森の上空から木の高さで飛び、こちらに来るのは明らかに魔物、遠目に見てもデカそうだ。背中には大きな翼、バサーバサーっと音を立て、ゆっくりと動かしている。身体を覆うのは羽毛、鉤爪かぎづめのある二本の足は人間で言うもものあたりまでは羽毛があって太さもあるが、そこから下はヤケに細く表面はウロコだ。それだけ見ればただの巨大な鳥、けれどまぎれもなく魔物だ。翼とは別にある左右一対の腕と頭部は人間のようで、しかも美形、つややかな髪が風に棚引たなびいている。


「ハァピー? 初めて見た」

ピエッチェが驚きとともに身構える。

「クルテ、何か知ってるか? ヤツにはどう立ち向かえばいい?」

ところがクルテの返事がない。


 ハァピーに注意を向けたまま目の端でクルテを見るといつの間に出したのか、弓に矢をつがえている。

「来るな! 射貫くぞ!」

クルテが狙いを定めて叫んだ。ハァピーはすぐそこだ。クルテの声が聞こえたのか、接近は止まるが翼はゆっくりと動かしたまま、宙からクルテを見た。


「去れ! 望みのものなどここにはない」

再びクルテが叫ぶ。首をかしげるハァピー、望みのものとはなんだろうとピエッチェも首を傾げたいところだが、そんな余裕はない。


 値踏みするような目でクルテを見ていたハァピーが視線をマデルに移す。そして再び首を傾げる。マデルの下に隠されていたカッチーは、ハァピーからは見えなかっただろう。


 次に見たのはピエッチェだ。やはり首を傾げたが、すぐに嬉し気にニヤリと笑った。

「去れ!」

クルテの叫び、放たれた矢、素早い動きで矢を回避したハァピー、通り過ぎた矢を眺めてから再びクルテを見るとチッと舌打ちした。が、クルテの矢が戻ってくる気配を察したか、素早く翼を動かすと来た時とは比べものにならない速さで逃げていった。クルテの矢は追跡を始め、ハァピーを追っていく。


「もたもたするな。逃げるぞ!」

一息ひといきつく暇もなく、クルテが叫ぶ。

「ハァピーが仲間を連れて戻ってくる前に、森に逃げ込め」


 どいつもこいつも仲間だよりかよ? そう思うピエッチェ、だが、ここで呆れている暇なんかない。

「マデル、大丈夫か?」

マデルに手を貸して立ち上がらせると、仰向あおむけで下敷きにされていたカッチーは真っ赤な顔でギュッと目を閉じていた。さては目の前にマデルの胸を感じたな、笑いそうになったがそれどころじゃない。


