みたく眼をギラつかせているものだから、思わず、


「どうせ、全部フィクションなんだろ」


 ところが、どうやらわたしにも思い当たる節があった。かれの話を強く否定したからこそ、それがかえって、わたしの奥底に眠る記憶を呼び覚ましたらしかった。狭い和室が、妙に歪んでいるように感じられて、卓袱台ちゃぶだいの大きさやら、縮んだ畳の隙間やらに、じっと眼を凝らしていた。

 わたしと目の前にいる友人は、中学を卒業したばかりだが、はやくも高校進学が億劫になっていた。お互いに、近辺の異常さに薄々気付いており、可能な限り遠方に逃げたかったからである。それもこれも、わたしたちの住む団地に引っ越してきた老婆が元凶だと思う。

 岐阜県のとある団地に、その女は越してきた。去年の秋冷から晩冬にかけての工事で、団地の車通りが多い外周道路に面して、その一軒家は建てられた。

 出窓、天窓、引き窓と、ありとあらゆる箇所に窓を設置しており、曇り硝子ガラスは一枚もない。浴室と思わしき窓さえ、透き通った硝子なのだと噂で聞いたことがある。

 周りとは不釣り合いなほど、近代的できれいな平屋だが、日光を好むにしても明かり取りの量が異常である。カアテンで、私生活を隠す気が毛頭ない。天気が好い日は、部屋のなかがよく見えて、内部を詳細に把握できる。中学生でも分かるほど、建築設計がおかしいのだ。

 二月中旬にその老婆は引っ越してきた。齢はとうに百を超えていそうで、しわとほくろだらけの顔面に、くっきりとした魚類を連想させる眼が付いていた。はっきりと眼を見開かせており、それと相まって病的なほど青白い肌はさながら生きた屍のようであった。

 中学卒業は三月中旬である。わたしは自転車で通学をしていたのだが、このときには必ずその外周道路を通っていかねばならなかった。


 ――今度は原さんとこの娘さんですって。


 卒業間近になって、名も知れぬあの女に、不穏な噂が立ちはじめた。老婆は人殺しだとか、とかくこのごろは行方不明事件が多発しており、なんでも、噂好きな連中によって事件と結び付けられていた。

 通学ルートも指定された。なるべく近辺の子と、登下校するよう指示もされるようになった。

 しかるべくして、わたしと目の前にいる友人は家が近かったために、一緒に自転車通学をして、次第に親しい仲となったのである。


「あの家っておかしいよな」


 どちらが先に言ったかは、覚えていない。しかし当然ながら、日々の話題は外周道路に面した奇怪な家についてだった。かれはいつも、あの家は気味が悪いと言っていた。

 窓、マド、まど――想像を絶する窓の量だった。わたしは視力が悪く、それでいて眼鏡を掛けたくないものだから、屋内にいる老婆の姿がはっきりと視認できない。

 しかしかれはあの平屋から、通るたびに視線を感じるのだと言っていた。だから先週の休日に、わたしに黙って老婆の家を観察していたらしい。


「次第に恐ろしくなってきた。壁にね、夕方だけマネキンが背をもたれているんだ。だからずっとこちらを見つめてくる。君も夕方に視線を感じなかったかい。でも、あれはマネキンでもなんでもない。アハハ、あの老婆なのさ。老婆は僕に気付いてどうしたと思う? あいつは、あいつはニヤリと笑い、べったりと顔を窓に擦りつけてきたんだ。そして人をさも旨そうに見つめて……ハハハハ、冗談さ」


 日が落ちて、すっかり辺りは暗くなっていた。かれの両親だろうか。電話機能のないチャイムが鳴った。

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