Doll House

暇崎ルア

前編

 朝。天蓋つきのベッドまで差しこんでくる光はあったかくて大好きだ。そろそろ部屋の外からバタバタと忙しない足音が聞こえてくる時間。

「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」

 ほら、いつも通り。メイドのジョアンヌはたまにおっちょこちょいだけど、いつも明るくて楽しい話をしてくれるから大好き。

「起きてるわ。入って、ジョアンヌ」

「はあい、失礼します。……おはようございます、お嬢様。お召し物を持ってまいりました。今日はどちらにいたしますか?」

 入ってきたジョアンヌが持っているのは、背中に大きなリボンがついてスカートがふんわりと大きなピンクと白のワンピースと、青地にレースの裾がついた細身のワンピース。どうしよう、どっちも着てみたい。

「お父様はどっちを着たらかわいいって言ってくれるかしら?」

「お嬢様ったら。何をお召しになっても、あの方はお褒めくださると思いますよ」

「そうだったわね。じゃあ、こっち」

「かしこまりました。――ふふ、こちらの方が大人びてお見えになるでしょうね」

 パジャマからワンピースに着替え、靴下や下着も替える。さらに、髪もリボンでまとめてもらう。これだけで新しいあたしになれるみたいだから不思議だ。

 本日もよろしゅうございます、お嬢様、とジョアンヌがにっこり笑う。

 一階の食堂まで降りると、お仕事へ向かう服を着たお父様がすでに席について待っていた。

「おはよう、エマ。よく眠れたかい」

「おはようございます、お父様。今日は夢でね、あたし……」

 朝食のパンケーキとフルーツを食べながら、お父様に夢の話を聞かせる。マシュマロでソファのクッションを作ったというところで、お父様は愉快そうに声をあげて笑ってくれた。あたしも嬉しくなってお父様と笑う。

「……おや、もうこんな時間だ。ずっとお前と話していたいけど、そろそろお仕事に行かなくてはいけない」

 コーヒーを飲み終わったお父様が、懐中時計を見て残念そうな顔をする。

「行ってきます。良い子にしているんだよ、私のお人形さん」

 背の高いお父様は身をかがめて、私の頬にほんのり苦いコーヒーの匂いがする挨拶のキスをくれる。もちろん、あたしからもお返し。

 お見送りの後は、お部屋に戻る。今日は何をしようかしら。

「やあ、エマ。遅かったじゃないか」

 迷う必要はなかった。お部屋に入るなりすぐ、お友達があたしのことを待っていたから。

「みんなで君のことを待ってたんだよ」

「待ちくたびれてしまったわ。一体どこで何をしていたの?」

 出迎えてくれたのは、ティムとマドモアゼル・ロッピィだ。

 ティムはこげ茶色の毛をしたクマの男の子のぬいぐるみ。緑の蝶ネクタイが素敵で、彼自身もよくそれを自慢する。

 マドモアゼル・ロッピィはあたしよりちょっとお姉さんのうさぎのぬいぐるみ。垂れた長い耳には、ガーネットのイヤリングが輝いている。あたしもあんなかわいいイヤリングをつけたいなあ。

「ごめんなさい、朝食を食べていたの。どうしてあたしを待っていたの?」

「嫌だわ、エマったら。昨日、みんなでお茶会をしましょうって約束していたじゃないの。キッチンでお菓子を作って、紅茶を入れたりするのよ」

「あら、そうだったわね。すっかり忘れていたわ」

「あはは、エマは忘れん坊だなあ」

 ティムが笑ったのを皮切りに、あたしもロッピィも笑う。お友達と笑うっていうのはとっても楽しいこと。

「じゃあ、早速準備にとりかかろうよ」

「私、アップルパイが食べたい。サクサクしてて、シナモンをたっぷりかけた林檎が入ってるの」

 アップルパイの作り方は、お菓子作りが得意なジョアンヌに教えてもらったからちゃんと知っている。ティムやロッピィに手伝ってもらいながら、生地をこねたり、林檎を切ったりして、オーブンに大きな丸いパイを入れる。