「カッチー、立てるか? リュネのところまで駆けて行け」

「は、はい……今のがハァピー? 俺も初めて見ました」


 カッチーは少しだけが、

「マデルさん、手を引きましょう」

と、マデルの手を取って森に向かった。


 リュネのところに大急ぎで戻り、カッチーに手伝わせて荷台を繋ぎ始める。

「それにしてもクルテ、あの矢は? かわされたけど戻ってきたし、ハァピーを追いかけて行ったよね?」

マデルがクルテに訊いている。


「群れで生活しているハァピーは群れに戻り、見付けたものを仲間にしらせる――あの矢には魔法が掛けてある。群れまでハァピーを追いかける」

「ハァピーの群れとやりあうつもり?」

「矢を怖がって諦める……諦めないな、ピエッチェに狙いを定めた」

「そうね、きっとそうね」


 荷台をつけ終わったピエッチェが、

「カッチーはマデルが巧く隠したから、ねらうは俺一人か?」

と苦笑する。

「馬車の用意はいいぞ。早く行こう」


「どう言う意味ですか?」

不思議がるカッチーの手を借りて荷台に乗り込むマデル、

「ハァピーが人間を襲うのは繁殖のためなのよ」

と嫌そうな顔をする。

「ヤツら、メスしかいないの。で、どうやって子を産むか? ま、卵らしいんだけどね、卵を授精させるために人間の男を狩るのよ」


「ハァピーの生殖器は羽毛に隠されていて見えないけど、人間の女とそっくり」

クルテが続けた。

「捕まえられた男はハァピーの魔力で相手を人間の女だと思い込む。誘惑に逆らえる男はいない。しかも人間の女より男に快楽を与える。その快楽に酔わされて、際限なく交わり続ける。だが、やがて男の精も尽きる。役に立たなくなった男は卵を産む栄養にされる――父親は人間のはずなのに、卵がかえると必ずハァピー、もちろんメス」


「卵を産む栄養?」

「食われるってことよ」

マデルの答えにカッチーが蒼褪める。

「それ以外で人間を食べることはないって言われてるわ」


「ハァピーは女と子どもに興味は持たない。首を傾げたのは性別確認の魔力を使ったから」

「俺は子ども扱い?」


「おまえはマデルの下で見えなかっただけだ」

ピエッチェが御者ぎょしゃ席で言った。クルテの手を引っ張って、乗り込むのを手伝っている。

「それより……逃げるって言ってもどこに逃げる? どこかで道をはずれてみるか? 真っ直ぐ行ってもまたあの原っぱに出るに違いないぞ?」

「原っぱの見えない場所で野営の場所を探す」

クルテの言葉にピエッチェがリュネを歩かせ始めた――


 込み入った木立が両脇に続く場所で馬車を止め、リュネから荷台を外した。荷台はそこに置いたまま、リュネを連れて森に入っていく。頭上は不規則に伸びた枝が絡み合い、陽光をさえぎり薄暗い。


「ハァピーは来れそうもないけど、今度は……」

魔物が出そうだな、と言いかけてピエッチェが黙る。カッチーを不用意に怖がらせるな、とクルテにまた怒られそうだと思った。


 クルテは左手に弓を持ったまま、あたりに注意を払っている。右手にあるのは拾った小枝、ところどころで手ごろな枝を拾っては、背中に背負った矢筒に突っ込んでいる。魔法で矢に変えるのだと言っていた。


「今度は獣に襲われそう……」

黙ってしまったピエッチェの代わりにマデルが言った。するとカッチーが

「魔物が出るかもしれません」

と当り前のように言った。

「どんな魔物が居るんでしょう?」


「怖くないのか?」

心配するピエッチェに、

「怖いですよ。でも、出る前から怖がっても意味がないって気が付きました――出たら腰を抜かすかも?」

と笑う。


 少しは度胸が付いてきたのか? すると頭の中でクルテの声がした。

(マデルに庇われたのが情けない。覚悟を決めた。今度は自分がマデルを守る)

(ふぅん、まさかマデルに惚れたなんてないよな?)

(それはない――強い男になる、だからもう怖がるものか)

(やせ我慢?)

(やせ我慢だろうが耐える決意、尊重しろ)

(あぁ、見守るのが俺たちの務めだな。万一の時は守るさ)


