第3話 自分と、それ以外
静かになったのは一瞬で、すぐに爆発したような怒りとともに脳内でA子が声を荒げた。
(でもこのままだと死んじゃうんだよ⁉ だから死ぬの回避してあげようと思って!)
なんと恩着せがましい。
グロリアは目の前にA子の実体があれば、その口を永遠に黙らせられるのにと思った。
「無礼者が、なぜ上から物を言う。お前に指図されるいわれも、同情される覚えもない」
だいたい己の最期の惨めさや無力さなど、改めて言われなくとも知っている。
そう思いつつ一度めの人生の始まりからが終わりまでを叩きつけるように脳内に流せば、断頭台で血を流す首の断面を見て亡霊が震えた。
(なんで⁉ パパが自分の横領の罪をグロリアに押し付けたっていうのはエピソードになかったから知らなかったけど、こんな父親からなら逃げようって思わない⁉ あげくの果てに殺されて、こんな結末ならなおさら避けようって思うじゃん! なんなら今からだって、私の知識があれば平民として無事に生きていけるよ⁉)
「なぜ?」
きっと自分の「なぜ」は、さっきA子が発した「なぜ」と似たような調子だったろう。
紙に描かれた絵がなんなのか、与えられた立体物がなんなのか、聞こえた音がなんなのかわからない赤子のように、ただきょとんと首を傾げた。
あの結末を迎えないようにすることには同意する。グロリアだって無駄に死にたくはないし、一度目の失敗をなぞるような馬鹿なことはしない。けれど、
「なぜこの私が、逃げなければならない?」
A子の頭の足りない言いように、どうしてか怒りを通り越してしまったグロリアはただただ不思議に思って問いかける。
「異世界の平民女の手を借りて、この国の平民として隠れ暮らす? この私、グロリア・フォン・コードウェルが?」
婚約者がいながら不貞に走り、大した罪でもないものを大きく膨らませ、さらには己の罪を人になすりつけた者たちに怯えて逃げ出せというのか。
(じ、じゃあ、ほかの人と婚約して結婚したら? グロリアのママってどっかの国のお姫様だったよね? その伝手でエドワードよりスパダリな人ゲットして国を出たらいいじゃん!)
〝スパダリ〟という言葉を、先ほど見せられた映像と概念の中から探し出して答える。
「婚約者に裏切られて殺される未来を回避するために、他の男に自分の未来をゆだねる? ではその男がまた裏切って私を処刑台に送らないという保障はどこにある?」
人任せな解決策など取る気はない。
そのスパダリとやらがどれだけ有能でも、自分以外の人間に未来を託すことの危うさは身に染みている。
(二人の間に愛と信頼さえあれば……!)
愛? 信頼?
グロリアは鼻で笑った。
グロリアはグロリアなりに王太子を愛していた。
信頼関係を築こうと思ったからこそ、二人の間に入り込む聖女をいさめたのだ。
その結果が断頭台だった。
(んじゃやっぱ、パパと仲よくして犯罪を阻止したり、アランやメイドと仲良くするべきでしょ! ヒロインに優しくして王子たちの悩みを聞いてあげてって、そうすれば殺されなくてすむじゃん!)
「私はあの光景も、屈辱も、絶対に忘れない。あれに関わった者たちを許さない」
だからこそこのまま一度目と同じように父の元で暮らし、メイドをそばに置き、王太子の婚約者となって学園で学ぶべきなのだ。
グロリアだけが死んだ過去と同じ舞台で、グロリアだけが生き残る未来を目指す。同じ舞台に立つことこそに意味があるのだ。
子供特有の艶やかで、けれど少し頼りなく細い金髪をグロリアはうっとうしく思って手で払った。
「この世界は物語だとお前は言うが、私たちは今この瞬間に限られた設定だけを与えられて生み出されたキャラクターではない。この世界に存在している人間全員に過去がある。私にも、やつらにも」
たとえば父親には、優秀な弟と家督をめぐって張り合った過去がある。
長子が跡継ぎになるのが当然のこの世界で、一族の中から「弟のほうが当主にふさわしいのではないか」という声が出たことで、その気がない弟に対して一方的に張り合ったという過去だ。
王家から打診された〝隣国の王女との結婚〟を受け入れてようやく自分に足りない公爵家当主の素質を埋めることができた父は、弟への劣等感を煮詰めながら、〝足りない素質の象徴〟であるグロリアの母を疎んだ。
グロリアの母が病死したのちコードウェル家に迎えられた後妻、つまり義弟アランの母親は父の劣等感を刺激しない平民だった。愛ではない。都合よく側にいて、自分の好きにできる女だというだけで選ばれた。
それを敏感に察していた義弟は半分平民の血を持つ自分に自信がなく、その裏返しでグロリアを毛嫌いし、グロリア以上の権力と権威を持つ人間を好んだ。だから王太子と聖女にすり寄ったのだ。
グロリアのことを嫌悪するのは、何も幼少期のグロリアの仕打ちがだけが原因ではない。
隣国の王族の血を引く公爵家の娘という、非の打ち所がない血統の義姉が何よりも脅威であり憎かった。
「だからどんなに心を砕いたところで父は公爵家当主の座にしがみつくためならなんでもするし、アランは私が私であるだけで気に入らない」
彼らの持って生まれた性質が、ただ優しく接しただけで変わるわけがない。
厳しい自然の海を泳ぐ魚を捕らえて大きな水槽に放ち、魚に優しい環境を整えたとて、急に足が生えて陸を走り回るようになるわけがないのだ。
A子がどんなにグロリアのことを思って優しく今後を提案したところで、グロリアの〝差別思想〟は変わらないではないか。今も異世界とはいえ平民のA子と話していると気分が悪い。
「ああでも、さすがに死を経験して変わったこともある」
黙ってしまったA子に、グロリアは鏡越しにうっすらと笑いかける。
それまではコードウェル家や王族のことも、グロリアなりに大事に思っていた。
国のため、王家のためになるのなら聖女を愛妾として王太子に与えることも検討していた。公爵家を継ぐのがアランであるのも、半分はコードウェル直系の血が流れているのだからと納得したのだ。
けれど今は、王家にも公爵家にもそんな情はない。
平民と同じように思っている。
グロリアの中にある差別思想は、〝自分と、それ以外〟に変化した。
自分以外を大事にする必要性を感じない。大切に思う理由がない。
尊敬もできないし慈しむこともできない。信頼などもってのほかだ。自分以外はどうでもいい。
自分以外の存在に対して貴族だの平民だのと階級で分けることすら面倒だった。
だから全部まとめて踏み潰すことに、なんの躊躇いもない。
思想の本質は変わらないのだから、この考えは変化というよりも〝成長〟とか〝発展〟などと呼ぶべきものかもしれない。
そしてどうでもいい存在が一度目の人生でグロリアを死に至らしめたことが、実に不愉快だった。
「あの時の蠅の羽音を、私は忘れない。断頭台から転がり落ちた私の首を見て幸せそうに抱き合っていたやつらも、何も知らないくせに私の死を楽しんでいた群衆の下品な笑顔も」
胸に渦巻く怒りと復讐心を脳内に叩きつけると、復讐なんて誰も幸せにならない……と生ぬるいことを言おうとしていたA子は怯えた。
「お前が私の妨げになるというのなら、どんなことをしてでも私の体から引きはがして潰す」
覚えておけ。
グロリアはそう言って笑った。
口の端だけを歪めた笑顔は邪悪だが、思わず無条件で平伏したくなるような力強さがあった。
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