 一時間後、オーブンからアップルパイを取り出して紅茶を入れたら、お茶会の準備は完璧。

「もう、待ちきれないよ。ねえ、早く部屋に戻ってお茶会を始めようよ」

 アップルパイの載ったお皿を持ってうずうずしているティムをなだめながら、部屋に戻る。

 お茶会はとっても楽しかった。

 美味しいお菓子と紅茶を楽しんだら眠くなって、ついお昼寝をしてしまう。

 目が覚めたころには、夕焼けが見える時間。そろそろお父様が帰ってくるはずなんだけれど。

「お父様、今日は遅くなるのかしら?」

 あたしのベッドで一緒に眠っていたティムやロッピィに聞いてみたけれど、返事がない。クリーム色のシーツの上に二人とも転がっているだけ。

 そうだった、夕方になってしまったから二人とも動けなくなってしまったんだわ。いつもそうなのに、あたしったらすぐに忘れてしまう。

 窓を見ていると、お家の玄関までお庭の石畳の道を歩いてくるお父様の姿が見えたから、あたしは玄関ホールまで急ぐ。

「お帰りなさい、お父様」

「ただいま、エマ。ちゃんと良い子にしていたかい」

「もちろんよ」

「そうか、そうか」

 お父様は嬉しそうに笑って、あたしの頭を撫でた。お父様の大きくてごつごつした手に撫でられると、いつでも幸せになる。

 夕食を食べたら、お風呂。お花の匂いがする石鹸を使って全身を洗えば、お風呂上りは全身から良い匂いがする。

「エマ、入っていいかい」

 部屋で髪を乾かしていると、廊下からお父様の声がした。

「もう、そんな時間なのね」

「ああ、お日様が暮れたら夜はすぐにやってくるからね」

 一日って早すぎるわ。もっとゆっくり時が過ぎてくれればいいのに、と思う。

 お父様が持ってきたカップには、熱々のハーブティーが入っている。あたしがぐっすり眠れるようにと、お父様が毎日作ってくれるのだ。

「さあて、お前がそれを飲んでいる間にオルゴールでも聴こうか」

 お父様の手で最後までぜんまいを巻かれた金色のオルゴールからは、可愛い音のメロディーが鳴り始める。

 シューマンという人が作った「トロイメライ」という曲らしい。

 ハーブティーをすすりながら、耳を傾けていると段々眠くなってくる。

 あくびを我慢していると、お父様はあたしの体をそっと引き寄せ、頭をお膝の上に乗せてくれた。

「一日疲れたんだね。ゆっくりお休み」

 どうしてかしら、お父様のハーブティーを飲むといつも、眠くなる。

「お休みなさい、私のかわいいお人形さん」

 そう、あたしはお父様のお人形。

「何も心配はいらないよ」

「トロイメライ」の不思議なメロディが遠くなっていく。


「いってらっしゃーい、お父様ぁ」

 玄関のポーチで手を振るあたしを振り返って、お父様が手を振り返す。

 いつも通りの朝、お仕事に向かうお父様をお見送りしたら、あとは部屋で過ごす時間。

 部屋に戻ると、退屈そうなティムとマドモアゼル・ロッピィが今日何をするかを言い合っている。

「今日もぼく、お茶会がしたいなあ」

「ダメよ、昨日やったばかりじゃないの。もっと他のことがいいわ」

「何がいいのさ、他のことって」

「それを今から考えるんじゃないの。ねえ? エマ」

「そうねえ、何がいいかしら」

 やりたいことがいっぱいあって迷ってしまう。誕生日にもらったおしろいやアイシャドウでおめかしをするのもいいかもしれない。

「そうだわ! 外に出てみない?」

 あたしが何か言い出す間もなく、ロッピィが夢見るように呟く。

「それは、ダメよ。絶対にダメ」

 ――お家の外は危ないから、出てはいけないよ。

