狐の世冥入り〜僕のお嫁さんは、何故かメイドの狐です〜

燈乃つん

前編

自分で言うのも何だが、僕は良い人間ではないと思う。細々とした理由を挙げるのは、それはそれでいたたまれないので、何となくそういう自己認識だということだけ伝えておく。


だけど。もし、こんな僕が人間としての最もの幸福の一つ…結婚を、することが出来るとしたら。


どんな運命的な出会いを、するのだろうか。


「……何てね。ラノベの読みすぎだ」


大学からの帰り道。雨が降りしきる曇天を見上げながら、センチメンタルな気分ついでに独り言を呟く。


今日は特に何の予定もなく、友人達のグループもこの後カラオケに行くから一緒にどうかと誘われたけど…バイトだとか適当に理由を付けて帰ることにした。


3、4人くらいだったら楽しめるけど、5人6人となってくると待ち時間が長くて暇だしあまり歌えないので、少し気が引ける。


「とはいえ…帰ってしたいゲームも特に無いし、やっぱり行くべきだったかなぁ」


こうして思い返すと、無性に自分も皆がワイワイしている輪に入りたくなった。一度断った手前参加しづらいが、まぁ今日は休みの日だったと言えば---


"誰か、助けて"


「え……」


頭の中に響くように聞こえた声に、思わず足を止める。ふと気が付けば、目の前には神社の階段が佇んでいた。最上段には、赤い鳥居が鎮座している。


「……此処から、聞こえた?」


生まれてからずっとこの街で暮らしてきたが、この神社に人が参拝しているところを見たことがない。なのにこんな雨の中で誰かの声が聞こえた、ということは…。


「……」


普通はこんなの、幻聴だと思うだろう。僕だって殆どそう思っている。けれど、うまく言えないけれど。


今このまま聞かなかったフリをしたら、一生後悔する。そんな気がした。


だから僕は、一歩、階段に足を踏み入れた。


ーーーー瞬間、世界は桃色に染め上がる。


「うわっ!?」


不意の突風に晒され、傘が手から離れるのも構っていられず反射的に肩が竦む。やがて風が止み、恐る恐る目を開けたそこには…信じられない光景が広がっていた。


「嘘だろ…?」


先程まで僕は確かに街中に居て、ただ一歩神社への階段を踏み出していたはず。


なのに…今目の前には桜並木と石灯籠がズラリと上へ伸びる階段の真ん中に立っているではないか。鳥居も間近に見えていたはずなのあんなに遠く、更にはあれだけ雨模様だった空は雲一つ見えない。


振り返っても、その先はぼやけて何も見えず道なんて何処にも見当たらず思わず放心する。


「……夢でも見ているのか」


どう考えても普通じゃない。今すぐ逃げたほうが良い。美しい景色に反して、全身がこの場の異常に警鐘を喧しく鳴らしている。


惹かれたのは自分のくせに、今、僕は凄く恐怖し戸惑っているのだ。


「ふっ……」


それを改めて再確認した時、浮き足立っていた僕の心が足が、しっかりと地に着いた。


考えてみれば、まず幻聴のような声に耳を傾けたのだ。その時点であり得ないのだから、今更ガラリと世界が変わったくらいで怯える必要なんてないだろう。


「行こう」


己を鼓舞する為と決意を新たにする為に、はっきりと独り言を呟いてまた階段を歩き始めた。


微風に揺れて、桜吹雪の舞う中で。散りゆく花びらは短く長い旅路の始まりか、それとも終わりか。それすらも、分からないままに。


秒針が時を刻むように、花が風に揺れ踊るように。一段ずつ踏み締めるように登り、50段から数えるのをやめた階段を少し息を上げながら辿り着く。


「……!」


鳥居をくぐるとそこには、大きく開けた境内と真っ直ぐ伸びる石畳。それを丸く切り取る桜の木々に、その中心で荘厳と構える立派な一つの建物のみが存在していた。


それら全てを桜吹雪が彩るように舞い散るものだから、この世のものとは思えないほどに絶景だ。僕は暫し立ち尽くしてしまい…やがて我に返ると、辺りをもう一度見回す。


けれど、人の影も形も無い。やっぱりあの声は幻聴で、これは夢なのだろうか?眠った感覚は無かったし、怪しい薬をキメた覚えも無かったけど…。


「……折角だし、お参りして帰ろう」


声の主に会うこともそもそも本当に聞こえていたのかもわからなかったけれど、こんなに綺麗な景色が見れたのだ。感謝の一つでもして、早々に帰って皆への土産話にしてやろう。


