8
状況は依然として差し迫っているが、ようやくこの鼻の曲がりそうな悪臭から解放されることに、まずは素直に喜ぶべきだろう。それと同時に、ユリアは気を引き締め直した。
敵は入り組んだ水路内をあえて避け、外で待ち伏せている可能性もあり得たからだ。
ヘンゲルが魔法の火を消し、三人は闇に紛れて外の様子を窺った。だが、雷を伴う激しい雨のせいで、辺りに敵がいるのかどうかすらもわからない。加えて水路から通じた場所は、柵も足場の補強もされていない断崖絶壁の細道だった。万が一足を滑らせて落ちようものなら、奈落の底へと真っ逆さまである。
ユリアは鉄格子の扉を開け、先行して外へと出た。その瞬間、荒れ狂う風雨が彼女を容赦なく襲った。それは嵐と呼んでも差し支えのない荒天であった。
風になぶられ顔に張りついた黒髪を耳の後ろへと送り、ユリアは主人に手を差し出す。
「さあリリィ様、足もとにお気をつけて」
手を取りリリィも水路の外へと出ると、奈落の底を見ないように、むき出しの岩壁に身体を密着させた。恐怖で足がすくみそうだったが、それでも、ユリアが手を繋いでくれるだけで不思議と勇気が湧いてくる。
「大丈夫ですか? 歩けますか?」
ユリアは、いつものように優しく聞いた。
「私は、ゲーティ城の巫女です。こ、怖くなどありません!」
「では、ゆっくり行きましょう。足を滑らせないように、慎重に」
狭い場所での戦闘に槍は不向きだ。ユリアは、敵が来ないことを祈りつつ先を進むしかなかった。
谷底を吹く風が、びゅうびゅうと唸りを上げている。背後に見えるゲーティ城の明かりが、徐々に遠ざかり小さくなる。
夜明けはまだはるか遠くにあり、覆いかぶさる無明の闇は、彼女たちの希望すらも飲み込もうとしているようだった。
だが幸いなことに、敵が襲ってくる気配はない。断崖絶壁の足場は、大雨のせいで崩れる危険はあるものの、ようやく一安心できそうだった。
「よし、ここまで来れば大丈夫──」
ユリアが振り返って、リリィを励まそうととしたそのときだった。ヘンゲルが剣を振りかぶり、今にも叩き下ろそうとしていた。当然リリィは、そんなことに気づいてなどいない。
ユリアは主人の手を引き、自分の背後に送ると、振り下ろされた剣と槍を交差するようにして受け止めた。金属がぶつかり合う音が谷底に響き渡る。
手が痺れるほどの強い衝撃が、槍を通して伝わってくる。だがそれ以上に、どうしてヘンゲルがリリィに斬りかかったのか、ユリアには理解ができなかった。
「ふむ、鍛練は怠っていなかったようだな」
ヘンゲルが淡々とユリアを褒めた。
「師匠、なぜ……?」
ユリアが剣を押し返すと、ヘンゲルは間合いを取った。
「二人とも、いったいどうしたのですか?」
地面に倒れたリリィも困惑して、なぜか対立する師弟の顔を交互に見た。
「ゲーティ城の巫女よ、貴殿の異能、私がもらい受ける」
ヘンゲルの宣言に、リリィはハッと息を呑んだ。
「──っ!? あなたは、最初から私が目当てで……」
何かを察したリリィが、緊張した面持ちのままヘンゲルを睨み返す。
回らない思考でもユリアは理解した。師匠は、今まさに自分たちと敵対しているのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます