第2話、人生の用意がなされたと同時に人生に見放されてしまう

・・・・・


本当にわからない。

昨日、俺は顔面を4針縫った。


他に異常はない。見た目は完全に怪我人だが。


確かに麻酔が切れて午前中は非常に痛かった。だが、痛みだけである。普通に会社に行った。


そして、上司に帰らされた。半強制的な午後半休である。解せない。まあ、わからなくはない。顔面にでかでかと絆創膏貼ってある以上、心配して下さる素晴らしい上司に感謝している。


しかして、帰らされた時間。

午後は暇になってしまった。予定はない。当たり前だ。仕事の予定だったのだから。


そう、それは・・・本当に魔が差したとしか、言えない。ゴミ箱にあるチケットは、今夜のチケット。


オーケストラがメインだったはず。指揮者の就任披露公演で「音楽家」はゲストだ。


俺の教養という類いは、嗜み程度だ。

とりあえず、Münchner PhilharmonikerもBerliner Philharmonikerもコンサート会場で聴いている。


なんならSilvesterもコンサート会場で聴いた。「ハッハッ」という指揮者の息遣いが聞こえる位置に、Tシャツとジーパンで。


・・・いっぱいカメラがあり、みんな正装である。カメラに映り込んでいないことを願うしかない。なお、やらかしたことは理解している。


クラシックは最低限なら聴いている。コンサート会場で。改めて教養だと思って聴いてみるか、と魔が差した。暇だった、ともいう。


しかし、新宿駅まで辿り着くまでも、着いてからも、ずっと悩んでいる。率直に休憩時間も帰るか迷っていた。それぐらい、気が乗らなかった。


怖い。


この一言に尽きる。


春先に見た「音楽家」は、間違いなく「本物」だ。なんちゃって、とか「自称」ではない。


文章ならいい。この「音楽家」様は、何故それを言ってしまうのか、を別にすれば、言葉選びが非常に上手い。単純に読んでいて面白い。


だが、音楽は感覚的なものだ。そして「音楽家」は「本物」であった。容赦なく「誰か」の感覚に呑まれるだろうことは容易に想像がつく。


怖い。


だが、それでも聴こうと思ったのは「音楽家」のブログ記事だった。


「音楽家」は昨日、デビュー43周年だと書いていた。つまり、この「音楽家」の44周年の始まりは今日のゲスト出演からだ。


また、そのブログには「感謝」が綴られていた。このどう考えてもエキセントリックな「天才」に残された時間。


よほどのことがなければ、俺より早くに亡くなられるだろう。何せ30年近く歳上だ。順番通りならそうだろう。


俺がこの「音楽家」のチケットを手に入れることは、この先、きっとない。


今回は疫病下であり、また、この「音楽家」の人気が底辺になっているから手に入っただけだ。


本来なら巡ってこなかっただろう、チケット。

春先もそうだが不思議と手元にある。


限りなく気乗りしない。

だけど、なんとなく抗い難い何かにより、何故か俺は会場に向かっていた。

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