ザッ、ザッと石畳を歩く自分の足音と風に揺れる桜の木々が擦れる音だけが響く世界を進み、御社殿の前へ近づいていく。賽銭を用意して…と思ったが、賽銭箱はおろか参拝の際に鳴らす本坪鈴すら無い。


本壺鈴は気持ち的に有り難いから鳴らす…だけではなく、ちゃんと鳴らすことで悪いものを祓い参拝者と神様の心を清めるという価値がある。それが無いとは言うのは、些か神社としてどうなんだ…と思わなくもないが此処に真っ当な神社を期待しても仕方ないか。


「ん?何だろう…」


正面に並び立つ左右の像が狛犬ではなくお稲荷さんであることにも気付いたが、何より殿の扉に一つ小さな札が貼られているのも目に留まった。


どうせ誰もいないから、堂々と数段登って扉の前へ。木の格子越しに中を覗き込んでも暗がりでよく見えず、手を掛けて横に引こうとしてもガタガタとするだけで開かない。


「鍵…かかってるようには見えないけどなあ」


まさか、この札で?『此処』ならあり得ないことではないだろう…というか僕は何でここを開けようとしているんだ。ただお参りするだけなのに…。


鈴も賽銭も無いなら、此処から直接祀られているであろう神様に語りかけるのも悪くない。そろそろ寂しさを紛らわせるための独り言にも、飽きてきたところだ。


そっと扉に手を当てて、祈りを込めて瞼を閉じる。心なしか、風とさざめきの音が遠のいていく気がする。そのまま自分の内を見るような気持ちで、願いを呟いた。


「どうか…幸せになれますように。結婚して、一生愛し合えますように」


人として当たり前のこと…『幸せになりたい』。心から相手のことを愛し、お互い『幸せな気持ちになりたい』。今思い浮かんだのは、この2つだった。


"……この私に直接お祈りとは、中々度胸のある人間じゃ"

「っ!?」


慌てて目を開けると扉越しの暗闇にボウ、と淡紅色の炎が大きく立ち上がる。しかし熱は感じず燃え広がることもない、不思議な炎だ。


"何じゃ幽霊でも出たみたいに…あぁ、もしかして。こういう…軽い口調の方が好み?現代だとこれが主流なのかな"

「い、いや別にそういうわけじゃなくて…。まさか返事が来るとは思ってなかったというか、誰もいないと思ってたというか…」

"ん〜?あぁそっか、封印されとったもんな…そうじゃったそうじゃった。それが緩んじゃってたかのう?見たところ、術師って訳でもなさそうじゃ"

「封印?術師?…僕には何のことか、さっぱり分からないけど…」

"まっそんなことはどうでも良い。とりあえず、お前さんの願いを叶えてあげるから此処から出しておくれ。此処って窮屈で仕方ないのじゃ"


炎からは声だけしか聞こえないのに、声の主が足元を指さしているのは雰囲気で分かった。この声が響く感じ、さっき聞いた声と同じだけれど…印象が全然違うな。


「ってそうじゃないや。えぇっと…」

"桜火(おうか)ゆうこじゃ。ゆうこと呼んでおくれ"

「……ゆうこは、此処に封印されてるんだよね。それって、封印される前に悪いことしたってことじゃないの?」

"それは違う!ただ私が邪なものだと一方的な理由で、封印されたんじゃ…!"

「なるほど…まだこれが現実なのか夢なのかもハッキリしないからなんとも言えないけど。妖怪は、基本的に人間には怖がられるものだしね」

"うんうん、本当にそうじゃ。だから…の?哀れな私を助けると思って、此処は一つ!何でも一つ願いを叶えてやるからっ"


炎がゆっくりと近付き、それに釣られて目線が自分の手に押さえられる形になっている札へ誘導される。確かにその話が本当なら、今すぐにでも助けてあげたい。


が…例えこれが夢だとしても、いや夢なればこそ。美味しい話にホイホイ載せられるのは良くないだろう。


「本当にそうかな…?」

"え〜ここで疑うかの〜?"

