10


 また多分か……多分じゃないほうがきっと俺は嬉しいんだろう。だけどその嬉しさは中途半端だ。


 自分のものだと思い、他人に気を取られているのを見て嫉妬する。それが恋愛感情に起因しているものなら素直に嬉しいと思えるのに、きっとクルテにそんなつもりはない。だってクルテは――


 そこまで考えて、クルテに訊こうと思っていたことを思い出す。

「男たちについては俺に従え。このまま何もしてこないとも限らないじゃないか。わざわざこちらからトラブルを起こす必要なんかない」

ここまで追ってきたんだ、男たちは何かしら仕掛けてくると思いながらピエッチェが言った。

「それより、おまえに訊きたいことがある」


 不満そうな顔でピエッチェを見るとクルテは小首を傾げた。そして呆れたような口調で言った。

「男たちを懲らしめようとピエッチェを説得するのは無理。そしてピエッチェが訊きたいのは、魔物になる前のわたしがなんだったのか」


 また心を読まれた。しゃくに触るが、話す手間が省けたと思えばいいか?

「その通りだ。人魚が言っていた『はかな早暁そうぎょうの精霊』って? おまえ、魔物になる前は精霊だったってことか?」


 頬を膨らませたクルテがフィッとソッポを向く。そんな態度にムカつくのに、同時に愛しさを感じて戸惑う。

「誤魔化しも嘘も許さない」

ピエッチェの口調がきつくなったのは反動か。


 横目でチラッとピエッチェを見て、

「それを知ってどうする?」

とクルテが言った。


「どうするって……」

問われてピエッチェが考え、そして答えた。

「どうもしない」


 そうだ、どうもしない。ただ知りたいだけだ。おまえのことが知りたいだけだ。


 クルテはチラチラとピエッチェの様子を窺っていたが、それ以上何も言ってこないことにしびれを切らしたか、

「そもそも森の女神自体が精霊」

とポツリと言った。


「人間たちは『森の女神』とか『女神の娘』とか言うけど、同じもの。森を守る精霊が森の女神、それを助ける下位の精霊が女神の娘。いつの間にか人間はそれを忘れてしまっただけだ」

「それでおまえは? 女神の娘、下位の精霊ってことか?」

「いや、違う」

きっぱりとした否定、そして薄笑みを浮かべてピエッチェを見た。


「その昔、わたしが生まれた森に迷い込んだ若者いる。そして守護精霊と出会い恋をした。守護精霊も若者に惹かれ受け入れた。二人が結ばれたのは日の出間近、思いを遂げたのは朝陽が差した瞬間、そしてその朝陽の中でわたしは生まれた」


「おまえは人間と精霊の間に生まれた?」

「守護精霊はその力に応じて、自分の分身をいくつでも生み出せる。精霊が溢れる森は豊か。それは守護精霊の力が強いことの証明でもある」

クルテはピエッチェの質問を無視して話を続けた。


「だが守護精霊とて精霊、森を離れられない。守護精霊が人間に変化すれば森は枯れてしまうから人間になることもできない。若者はそんな恋人に会うため、何度も森に足を運んだ。だがそれも四年、婚姻を迫る家族の説得に負けた若者は人間の女性を妻に迎え、森に来ることはなくなった」

「それは……」


 ピエッチェが声を詰まらせる。若者を擁護したい。でもどう言えばいいか判らなかった。どんなに心惹かれても人間でなければ妻にはできない。それは身に覚えのある悩みだ。そんな感情を読み取られてはいないか? 気まずくクルテを見るが、クルテはピエッチェを見ることも表情を変えることもなく話し続けた。


「若者の訪れが無くなっても守護精霊は若者を忘れられない。若者も守護精霊と、彼女が生み出した不可解な存在を忘れきれない」

「不可解な存在?」


「守護精霊には生殖機能がない。自らの力で分身を作り出す。でも若者の子が欲しいと思った。恋したのが精霊とは気づいていなかった若者が自分の子を産んでくれと言ったからだ。だから守護精霊は自分の体内に放たれた若者の命をおのが分身に埋め込んだ。その結果、精霊の分身なのに朝陽の中で生まれたのは小さな人間の赤子あかごのような存在、守護精霊も予測していなかったことが起きた」


「赤子のような存在? 生まれたての精霊は赤ん坊ではない?」

クルテがチラリとピエッチェを見た。やっとピエッチェの問い掛けに反応する気になったのか?


「守護精霊の分身なのだから同じ姿、だが生まれたては薄ぼんやりしているし触れることもできない。かすみのように実体がない。森の精気を集めて、だんだん身体がしっかりとしたものに変わっていき、意思を持つようになる。精霊として成立するのには半日から一日かかる」


「それで、赤子のような存在って?」

「いつも通り儚い存在が幻のように出現すると思っていたのに人間の赤ん坊のようなものが誕生した。予期せぬ事態に守護精霊は狼狽うろたえた。若者もまた、どうしてこんなところに赤ん坊が居るのかと驚く。人間の赤ん坊ならば交わってすぐには生まれてこないのだから、目の前の赤ん坊が自分の命を受け継いでいるなどと思いはしない――守護精霊は若者に真実を告げた。自分は精霊であり、この赤ん坊は若者の命を宿して生まれてきた……精霊でも人間でもない存在だと」

