17

 覆面ふくめんはずしながら、ゆっくりとした足取りで男はグリムリュードに近付いた。聖堂の森の出口で行き違った馬車に乗っていた男だ。ならば王室魔法使いだとピエッチェが思う。


「手紙にあった話とは違う。確か、八人の男が悪さを企てていると書いてあったのではなかったか? 数えたところ十六人いる」

覆面を外した男が問うとグリムリュードがかしこまって答えた。

おっしゃる通りですが、囲まれている方は手紙の通り荷馬車です。それにガロムナッシムの正義感の強さは殿下もご存知なのでは? 手紙を疑ったほうがよろしいかと」


 殿下と聞いてガロムナッシムが顔色を変えて男を見た。そしてさっと膝をついて頭を垂れる。騎士崩れらしき他の二人も同様の反応だ。


 その三人に鷹揚おうように頷いた殿下と呼ばれた男、

「久しいな、ガロムナッシム。息災だったか?――ところで、荷馬車に乗っている男が悪事を働いたところをその目で見たのか?」

やはり静かに問いただした。

「いいえ、見てはおりません。若い女を手玉に取って売り飛ばそうとしている男がいるから助けてやってくれと、そこにいるドンクが頼ってきたもので……」


 駅馬車でクルテが脅した男はドンクという名前らしい。殿下の顔を見て蒼褪め、逃げ出す隙をうかがっているようだ。


「グリムリュード、逃してはならないのはドンクという男のようだ」

殿下の言葉にドンクが『ヒッ!』と悲鳴を上げた。が、すぐに悪知恵を働かせたのだろう、大声で怒鳴り始めた。

「こんなところに王太子さまが来るもんか! ガロムナッシム、騙されるな、ソイツは偽物だ! グリムリュードとやらを説得しろ!」


 王太子? ピエッチェが殿下の顔を見る。それで馬車にローシェッタ王家の紋章があったのか。どこかで見た顔だと思ったのは父親ローシェッタ王の面影だ。しかしドンクの言うとおり、なぜこんなところに王太子?


 殿下が王太子なのは疑いようがないらしい。グリムリュードが頷いただけで、四人の部下がドンクを取り押さえた。わめき散らすドンクはとうとう猿ぐつわまでされた。ガロムナッシムがドンク以外の首謀者二人を名指し、他は騙されていたのだと許しを請う。名を言われた二人が抵抗することはなかったが、『止めてもドンクは聞き入れなかった。だから仕方なく助勢したんだ』と言い訳を口にしていた。


 王太子に耳打ちされたグリムリュードが、

「ここで王太子を見たことは決して口外するな。それを条件に他はとがめなしとする。散れ!」

と大声で言えば十三人の男たちはグリュンパに駆け戻っていった。


 部下たちが三人の咎人とがにんを連行していき、警護兵はグリムリュードだけとなった。

「荷馬車の方はどうしますか?」

グリムリュードがおうかがいを立てる。すると王太子が苦笑した。

「わたしが居てよかったな。あの姫ぎみに縄なんかかけていたら、おまえ、首が飛んでいたぞ?」

「姫ぎみ?」


 不思議そうな顔をするグリムリュードを置いて王太子が馬車に向かっていく。そして呆然と立ち尽くすマデルの前に立った。

「マデリエンテ姫、ご無事でなによりです」

「ラクティメシッスさま……なぜここに?」

王太子がマデルの真の名を口にする。聞いていたグリムリュードが蒼褪めた。


 カッチーが居なくてよかったと内心思うピエッチェだ。こんな場面を見たら、カッチーのマデルへの態度が変わってしまうかもしれない。上流貴族とは知っていたが、マデルはかなりの身分のようだ。王女の護衛を勤めるほどなのだから当たり前とも言える。王太子と親しくても不思議はない。


「たまたまグリュンパに来ておりました。街の様子を聞くため警護兵の詰め所に居たところ、少年が手紙を届けに来たのです。聖堂の森の入り口ですれ違った時、姫と一緒にいた少年だとすぐに判りました」


 手紙には『駅馬車で乗り合わせた男たちに絡まれて、撃退したら逆恨みされて困っている人たちがいる。荷馬車に乗った男一人女二人の一行だ――絡んできた方は、駅馬車の中では三人だったのに人を集めたようで総勢八人になっている。どうやら今日の夕刻、シスール周回道の起点で荷馬車を待ち伏するらしい。首謀者はセレンヂュゲでたびたび悪さをしている連中だ。この際だから仕置きしてはどうか? 王室魔法使いマデリエンテ』と書いた。


「手紙には見慣れた文字が並んでいました。あなたの字だ。この手紙はまがい物ではないと、行くかどうか迷う警護兵たちを急き立てて駆けつけました――他人事のように書いてありましたが、あの少年を除けば男一人に女二人はあなたたちに違いない。王室魔法使いの身分を明かせないとの判断で他人を装ったのですね? あなたが困っていると知って、わたしがじっとしていられるはずがありません」

王太子がマデルを見詰め、マデルの頬が赤く染まる。


「あなたが来ると判っていたら、もう少しマシな服を選んでいたのに……こんな格好で恥ずかしい」

「マデリエンテ、どんな服を着ていてもあなたの魅力は損なわれるものではありませんよ」


 歯の浮くようなセリフにピエッチェが鼻白はなじらむ。いや、相手がマデルだから言える言葉なのか? 二人は今にも抱き合いそうな雰囲気だ。

(珍しく察しがいい)

頭の中でクルテの声が聞こえた。


(マデルの想い人は王太子? 向こうもマデルを? 身分違いで諦めたのか?)