「生憎と、僕はそこではいそうですかって頷ける善良な人間じゃなくってね。開けられない理由は幾つかあるけど…まず一つ目に、開けたら願いを叶えてくれるってのは流石に胡散臭すぎる」

"むっ"

「二つ目に、一方的な理由だろうと封印されるような君が名字と姓を持ってるのはどう考えてもおかしい」

"むむっ"

「最後、三つ目。君は邪のものとして、しか言ってないのに僕が妖怪はって言ったら君は否定しなかった。つまり君の正体は妖怪或いはそれに属する存在ってことだ」

"むむむっ…"

「以上のことから、君を簡単には出せない。何かおかしな点はあるかい?」

"……はぁ、私も落ちたものじゃ。こんな小童に容易く穴を突かれてしまうとは"

「のっけから失礼だな君…本性見せたかと思えばそれか」


危ない危ない、旨い話にゃ針千本。創作物やニュース越しが殆どとはいえ、その手のものに触れていて良かった。


先程までの優しい物腰とは裏腹に、落ち着いた…というより何処か冷めたものを感じさせる声音で炎は話を続け始める。


"お前さん、中々才があるのう。この際封印は良いから、名を教えてくれんか?久方ぶりの話し相手でもっと話したいのじゃ"

「お稲荷さんに衛兵で稲荷 衛(いなり まもる)だ。物の怪にしては随分潔いね」

"今のお前さん…衛に甘言を投げても、袖にされるだけじゃからな。なれば、此処は大人しく引くのが賢明というものよ"

「ゆうこも、只の物の怪って感じじゃ無いな。何の妖怪なの?」

"うむ、それはじゃな…【その札を剥がせ、衛】"

「は?な、にっ…!?」


頭に響く声が強くなったその時、体が突如として金縛りにあったかのように身じろぎ一つすることができなくなった。かと思えば、ゆうこの命じるままに指が勝手に札を摘まみ上げる。


「何だ、これ…ゆうこ、何をっ!」

"ふふ、すまんのう…じゃが衛も悪いのじゃよ?物の怪であると見抜いておきながら、容易く『真名』を教えるとは"

「そうか…!だから、君はっ、あの時…!」

"その通り。衛…お前さん、言うほど不良な人間でも無さそうじゃぞ?"


どうやら、いつの間にか担がれまんまと術中に嵌ってしまったらしい。その悔しさと意地で必死に抵抗を試みるものの…どれだけ力を込めようと、指は吸い付いたように離れない。


「く、おおおっ…!!」


バリィ!とただの紙と呼ぶにはあまりにも重厚な手応えと共に札は剥がれ、瞬く間に灰となって崩れ落ちた。直後、扉が破裂するように開け放たれ炎が僕に矢のように飛び込んでくる。


殺される、初めて明確に死の恐怖を感じた。咄嗟に、この場にはいなかった神に祈るように瞼を閉じて訪れる死を待つ。


何か柔らかいものが一瞬唇に触れた気がした後温かなものに包まれ、フワリと体が浮いて不意に着地する感触。思ったより、死ぬのって優しい感覚なんだな…。


「……私が何の妖怪か、じゃったな。教えてやろう」

「っ……」


目の前から聞こえる鈴とした声に、夢から醒めるように目を開けた。その視界に最初に映ったのは…黄金の稲穂のように煌めく瞳と、あの炎のように艶を帯びる橙色の髪。


細い眉と軽く上がった口角は不敵な笑みを見せ、その綺麗な肌は陽の光を受け魅惑的に輝き。そして…白と黒を貴重とした衣装に身を包み、ヘッドドレスの奥でぴこぴこと大きな耳と幾つもの尻尾を揺らす様は…正に。


「私は悠久の時を生きる狐、悠狐。その昔…この世を地獄に落としたとしてこの地に封印されたものじゃ、ご主人様」


そう言って目の前のメイド…悠狐は、にひひっとイタズラした子供のように無邪気に歯を見せて笑った。


僕は、その美しさと可愛さに…不覚にも心奪われ、見惚れてしまったのだった。

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