18

「ところでマデルさんは?」

詰め所を出るとすぐさまカッチーが訊いた。マデルの不在が気になっていたが、とにかく出たいのが先だったようだ。


 詰め所に行く途中にあった王太子の宿舎の前で、気が重いけど仕方ないよね、と言ってマデルは荷馬車から降りた。『ゆっくりして来い』と言おうか迷ったが、やめておいたピエッチェだ。

「ピエッチェと二人きりは久しぶり」

クルテは単純に喜んでいる。毎晩二人きりなんだけど?……それも言わなかった。


 王太子も馬を降り、召使だか宿の従業員だかに馬を預けてマデルを待っていた。王太子のところに行く前にマデルがクルテを引き寄せて何か耳打ちしたが、なんと言ったかまでは聞き取れない。クルテが『うん、判った』と答えたのだけが聞こえた。


 そこからはグリムリュードに先導されて警護兵の詰め所に行った。

「ヤツらの処分はどうなりそうかな?」

詰め所に着いた時、クルテの脳内指示でピエッチェがグリムリュードに尋ねた。


「さぁな――おまえなんかになぜ答えなきゃならない?」

グリムリュードが冷たく言い放つ。


「いいよ、あとでマデリエンテに聞くから」

クルテが呟くと慌てて

「いや……余罪がありそうだから、その調べが付かなきゃなんとも言えない」

とグリムリュードが言い足した。


「おまえたち、マデリエンテさまと親しいのか?」

「一緒に旅をするくらいは」

クルテが微笑んで答えた。


「大貴族のお嬢さまだぞ? どこで知り合った?」

「それは内緒」

「ひょっとして密命を負っているとか?」

「もしそうだとして、あなたに言える?」

「ふむ……密命だ。言えるはずもない」


 考え込むグリムリュード、ピエッチェをじろじろ見てから、クルテのこともまじまじと見た。

「マデリエンテさまと一緒にいるとは身の程知らずなと思ったが……どうやら俺の考え違いだった。無礼を謝罪したい」

とピエッチェに頭を下げる。

「よく見れば風格のある御仁ごじんと上品なお嬢さまだ。いいえ、ご身分やお名前を明かせとは申しません――旅のご無事を祈っております」


 グリムリュードは勝手にピエッチェとクルテを、と一緒に密命を受けるくらいは身分が高いと思い込んでしまったようだ。媚びを売っておいた方がいいと判断したのかもしれない。


「ですが、他の警護兵の手前、今まで通りの態度で参ります」

と断ってから詰め所の扉を開けた――


 ようやくカッチーと合流したわけだが、マデルの所在を尋ねられ、なんと答えようか迷う。するとクルテが声を潜め、

「王室魔法使いの仕事ができたんだって」

とカッチーに囁いた。


「今夜中には終わって宿に行くって言ってたから心配ない」

「マデルさんも大変ですね――実は……」

とカッチーも声を潜めた。


「詰め所に王太子さまがいらしたんですよ。で、この文字は彼女の字に間違いない、 マデリエンテが書いた手紙だと保証するって。マデリエンテってマデルさんのことですよね?――王室魔法使いは身分が高いって知ってたけど、王太子さまとも昵懇じっこんだなんて凄いです。なんて呼んじゃってよかったのかなぁ?」

どことなく嬉しそうなカッチーだ。


「ところで、食事はどうします? 俺、腹減っちゃって……」

マデルに感心していたかと思うとすぐこれだ……呆れると同時にピエッチェがホッとする。これならカッチーのマデルへの態度が変わる心配はないだろう。


「確かに空腹だけど、先に宿に行くぞ。部屋を確保して、ついでに女将さんに旨いめしを教えて貰おう」

「いいですね、それ!」

「カッチー何が食べたい?」

「旨いモンならなんでもいいです。クルテさんは果物がなきゃダメですよね」


「むしろ、果物だけでもいい」

ボソッと答えたクルテにピエッチェが、

「どうせ食うならしっかり食べとけ」

と笑う。するとクルテが

「パン……女将さんが買ってきてくれたパン」

と力なく言った。


「あぁ、あれ、美味かったですよね。中身がいろいろあって」

カッチーが頷くと、

「パンは大量に買った方がいい」

とクルテ、

「あぁ、忘れてた。あの宿は朝食も出ない。うん、パンを買って宿の部屋に置いて、それから夕食だな」

とピエッチェが答えた。


 するとクルテがピエッチェを見上げて

「わたし、宿で待ってちゃダメ?」

と言い出した。


「あれ? クルテさん、眠そうですね」

カッチーが言うとおり、クルテの目はトロンとしている。仕方ないな……心の中でピエッチェが舌打ちした。


「旨い飯屋はまただ。果物とパンと飲み物を買って、今夜は宿で済ます」

「そうですね、そうしましょう」

カッチーが苦笑いした。


「そうと決まったら急ぐぞ。さっさと荷馬車に乗り込め」

日没が迫っている。店を閉める時刻だ。どうにか果物屋を見つけてイチゴとブドウを買い、店仕舞いをしていたパン屋に頼み込んで残っていたパンを全部買い込んだ。飲み物はパン屋にあった。