「しかし……火を起こせる場所が見つからないね」

マデルが呟く。


「木の根っこに足を取られそうな場所ばかり」

「転ばないように手を繋ぎましょうか?」

カッチーがマデルに手を伸ばす。


「随分と男っぽくなったじゃないの?」

「俺、もともと男ですよ?――宿の女将さんに、『姉さんを守るんだよ』って言われたのもあります」

照れるカッチー、

「クルテさんはピエッチェさんが守るから、俺はマデルさんを守ろうと思います」

嬉しそうにマデルが

「頼りにするわね」

と微笑み、ピエッチェに手綱を引かれたリュネがタイミングよく『ぶふふふ』と鼻を鳴らして四人の笑いを誘った。


 いい加減歩き疲れた頃、クルテの足が止まった。夕暮れも迫っている。

「ここで野営するつもりか?」

ピエッチェが賛成しかねると言いたげに訊いた。日没が迫り、ますます暗くなっている。が、やはり火が起こせそうな場所じゃない。


「いや、あそこに何かいる」

クルテが見る先に揺れる光があった。


「何かって、あれは家よ。人が住んでるみたい。泊めて貰えるよう頼んでみようよ」

喜ぶマデルに、

「こんな森の中に?」

とクルテが呟く。


「確かにヘンだけど……」

戸惑うマデル、ピエッチェが

たきぎを集めるための小屋なんじゃないか? あるいは炭焼き小屋とか?」

と言えば、

「わたしたちが迷い込んだ森に?」

とクルテがさらに疑問を口にする。


「迷子の魔法が解けたのかもしれない。道を逸れたからな――火が起こせないんじゃ野営は危険すぎる。このままじゃらちが明かない。取り敢えず行ってみよう。行けばあそこに何者がいるか判るじゃないか」

「ピエッチェがそう言うのならそうする。だけど警戒を怠るな」

「そんなの当り前だ」


納屋なやもあります。リュネをあそこに入れて貰えるといいですね」

近付くにつれ建物の規模も見えてきた。幾つもある窓からカーテン越しに光が漏れている。揺れているのは燭台の灯だからだろう。


 これといった囲いはない。建物の中から何本か太いみきが伸びている。その木の枝も絡みあい、まともに太陽は差し込みそうもない。木と木の間を利用して作った建物のようだ。頑丈そうな外壁は充分魔物の侵入を防げそうだ。部屋数はどれほどか? 結構大きな建物だ。


「木が伸びたら屋根が持ちあがる」

ポツリとクルテが呟いた。そんな呟きを無視してピエッチェが玄関とおぼしき扉を叩いた。


 暫く待つと中から女の声がした。

「どなたです?」


「森で道に迷いました。今宵の寝床に困っています。泊めていただけませんか? 男女二人ずつの四人です。それと馬が一頭、納屋に入れていただけると助かります」

ピエッチェが丁寧に申し入れた。


 すぐそこの窓のカーテンが揺れて、女が外の様子を窺った。緑色の髪、左右に一房ずつ金髪部分があるのは染めているのか? 

「こちらは女一人、大したお持て成しはできません。それでもよろしいなら」

マデルと同じくらいのとしの女だ。


「持て成しなど必要ありません。寝る場所を貸していただけるだけで――食料は持参しています」

程なく扉が開錠された。


 納屋も頑丈で、獣や魔物が入り込む心配はなさそうだ。リュネを納屋に繋いでから、女に促され母屋おもやに入る。するとそこは玄関の間、いくつかあるドアの一つに通され、曲がりくねった廊下を通る。


「この部屋をお使いください」

女がドアを開けた部屋は暖炉がある広い部屋、部屋の中にもドアが四つあった。ヤケにドアの多い建物だ。廊下に幾つもドアが並んでいたが通過してきた。


「それぞれのドアの向こうが寝室、寝室にはバスもあるのでお使いください」

四人が部屋に入ると女が言った。

「食料持参と言う事は台所をお使いになりたい?」


 女の質問に、

「今夜は不要です。でも明日の朝はお貸し願えれば」

とピエッチェが答える。夜に食べなさいと、グリュンパの宿の女将が弁当を持たせてくれた。カッチーの土産へのお礼だろう。


「台所をお貸しするのはちょっと……朝はご用意いたします。それでお許しくださいませんか?」

「許すだなんて、とんでもない。むしろ感謝します――泊めていただいた上、ご馳走になるのはあまりにも無遠慮と思ったんです」

「いいえ、できればご一緒くださいませんか? 誰かと一緒に食事をするのは滅多にない事ですから」


 こんな場所では来客などないだろう、もっともな女の言い分に納得するピエッチェだ。では遠慮なく、と朝食は相伴に預かることに決まった。


「朝になったらお迎えに参ります――それまで、くれぐれもこの部屋からは出ないように。それだけはお約束ください」

そう言って女は部屋を出た。


「見られたくないものがある」

クルテがボソッと呟いた。

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