第15話

 翌日も、その翌日も、琴音は機嫌が悪かった。智之を許す気はないようで、塵を見るような目をしていた。寝室の卵型ライトはいつの間にか撤去されており、派手な下着が視界に入ることもなくなった。二人目をつくらなくてもよくなったのか。パパ活を知られてしまったことは、悪くなかったとすら思う。


「でも結局誰だったんだろうか」

「何がー?」

「ほら、例の写真だよ」


 残業で居座る者がすべて立ち去った後、美沙と智之は一室で密会をしていた。

 智之が美沙にあの後のことをすべて話した。

 写真を送られたことがきっかけで、琴音に伝わってしまったこと。誰がその写真を送りつけてきたのか、見当もつかないこと。


「んー、智くんを恨んでる人じゃない?」

「そんな覚えはないんだけど」

「じゃあ、奥さんを恨んでる人とか」

「それは結構いそうだな。敵をつくりやすいタイプだから」

「あとは、離婚させたい人の仕業とか」

「それを言うなら…いや、なんでもない」

「ちょっとー、なんで今あたしを見つめたの?」

「なんでもない」

「言っておくけど、あたしじゃないよ!」

「分かってる」


 美沙ではない。それは断言できる。

 これだけ関係を続けてきて、「離婚して」「あたしだけを愛して」など、仄めかす言葉さえ美沙の口から聞いたことがない。本命になりたいとは思っていないのだと、智之は確信している。都合の良い女でもいい、それでいいから傍にいたい。そういう思いが美沙にあり、だからこそ二人目の子どもの話になっても否定的なことは言わなかったと推測している。

 美沙にその気があれば、今まで何かしらアクションを起こしていただろう。今になってパパ活を暴露する必要性はない。

 パパ活といっても、一緒に食事をしただけだ。それ以上のことは何もない。そんな微妙な証拠写真よりも、美沙との不倫を匂わせるような写真の方が夫婦に与えるダメージは大きい。

 そんなこともあって、写真の送り主は美沙ではないと、智之は確信していた。

 美沙は自分が疑われていないことに安堵し、「よかった」と返す。


「心当たりがないんだよ。琴音の友達か、近所の人か、俺か琴音に恨みがある人か」

「知らないうちに恨みを買ったんじゃない?」

「そうなんだろうか」


 心当たりはない。

 家庭に亀裂を入れる程誰かに嫌われているのだと考えてみたが、そこまで嫌われている覚えはない。少なくとも智之に心当たりはなかった。


「実は陰で智くんのことを好きな人、とか」

「そ、そんな人いないぞ」

「分からないよー。だってほら、あたしとこうして一緒にいるくらいだし。他にも狙ってる女がいたりして」

「女か…」


 そう言われて、考え込む。

 確かに、その推測は筋が通っている。智之に惚れた女が琴音に嫉妬し、家庭に亀裂を入れる。ない話ではない。


「封筒に宛名は書いてなかったの?」

「あぁ、何も書いてなかった。ただ写真が入っていただけだ」

「そっかぁ。何の手がかりもないね。怖いねー」

「そうだな。美沙との関係もその内写真で送られてきそうだ」


 一番心配なのはそれだった。

 美沙との関係が暴露されたら、離婚まで発展しなくても夫婦の上下関係が広がってしまう。


「まあでも大丈夫だよ。だってあたしとの関係が長く続いてるのに、先にパパ活の方を写真に撮るなんて。しかも、その日はあたしとも会ってたじゃん」

「そ、そう言われると、そうだな。リサとの後には美沙とも会っていたから、美沙の写真もあるはずだが…」

「もしかしたら、離婚させる気はないんじゃない?ちょっと喧嘩させてやろう、って気持ちだったんじゃないかな?」


 顎に手を当てて考える美沙の言葉は説得力があった。

 あの日、美沙とも一緒に歩いた。リサと別れて暫くうろついていたので、もしも尾行していたのなら、智之が帰らずその地に留まっていたことは知っているはずだ。

 美沙と一緒にいたことを、知らないわけがない。

 それなのに、何故美沙のことは隠すのか。


「…もしかして、美沙の身内?」

「はっ?」

「だって、美沙のことを隠してリサの写真だけ送りつけたってことは、美沙の身内がバレないように配慮したのかなって」

「はぁ!?あり得ないんだけど」


 顔を顰めて睨む美沙に「じょ、冗談だよ」と言って逃げ腰になる。


「うちの両親はそんなことせずあたしに直接言うし、仲が良い親戚なんていないし。身内の線はないって断言できる」

「そうか…一体誰なんだ」


 頭を抱え、必死に犯人を突き止めようと色々な憶測をたててみるが、どれも現実味があるようでない。

 美沙の言った、智之に陰ながら好意を寄せている女の線が濃いと思うが、それだと美沙の写真を同封しなかった理由が分からない。

 智之のことも美沙のことも好きな人間の仕業だろうか。

 智之を男として好きで、美沙に恩がある。そんな女ではないか。


「はぁ、分からないな」

「いくら考えても分からないものは分からないよー」

「美沙、会う頻度を控えようか」

「えぇー、大丈夫でしょ。だってあたしの写真を故意的に入れなかった可能性が高いんだから、あたしと智くんを引き離そうとしてるとは思えないよー」

「…それは、そうだが。念のためだ」


 美沙は納得できず、ぷくっと頬を膨らませて智之のスーツを掴んだ。


「嫌だ!絶対嫌だ!」

「美沙」

「だってそうでしょ、奥さんと智くんの仲を引き裂きたいだけなんだってば。あたしと智くんは大丈夫だよ」

「で、でも」

「智くんはそれでいいの?あたしは嫌だよ、智くんとの仲を引き裂かれるなんて…」

「み、美沙…」

「良い子にするから、我慢するから、気をつけるから。それでも駄目なの?」


 瞳を潤ませて上目遣いでそう言われると、智之は言葉に詰まった。

 可愛い。守ってやりたい。

 がばっと正面から美沙に抱きつき、首筋から香る美沙の匂いを堪能する。

 甘い匂いがする。琴音にはない、良い匂い。女の匂い。


「ごめん。さっき言ったこと忘れてくれ」

「うん!」


 嬉しそうな声で返事をされ、智之の心はきゅっと美沙に握られた。

 こんなに可愛い美沙と距離を置くなんてできない。一週間関わらなかっただけでも辛かったというのに。

 智之は腕の中で擦り寄る美沙に愛おしさがこみ上げ、腕の力を強めた。

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