「あんたたち、無事だったんだね!」

宿の女将さんは、夕刻のシスール周回道での騒ぎを聞きつけていたらしい。噂になっていると言った。


「王太子さままで来たんだって? グリュンパにいらしてるとは聞いたけど、庶民の小競り合いにまで顔をお出しになるなんて、ありがたいことだね」

箝口令かんこうれいはとっくに破られていた。散っていった十三人、居酒屋かどこかで愚痴の言い合いでもしたのかもしれない。


 部屋は前回と同じく二人部屋を一部屋と、一人部屋を二部屋とった。

「姉が遅れてきます。ちょっと時刻ははっきりしないんだけど……」

「任せといて。ちゃんと顔を覚えてる――それじゃ、ごゆっくり」

カッチーはもぞもぞしていたが結局、土産みやげを出せずにいた。


 まずは食事だと二人部屋にいったん三人で入る。

「土産は発つときに渡せばいい」

ショボンとするカッチーに、ブドウを勝手に食べ始めたクルテが言った。


「おまえ、そんなに腹が減ってたのか?」

「食べちゃダメだった? 食べるために買ったのに?」

「俺もパンを食べようっと!」

カッチーもピエッチェに遠慮することなくパンの袋を開けて笑う。

「マデルもいないし、まぁ、いいか?」

ピエッチェが苦笑した。


「食べたいものを食べたいように食べる。これが食事の基本。マデルは優しいけど、マナーにうるさいのが玉にきず

「クルテさんに一票!」

「だからって、果物だけでいいなんて言うなよ?」

「どうせ食うならしっかり食え? ピエッチェがそう言うならそうする」

ポカンとピエッチェを見るクルテをカッチーがこっそり笑った。


 しかし……とピエッチェが難しい顔をする。

「明日、どうするかをまだ決めてないな――マデルから、金髪碧眼の貴族リストを受け取るのを忘れてた」


「なんだかんだで慌ただしい一日でしたからね――ハンバーグだ、大あたり!」

二つ目のパンに嚙り付いたカッチー、クルテはイチゴを睨みつけて、

「ツブツブが気になる……でも、きっとグチャグチャよりずっと美味しい」

と呟いてから、

「リストを貰ったところで、本人に『三十三歳になる隠し子がいますか?』って訊けない」

と言って、イチゴを口に入れた。


 どうして黙って食えないんだ? と思ったが、それよりもクルテの言うとおり、隠し子がいるかなんて訊けるはずがない。そちらが気になった。

「そうだよなぁ……」

「つまり、この先どうするか、まったく見当がついてない。だからマデルを待つしかない。いい知恵があるかも――ピエッチェ、クリームの入ったパン」


「ん? クリームの入ったパン?」

「食べたい。探して」

「だって、割らなきゃ中身は判らないぞ? わがまま言わないで手に取ったのを食べろ」

「少ししか食べられない。最初に取ったのが違ったらどうしよう?」

「あぁ! もう! 判った、違ったら俺かカッチーが食ってやる」

「やった!」

「ピエッチェさん、本当にクルテさんには甘いですよね、クリーム以上だ」

とカッチーが笑った。


 マデルが宿に来たのは、とっくに食事が終わってからだ。別の部屋で寝ているカッチーのいびきが聞こえ、クルテはピエッチェの胸にしがみ付いて眠っていた。クルテの髪の匂いに悩まされ、ピエッチェは寝付かれずにいた。


 近づく足音に耳を澄ます。部屋割りは前回と同じだ。ドアが開く音が聞こえ、すぐに静かに閉ざされた。

「マデルは来ないよ」

クルテが小さな声で言った。


「起きていたのか?」

「カテロヘブが緊張したのを感じた」

「俺が起こしたって言いたい?」

「そうなのかな? そうかもしれない」


「マデルは俺たちを起こさないよう気を遣って、こっちの部屋に来ないのか?」

「来て欲しい?」

「訊きたいこともあるからな――もしそうならこっちから行く」

「それはダメ。話しは明日。今のマデルは一人で居たい」

「心を読んだ?」

「うん。過去をいろいろ思い出してる。だからなんで王太子と別れたのかも判った」


「うん? さっき、『今は言えない』って言ったけど、判らないから言えなかったのか?」

「そうだよ。マデルが考えてくれなきゃわたしだって読み取れない」

「俺には言えないのかと思ってた――そんな時は『判らない』って答えろよ」

「そのほうがいいならそうする」


「で、なんでマデルは諦めたんだ?」

「王女さまの護衛の仕事があったから。プロポーズを受けたら辞めなきゃならない。でも、フレヴァンスが嫁いだらお役御免になる」

「それを待っててくれってことか? 王太子は待てないって?」

イヤ、それはない。ラクティメシッスは未婚だ。自分で言っておきながら、心の中で否定する。


「理由を言えば、それがフレヴァンスに伝わるかもしれない。それにフレヴァンスの結婚がいつになるか判らない以上、あてもなく待ってくれとは言えないと思った。だからマデルは理由を言わずに断った。でも王太子は納得しない。他の縁談を断り続けて繰り返しマデルにプロポーズしてる」

「だったら諦める必要はなさそうだが?」


「巨大ぬいぐるみにフレヴァンスが誘拐された夜、マデルは王太子に呼び出された。マデルが舞踏会の会場を離れたのはラクティメシッスと会うため」

「広間の外部の様子を見に行ったんじゃなかったか?」

「それは口実。王太子がそう言ってマデルを広間の外、二人きりになれる場所に連れて行ったんだ――そこで何度目かのプロポーズ、マデルもその時は決心した。フレヴァンスの結婚が決まれば、マデルが婚姻を拒む理由もなくなる。でも、頷こうとした時、雷鳴が響いた」


「まさか、責任を感じてラクティメシッスを拒むことにした?」

「マデルは深い後悔に苛まれた。自分の幸せを願ってしまったから、フレヴァンスに不幸が降りかかったと感じたんだ」

「そんなの、ばかげてる」

「さらによくないことに、マデルのお兄さんが病気になった。代わりに家を継承することになるかもしれない――そうなると、マデルは王太子妃になれない」

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