「そ……それで? それがおまえなのか?」

そう訊きながら、間抜けな質問だと思った。朝陽の中でわたしは生まれたと言い、その生まれた赤ん坊の話をしているのに、何を今さらだ。


「若者はその赤ん坊に自分の面影を見た。自分の子で間違いないと思った。若者が森に通ったのは我が子に会う目的もあった。赤ん坊は育つにつれ自分に似ていく。すると愛しさも募っていった。いっそ引き取ろうかと考えたが、守護精霊はそれを許さなかった。不可解な存在を若者はきっと持て余す。若者は守護精霊の言うとおりだと黙るしかなかった。そして悟った。人間である自分は精霊とはどんなに頑張っても一緒になれない。精霊との間にできた子も諦めるしかない。若者はとうとう人間の妻をめとった」


 クルテは俺の恋心を拒絶するためこんな話をしているんじゃないのか? ふとピエッチェが思う。ピエッチェは人間、クルテは魔物、若者と守護精霊と似たような関係だ――いや、違う。これはクルテが魔物になる前の話だ。人間と精霊、人間と魔物では違ってくるはずだ。だって、クルテは森に縛られていない。ずっと一緒にいると言った。人間になることだってできなくはないと言った。


 クルテの話は続く。

「人間の妻を娶ったのだから二度と守護精霊には会えない。そう考えた若者は森を訪れることはなくなった。だが、せめて食べ物や着るものを娘に与えてやりたかった。若者は従者に森の女神への貢ぎ物だと言って、食べ物や服を届けさせた。守護精霊がいるのだから、そんなものは不要だった。だが、物ではなく愛情と受け止め、守護精霊はそれらを娘に与えた。あなたを大切に思っている人からの贈物だと告げて」


 言葉を切ってクルテが溜息を吐いた。

「従者たちもうすうすは奇怪おかしいと思っていたようだ。森の女神の貢ぎ物に幼女の着るような服があり、その服のサイズがどんどん大きなものに変わっていく。森に隠し子がいるのではないか、そう噂した。だが、誰も娘を見た者はいない。誰に会うこともなく、言われた場所に貢物を置いて帰るしかなかった。守護精霊が娘の姿を人間の目から隠していた」


 若者はどんな思いで娘に着せる服を選んでいたのだろう? 物でしか愛情を示せない歯がゆさに苦しんではいなかったのか? それとも義務感に突き動かされていただけなのか?


「貢物は十年続いた。赤ん坊は十四歳になったが自分が何者なのかも知らず、森に守られ幸せに暮らしていた。怖いものなど何もなかった。だからうっかり森の外れ、守護精霊の力が及ばない場所に出てしまい、人間に出会ってもただ驚いただけだった」


 ピエッチェが緊張する。きっとソイツがゴルゼだ。


「森に貢物を持って行けと命じたあるじの、面影を持つ少女を見た従者はこれが噂の隠し子だと確信した。そして思った、これは使えると。そんなことに少女は気付くこともなく、いつも美味しいものや綺麗な服を持ってきてくれていたのはあなたなのね、と男を信用してしまった。そしてそのまま男の口車に乗り森を出てしまう」


 それから暫く黙っていたが、

「疲れた、もう寝る」

と立ち上がったクルテ、

「その後どうなったかは、もう話した――これで満足か?」

ピエッチェを見ずに言った。


「えっ? いや、違う。そうじゃない」

クルテの言葉に慌てるピエッチェ、だが自分でも何が違うのかがよく判らない。

「えっと、なんだ……そうだ、おまえ、話したくなかったのか? それを俺は無理に聞き出した? だとしたら済まなかった。謝る。だから機嫌を直せ」


 サックをベッドの上に放り出し、もう一つのベッドに潜り込んだクルテがピエッチェに背を向けた。

「そんなんじゃない。機嫌も悪くない。疲れただけ。それと、今の話でピエッチェがわたしを嫌うんじゃないかって心配なだけ」


「なんで俺がおまえを嫌う?」

「精霊が人間の命を取り込んで作り上げた、精霊でも人間でもない名状しがたい不可解な存在。そんなわたしがいとわしくないか?」

「おまえ……」


 なんと答えればいいのだろう? なんと答えれば、心を伝えられるのか? 厭わしくなんかないと言ったところで、クルテは虚しさを感じるんじゃないか?


「まさか、自分の出生を呪っているのか?」

ピエッチェの問い、すぐには聞こえないクルテの返事、また無視されるのかとピエッチェが思う頃やっと

「何も知らなければ幸せだった」

とクルテが呟いた。


「ゴルゼの手から逃れて、最初は森に帰った。だが守護精霊は受け入れてくれなかった。わたしがどう生み出されたのかを語り、森に居ることが人間に知られた以上、もう隠しきれないから人間の暮らす場所に行けと言った。若者を頼れ――わたしは精霊ではなかった。だから森に見放されたのだと思った。だけど人間でもないわたしは若者のもとに身を寄せても、そこが自分の居場所だとは思えなかった」


「若者はおまえを無下に扱ったのか?」

「会えたことを涙ぐむほど喜んでくれた。それに大事にしてくれた――でも、彼には人間の家族がいて、わたしは人間ではなかった」


「家族に酷いことをされたのか?」

「家族にはわたしを大恩ある人の娘と紹介したから、そんな事にはならなかった」

「それがなおさら居心地を悪くした?」

「そうなのかな? そうなのかもしれない。だが、精霊でも人間でもなく何者と言う事すらできない。そんなわたしが居場所を求めることが間違いだとは思わないか?」

「思わない――おまえが何者であれ、クルテ、おまえはおまえだ。それに、俺のそばに居ると決めたのだろう? 居場所を見つけたじゃないか」


 ピエッチェが思う。そうか、正解はこれか……

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