第3話 金星のタオル
今でこそ盤石な太陽幕府であったが、最初期は酷いものであった。
何せ金星周辺の寄り合い所帯からの発足なのだ。
開祖である御大将軍からして、VNMの暴走前夜までは無名であった。
実際、彼は混乱前夜までは金星圏最大の中華宇宙軍の一軍人に過ぎない。
軍内はともかく、民間への政治力など期待できなかった。
よって彼が勢力拡大する際に、裏付けとなる権威を求めたのは、ごく自然な事であろう。
そもそも論、太陽幕府が生まれたのは地球環境の悪化が発端である。
当時、先進国はVNMと人工知能を用いて地球の環境改善を試みた。
しかし、各国の思惑とは裏腹に環境改善は盛大に失敗した。
それは何故か?
人工知能にエラーとセーフティが設けられてなかった為だ。
このミスによりVNMが汚染され、後々まで祟ることとなる。
二つの歯車の狂いは、当初は問題を起こさなかった。
しかし最終的に、指数関数的に増える汚染VNMの活性化と言う事故を起こす。
結果、地球上のインフラは壊滅した。
無理もない。なにせ先進国程VNMの利用が進んでいたのだ。
サステナビリティで、もてはやされたVNMが生んだ悲劇であった。
『環境保全』の為にネットワークは汚染VNMの絶叫でトラフィックが壊滅。
電子機器は汚染VNMを産んだ狂気のAIに乗っ取られた。
そして『環境負荷』の高い社会は排除対象とされた。
さらに皮肉なことに、最新設備の工場群は人類に敵対的な機械を生み出した。
今も昔も汚染VNMは電子機器の排除を第一目的とする。
この大打撃を受けて、人類は追い詰められた。
ありとあらゆるエネルギーが汚染VNMの手で止まったのだから無理もない。
アウトブレイク後の地球に残された国家は、軒並み壊滅的な状況であった。
それも仕方がなかろう。
世界経済は崩壊し、人民の暴走は止まらず、人類は機械に追われる。
生存圏を刻々と削られていたのだから、自然と科学技術は衰退していった。
それでも、ありとあらゆる電子技術を捨て地球に残存することは可能だった。
汚染VNMは、あくまで『環境保全』が全てなのである。
幸いなことに人間が感染しても、その命を奪うことはなかった。
しかし、こんな地上では生き残れる人類はごく少数。
早々に富裕層は新天地である宇宙へ逃避した。
しかし膨大な人間が地上に残された。
あのままでは150億の人類の過半数が地上で餓え死んだのだろう。
こうして人類は文明を大きく後退させるかと思われた。
だが、一つの救いがあった。
日系ブラジル人が開発した、俗称【田中の蜘蛛の糸】。
正式にはタナカ式軌道錘が発明された。
この発明と軌道エレベーターが、安価な宇宙への脱出を叶えたのだ。
――かくして人類は生存に成功した。
だが、地球と言う範囲から逸脱した汚染VNMは関係がなかった。
汚染VNMにとっては、『環境保全』が全てなのだ。
虚空に浮く、コロニーもまた『環境負荷が高い』のである。
宇宙へ逃げようと、人類が狂ったVNMの排除対象となるのも必然であろう。
こうして、宇宙と言う逃げ場のない場で戦いの火蓋が再び切って落とされた。
――――緑青社 自費出版作品:太陽幕府の穿った歴史 より抜粋
■■■
空港から大気圏航空機で二人は知行地の屋敷に戻ることにした。
昔から変わらない空港へと入り、電子決済で支払いを済ませた二人。
ラウンジで時間を潰すことなく、レーザー給電で動く航空機へ乗り込んだ。
それなりの人数が乗り込んだ機内だったが、空席が目立つ。
親子で窓際の席を取れた二人だった。
が、疲れもあってか止正は早くも微睡んでいた。
そんな父を複雑な気持ちで見ながら、波瑠止は黙っていた。
彼が端末で時間を潰すかと思うと、アナウンスがあった。
その後、するすると機体は離陸する。
………波瑠止は窓を見て、中京城を中心とした都心の威容を意識してしまった。
嫌な思いが込みあがった彼は、あてもなく視線を移す。
すると金星の昼夜を地球時間に調整する、『金星のタオル』が目に入った。
……『金星のタオル』こと【レースフォーベールオブビーナス】は巨大な殻だ。
彼女は航空機の窓の外からでも、わかるほどの巨大な構造物である。
今、遥か彼方にあるように見えるが、実際は金星の半分以上を覆っている。
金星に生まれてから見慣れた景色を見ながら、波瑠止は考える。
この金星を覆う巨大な外殻、建設当時から太陽光と磁場を調整し続けていた。
巨大な発電機でもあり、電磁シールドである彼女が回らねば金星は回らない。
……もし仮に、このタオルが失われれば?
金星は汗っかきの灼熱の星に戻るだろう。
余談だが、金星のタオルが昼夜を司るため、金星で星を見ることは不可能だ。
また例え晴天であっても、常に空にある構造物である。
金星に住う人間なら、常に意識せざるを得ない。
人類が作り出した、この揺り籠は偉大な構造物であり、金星の生命線である。
だが……今の波瑠止には檻にしか思えなかった。
―――俺たちは生まれながらの歯車で管理対象。
支配階級に生まれても、自分は酷く窮屈だ。
若者らしい想像を彼はしてから自己嫌悪に陥った。
これまで何も考えず普通の生活が続くだろうと思っていた彼。
なのに、それはあっけなく崩れた。
――――借金、知行地、実感は湧かないが幕府の命令では逆らえない。
あれは、婉曲的な死刑宣告ではないのだろうか。
家のために己は失敗することをやらされる。
父は父で後妻をもらって生き延びることを強制させられる。
………こうなると、結婚だって不自由になってくるんだろうな。
そう想像し、ますます彼の気分は沈んだ。
ふと携帯端末を開くと、若き上杉の次期当主のゴシップ記事が気になった。
加害や虐待の文字が躍るが、根拠に乏しいと思われる。
―――外様の方が楽なのかもしれないと、ふと波瑠止は思った。
今や上杉と伊達は国王みたいなものである。残る外様も同様だ。
水星と言う、太陽系の内側に閉じこもった土竜ども。
そう譜代では言われるが、どうだろう?
捨てられた金星よりかは、やりたい放題出来るとも聞く。
波瑠止は改めて身の上を思う。
―――感じの悪い、あの役人だって火星出のエリートだ。
現在の幕府もメリトクラシーを謡っている。
実際、上層は優秀な人材を欲していたし、出世のルートがある。
けれども縁故と立地と言うのも、昔から変わっていなかった。
ワープが出来ても、田舎と都会は格差がある。
………上を見ても、下を見てもキリがない。
連れてこなかった、腹心扱いの男の幼馴染と波瑠止は話したくなった。
性格にやや難があるアイツ。
だけど、彼にとって唯一本心を吐露できる相手であったから。
地元の空港へ戻っても彼の気分は良くならなかった。
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