(身分違いってことはない)

(マデルってどんな身分なんだ?)

(王室に次ぐ家柄の貴族の娘)

(だったらなんで諦めた?)

(今は言えない)

(なんだよ、それ?)

(そんなことより、王太子を前に荷馬車に座り続けるのは拙くないか?)


 クルテの指摘に慌ててピエッチェが御者ぎょしゃ台を降りた。すると二人を監視していたグリムリュードが殺気立つ。が、ピエッチェがひざまずき、続いて馬車を降りたクルテがそれにならうのを見て『フン!』と鼻を鳴らしただけで納まった。


 ラクティメシッスを盗み見すると、マデルと何やら小声で話し込んでいる。愛を囁き合っているように見えなくもない。二人の仲は公認だったのだろうか? そんな思いでグリムリュードを見ると、こちらは苦虫を噛み潰したような顔であらぬ方向を見ている。二人を見ないようにしているのだろう。


 確かラクティメシッスは妃をめとっていない。マデルが王家に次ぐ家柄の姫ぎみならば婚姻になんの支障もないはずだ。マデルに、もしくはラクティメシッスに何か事情があるのだろうか?


 ラクティメシッスがこちらを見たのを感じてピエッチェが畏まる。身をかがめた気配がして、

「どうか立ってください――マデリエンテからお二人の話は聞いております。礼を申し上げたい」

すぐ近くに静かな声が聞こえた。驚いてピエッチェが顔をあげると目の前に微笑むラクティメシッス、慌てて俯いたピエッチェだ。


「あ、いや……」

こんな時、どう言えばいいんだった? 素性を明かせない今、庶民と変わらない身分だ。相手は王太子、なんて答えるのが正解だ?


 助けてくれたのはマデルだった。

「ラクティメシッスさま、無理を言ってはいけませんよ。相手が王太子と判れば、無礼になってはと遠慮するものです」


「わたしは遠慮などして欲しくないのだが……あなたの友人と親しくなりたいと思っているだけなんです」

「だから! いきなりは無茶です。せめてあと五歩、お下がりください」

マデルはクスクス笑っている。王太子はマデルに従ったのだろう、離れていくのが判った。これくらい距離を置けばいい? 小さな声でマデルに訊いている。見てはいないが、きっと楽しそうな顔をしているに違いない。


「ピエッチェさんとお呼びすればいいのですよね?」

再びピエッチェに向けたラクティメシッスの声が聞こえた。

「できれば夕食を共にして貰えないでしょうか?――マデリエンテによくしていただいているお礼をさせてください。それに、聖堂の森での魔物退治の話をお聞かせくださいませんか?」


 ピエッチェが戸惑うをしてから答えた。クルテの指示だ。

不躾者ぶしつけものゆえ、そのようなお席にお招きいただいても緊張のあまりせっかくのお料理を味わうこともできません。なにとぞお許しください……魔物退治の顛末なら、マデリエンテさまにお尋ねください」


「そんなに気を遣わなくっても――」

ラクティメシッスの言葉が途中で止まる。マデルが止めたのだろう。


 小さな溜息のあとラクティメシッスが言った。

「気を遣うなと言っても遣ってしまうものだと怒られました。今日は諦めます……何か目的があっての旅だとか? その目的を果たしたのちは我が王宮にお立ち寄りいただけるそうですね。その時はぜひにもわたしの晩餐にご出席くださるとお約束ください」

「ありがたきお言葉でございます」


「それと……暫くマデリエンテをお借りしてもよろしいでしょうか?」

「ラクティメシッス!?」

小さなマデルの叫び、つい『さま』を抜いてしまったようだ。


「なに、そう遅くならないうちに宿にお送りします。宿の場所は手紙を届けてくれた少年に聞きました。久しぶりにマデリエンテと食事がしたいだけです」


 そうだ、カッチーは? 打ち合わせ通りなら、手紙を届けたあとは宿泊予約をした宿に入ることになっているはずだが?


「そうと決まったらすぐに参りましょう。ひとまず警護兵の詰め所までご一緒ください。あの少年が心配していることでしょう」

やはりそうか、カッチーは足止めを食らったか……ラクティメシッスが遠ざかるのを待ってピエッチェが立ち上がりクルテも立ちあがる。マデルが心配そうな顔で二人を見ていた。


「マデル、荷馬車に乗って。わたしはピエッチェの隣」

クルテが当たり前に言うのを聞いてホッとしたのかマデルが涙ぐむ。


「クルテ……」

御者ぎょしゃ台に乗ろうとしたクルテにマデルが抱き着いた。

「ありがとう、クルテ」


「なにが?」

「態度がいつもと変わらない」

「なんで態度を変えなきゃならない? マデル、わたしに何かした?」

「何にもしてない。だけど……」

クルテが少しニッコリしたようにピエッチェには見えた。


「マデルはマデル。わたしのお姉さん――ねぇ、早く荷台に乗って。ピエッチェ、としてないでマデルが乗るのを手伝って。カッチーがいないんだから、気をかせろ」

なんだかがこっちに来た。苦笑するピエッチェ、手を差し伸べるとマデルが微笑んでピエッチェの手を取った。


 詰め所で待っていたカッチーはカチコチに緊張していたようだ。ピエッチェたちを見ると泣きださんほどに喜んだ。

「どうなったか心配で心配で……」


 手紙を渡した時の様子から、警護兵が必ずしも味方ではないと感じていたのかもしれない。出張っていくのを渋ったようなことをラクティメシッスも言っていた。


「あとで詳しく話します」

カッチーは小声でそう言うと、早く出ましょうとピエッチェたちを急き立てた。

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