第2話
家に入り、着替えを済ませた私は、机の上のフォトスタンドを見つめた。
学祭のとき、ゼミの仲間で撮った写真を入れていた。
みんな素敵な笑顔。
私も、貴矢くんも……
私は貴矢くんのことを、友達以上恋人未満だと思っていた。
けれど今日、こんな絶好の告白の機会に、何も言ってこなかった貴矢くん。
貴矢くんは友達以上ではなくて、ただの友達だった……
私はフォトスタンドから写真を外した。
そして、その写真を机の引き出しの中にしまった。
* * *
翌日の卒論発表会はうまくいった。
もうほとんど、大学に行くこともない。
卒業式も無事に終え、私は社会人になるまでの春休みをのんびりと過ごしていた。
大学では彼氏はできなかったけど、職場では新しい出会いがあるかも知れないな。
* * *
私は社会人になった。
研修に追われ、日々を慌ただしく過ごしていた。
働くようになると、休日のありがたみが身にしみた。
毎日、仕事のことばかり考えるようになり、学生時代のことを思い出す余裕もなくなっていた。
数ヶ月が経ち、少しずつだけど仕事にも慣れてきた。
休みの日、私はショッピングモールで買い物をしていた。
買った物を持って駐車場に戻り、親から借りた車に乗り込んだ。
車を出そうとすると、空きスペースを探している車が、私の前を横切った。
その車は素早く切り返すと、私の正面の空きスペースに何のためらいもなく入れていた。
車庫入れ、私もあんな風に上手にできるようになりたいな。
そんなことを思いながら、シフトレバーを[P]から[D]に入れ、車を出そうとした。
けれど、目の前の車から颯爽と降りてきた人に、思わず目を奪われてしまう。
え? もしかして……
シフトレバーを[P]に戻して、もう一度、よく見てみる。
間違いない。
貴矢くんだ!
まさかこんなところで再会するとは……
貴矢くんは、前に送ってくれたときとは違う車に乗っていた。
真っ赤なスポーツカーだ。
車も、そして、降りてきた貴矢くんも、とってもかっこよかった。
社会人になった貴矢くんは、おしゃれに磨きがかかっていて、さらにセンスが良くなっていた。
私は車を降りて話しかけようかなと思った。
できなかった……
貴矢くんは社会人になって、あんなにかっこよくなったのに、私はきっと、学生時代とたいして変わっていないだろう……
髪型も、メイクも、服装も……
なんとなく、今の私で貴矢くんに会うのは恥ずかしく、そして、不釣り合いな気がした。
貴矢くんは、私が車の中にいることには気が付かず、そのままショッピングモールの中へと入っていった。
それを見届け、私は車を降りた。
貴矢くんの車に近づいてみる。
真っ赤なスポーツカーは、ピッカピカに磨かれていた。
学生時代に乗せてもらった車とは大違いだ。
車の中を覗き込んでみた。
とてもきれいだった。
灰皿はない。
ゴミもない。
私は自分の車に戻った。
はぁ……
しばらく見ないうちに、貴矢くんは垢抜けて、ますますかっこよくなっていた。
それに比べて、私は……
私は車を発進させ、家に帰った。
なんとなく自分だけが時代から取り残された気がして、暗澹たる気持ちになった。
部屋に戻った私は、机の引き出しの中から学生時代の写真を取り出した。
そこには、1年前の仲間たちの笑顔が輝いていた。
私は、空になっていたフォトスタンドに、その写真を戻して立てた。
この頃の私と比べて、今の私は成長したのだろうか……
社会人として、つたないながらも働いている。
責任ある仕事をして、お給料ももらっている。
うん。
学生時代とは違う。
私は成長している。
そう、自分に言い聞かせた。
学生時代の仲間たちがいつか私に会ったとき、私のことをどう思うだろうか。
志保はきれいになった。素敵になった。
そう思ってほしい。
私は自分磨きを始めた。
高くて手が出せなかった美容液。
これを機会に買うことにした。
ヘアアイロンも最新型のものを買った。
ヘアオイルにもこだわった。
デパートのコスメコーナーに行って、メイク指導を受けた。
社会人になって初めてのボーナスで、大人っぽく見える服を買った。
貯金は貯まらなかったけど、自信は貯まってきた。
母は言った。
「志保、きれいになったね。彼氏でもできたの? おうちに呼ぶなら言ってね。美容室行かなきゃ」
「あははは……そんなんじゃないよ」
職場でも、同期の子達から褒められるようになった。
「志保ちゃん、彼氏できたんでしょ? 私達の中で志保ちゃんが一抜けかも」
よし、修行の成果が表れてきたぞ!
帰宅した私は、机上のフォトスタンドを見る。
そして、鏡に映る自分と見比べる。
うん。
私はもう、あの頃の私ではない。
次に街で、貴矢くんに偶然会うことがあれば、自分から声をかけよう。
私は貴矢くんに釣り合う女性になれたかな?
大学時代、あれだけ仲が良かったのに、告白してこなかった貴矢くん。
今の私を見せて、きっと後悔させてやる。
卒業までに告白しておけばよかったって。
でも……
あんなにかっこいい貴矢くんのことだから、すでに彼女がいるのかも知れない。
それならそれでいい。
今の私を見せて、やっぱりあのとき告白しておけばよかった、って後悔させてやる。
貴矢くんと付き合えるのなら嬉しいけど、今の私は交際したいと言うより、見返したいという思いの方が強くなっていた。
だから、いつか貴矢くんに偶然会えるその日まで、自分磨きを続けるのだ。
けれど……貴矢くんとはもう会えない運命だったりして……
もし、そうだとしても、自分磨きは無駄にならないと思う。
貴矢くんよりステキな男性と出会えるかも知れないし。
私は近所のスーパーに行くときでも、思いっきりおめかしをして行った。
いつどこで、運命の人と出会えるか分からないからだ。
本を買って勉強もした。
偉人の名言集だ。
『チャンスは準備ができている人のところにやってくる』
フランスのパスツールが言った言葉。
これを座右の銘として、私は毎日を過ごした。
結局のところ、街でも近所でも、私は貴矢くんに会うことはなかった。
それでも良かった。
私は自己肯定感が上がっていた。
毎日の生活は充実していた。
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