#嵐の逃走

1

 かつてこの大地には、現代をはるかに凌駕する高度な文明が栄えていたと聞く。


 当時の都市部には、全面ガラス張りの塔が建ち並び、舗装された道には車輪をつけた鋼鉄の動く箱が多く行き交っていたらしい。それらは、馬車など比較にならないほどの物流を誇っていたそうだ。

 きっと、凡人には想像もつかないような楽園の時代だったに違いない。


 しかし、人類がどれほどの栄華を極めようとも、積み上げてきたものが崩れ去るのは一瞬だった。無情にも人類は、未曾有の大災害によって滅びたのだ。その原因は、戦争によるとも、不治の疫病の流行によるとも言われているが、真相は定かではない。ただ唯一判明しているのは、人類は身に余る技術力によって自ら滅んだということだ。


 北方の小国ルグテンの、のどかな草原地帯に拓かれたフェンネ村から、緩やかな峠を越えた先に、旧文明の遺跡群はあった。人の管理を離れて久しい建物の残骸は、雨風にさらされ風化しており、道路のすき間から芽吹くたくましい植物たちによって、自然の一部へと還っていた。


 悠久の時間の流れを感じさせるその光景は、見る者たちに、繁栄は滅亡の隣人であり、また新たな歴史は滅亡の先でしか誕生しないことを知らしめているようでもあった。


 旧文明の遺跡群は、ルグテンの至るところで発見されている。人里近くに佇んでいたり、分け入った深い森の奥地や、あるいは鉱山の奥底にも。


 レガシィ教団は、そういった旧人類の文明技術を管理、調査し、現代に復元して人々の生活発展に尽力する組織である。

 またそれに伴い、滅んだ旧人類の過ちを教訓として人々に説教し、国民の意思を一つに束ねるための啓蒙活動にも精を出していた。




 やむ気配を見せない大粒の雨が、ざぁざぁと降りしきる夜。かがり火が等間隔に並んだゲーティ城の廊下を、主従関係にある少女たちが歩いていた。

 豊かな亜麻色の髪が揺れるたびに、甘やかな花の香りが彼女に追従する少女の鼻腔をくすぐった。

 護衛の少女は、黒髪、灰眼にて痩身長駆。騎士を名乗るには、少々頼りなさそうにも見えるが、その実、並みいる騎士たちを出し抜き、巫女の護衛に選出された正真正銘の実力者だった。

 彼女が携える、長槍状の特殊な武具がその証明だ。


 ふと、うるわしの主人が、廊下の真ん中で足を止めた。雨音に混じって、小さくため息をつくのが聞こえてくる。


「いかがなさいましたか、リリィ様?」


「ユリア、あなたがこの城に来てどれくらい経つのかしら?」


「五ヶ月と二十三日です……」


 従者の言葉に淀みはない。


「私とあなたは友人同士ではなくて?」


 主人のその声音に、不満があらわれているのは明白である。


「ですが、私たちは騎士と巫女……主従関係にあり、そこに私情を挟むことは許されないはずです……」


 リリィは教団の巫女だ。巫女とは教団の神秘の象徴であり、国民が信奉する神【蒼穹】をその身に降ろして言葉を伝える役割を担う、超常的な存在である。

 そしてユリアは、彼女の身辺警護を務める近衛騎士であった。


「この石頭……」


 リリィは声をひそめて悪態をついた。


「……? いまなんと?」


「堅苦しいのは嫌だと言ったの」


「私を石頭と罵ってませんでしたか?」


 ユリアは少し意地悪を言ってみた。


「あなた、わざと──っ!」


 勢いよく振り返ったリリィは、まだあどけなさを残す顔に必死の怒りをあらわにした。そして、感情の流れを仕切り直すように咳払いを一つした。


「せめて、昔のようにリリィと呼び捨てにしてちょうだいな!」


 かつてふたりは、友人として対等だったはずだ。しかし現在は、組織に属する人間として、私情を排して立場をわきまえなければならない。彼女リリィは命を賭してでも守るべき主人であり、自分ユリアは所詮は従者、ただの騎士に過ぎないのだから。


 少女たちにとって、十余年の別離は短くはなかった。それは、互いが相手への想いを募らせるには十分な時を育んだが、互いを想うがゆえにまた多くのすれ違いも生んでしまった。


 こんなにも近い距離にふたりはいるはずなのに、立場も、背負うものもまるで違う。

 出会ったばかりの、何も知らず、ただ幼かった頃のようには、少女たちは戻れないのだ。


「出来ませぬ」


 ユリアはきっぱりと断る。


「むぅ!」


 リリィは頬をぷくっと膨らませながら、不服の意を示す。かわいい。


「リリィ様……どうか、ご容赦ください」


「あなたは変わってしまった!」


 リリィは、ぷいとそっぽを向いてしまった。


「ですが、こうして、ずっとあなたのお側にいられます」


「それは近衛騎士としてでしょう? 友人としてではないじゃない」


「何ごとも、“犠牲なくして得られず”……ですよ」


 気がつけば、それはユリアの口癖となっていた。リリィの騎士になるために、彼女は多くの取捨選択を迫られた。その重く苦しい決断の連続の果てに、ふたりは再会を果たすことができたのだ。何かを得るということは、往々にして何かを捨てる覚悟を強いられる。すべてを手にして大団円とは、所詮は物語のなかの絵空事でしかない。


「はぁ……まあ、いいわ。それにしても、ひどい雨ね」


 リリィは、滝のような雨量の中庭に目をやった。


「真夜中から明日朝にかけて、よりいっそう強く降るらしいです」


「ただでさえ、城に閉じ込められるばかりの毎日なのに、天気もこうだと気が滅入りそう……」


 リリィは身震いしたあと、自らを抱くように腕をさすった。

 夏が終わり、秋の気配を漂わせるような肌寒さだった。


「少し冷えてきたわ。早く部屋に戻りましょう」


 ユリアが頷こうとしたそのときだった。影に沈んだ廊下の隅でなにかが動いた。


「──っ!?」


 ユリアの本能が危険を訴えている。直感に突き動かされるまま、彼女は盾になるように主人の前に飛び出すと、携えた長槍を正面に構えた。


 暗がりに冷たく光る凶刃を見た。予感は確信に変わった。刹那、殺気を放つ何者かが、目立たない黒の外套を翻しながら襲いかかってきた。


「敵襲!」


 危険を発するユリアの通る声が、城内に鋭く響くのだった。

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