 ――お前はかわいいお人形だから、みんな持ち帰ってしまいたくなるから。

 お父様はそう言って、あたしがこの家の外に出ることを許してくれたことはない。よくわからなかったけど、約束を破ったらお父様が悲しむかもしれないから良くない。

「大丈夫よ。ジョアンヌも忙しいでしょうし、ばれないわ」

「ダメよ。お父様と約束したじゃない」

「大丈夫よ。――ほら、お庭のあの門から出られるわ」

 ロッピィが窓から指さしたのは、庭の石畳をずっと行った先にある大きな門。お仕事へ行くために、お父様が毎日開けて出ていくところだ。

「内側から閂をこっそり開ければいいのよ。行きましょうよ」

「楽しそう。ぼくも行ってみたい」

 すっかりティムも乗り気になってしまった。

「エマ、約束は破るためにあるのよ。ちょっとぐらい構いはしないわ」

「そうだよ、そうだよ」

 あたしの足元でスカートの裾をつかんで、せがむように引っ張る二人。

「……じゃあ、少しだけね」

「やったあ!」

「そうこなくっちゃ。早速、行きましょう」

 実を言うと、あたしもお外に出てみたかった。お父様にも、ティムたちにも、ジョアンヌにも言えないあたしの秘密だ。


 ジョアンヌは食堂で掃除をしている最中だった。音を立てず玄関までたどりついたあたしたちのことなど何も気がつかないまま、床にモップをかけている背中が食堂の入口から見えた。

 玄関のドアはあっさり開いた。ちょっと拍子抜けしちゃうぐらいに。

 出たことのない外。どんなものがあるんだろう。ああ、あたしって本当はすごく外の世界に出てみたかったんだ。今まで隠していたけど、お家だけの世界には飽き飽きしていたんだわ。

 目が痛くなって思わず、きゃっと声をあげてしまう。目を覆うと、今度は手が熱くてやけどしそうになる。ぴかぴかな太陽から、眩しい光があたしに当たっているのだ。

 ロッピィが、しいっ! ともこもこした手を口に当てる。

「そんな声出したらジョアンヌに聞かれちゃうじゃない」

「大丈夫よ。もう、ドアは閉めたもの」

「それでも、静かにした方がいいわ」

「わかったわよ」

「あ、あれは何かなあ」

 何かを見つけたティムが小さな足をひょこひょこと動かしながら、石畳の上を歩いていく。

「待ちなさい、ティム。危ないわよ」

 ティムの後を追っていたら、とうとうお家の外に出られる門までたどりついてしまった。日が当たっているせいか、歩くと足の裏が熱い。

「ねえ、開けてよ、エマ」

「ええっ、あたしが開けるの?」

「だって、ぼくたちの手じゃ無理だよ」

「そうよ。体の大きさだって、全然足りないもの」

 確かに二人の体では、手を高く上げたとしても閂まで届かない。

「しょうがないわねえ」

 閂の開け方は絵本で読んだことがあるからわかっている。鉄の輪にはまった金属の棒を抜き取れば、ドアが開くようになっている。

 石畳を抜けた門の外。

 背の高い緑の「槍」に囲まれた景色。足の裏をくすぐるような感触の細い緑が集まった足元。

 初めて見たけど知っている。ここにあるのは全部「木」と「草」。

「……すごい、森だわ」

 ロッピィのぼそりと呟く声。

「森だって? まずいよ、悪い魔女に食べられちゃったらどうしよう!」

 ティムはが悲痛そうに叫ぶ。

「――大丈夫よ。魔女もお菓子の家もヘンゼルとグレーテルが焼いてしまったじゃない」

 だから、きっと何も出ないわ。

「エマったら、ちょっと外に出るだけじゃすまなかったじゃない」

 駆けだしたあたしをロッピイが揶揄った。

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