志望は総合診療医ですが、なにか?
大学は閉鎖的な環境なので、噂が回るのは早い。
あの女の子は病院に搬送されて、産婦人科ですぐさま処置されたけど……残念ながらお腹の赤ちゃんは天国へ旅立ってしまったそうだ。
──あの男は1週間後には何事もなかったかのように大学に出てきた。
私と目が合うと、嘲笑を浮かべていて不快だった
信じらんない。不同意堕胎という傷害行為をしたのに、大学側はあの男の出席を許したと言うのか。
梶井に物申す人間が誰一人としていない。
いや、腫れ物に触る感じと言うべきか。
あの梶井という男はどっかの病院の院長の息子なのだという。
親に言われるがまま医学部を受験したけど2浪して、今年度やっと合格できたという話だ。
素行の悪さは大学入学前からで、浪人生をしていたころも遊び回っていたらしい。
女の子を堕胎させても良心の呵責すらないその態度。
あの人、多分医者になりたくて勉強しているわけじゃないんだろうなぁ。成績こそわからないけど、講義態度がいいわけじゃないし、本当に親の命令に従ってるだけ。医学に興味なさそうなのだ。
医学部には親に言われて目指している人も多いと聞くけど、梶井はやる気がない上に、人の命を軽視している節があるので始末に負えない。
あんな騒動があったため、女の子は大学を退学したという。彼女の大学がお嬢様大学だから厳しいというのもあるけど、他校で騒ぎを起こしたのも一因だろう。
妊娠してパニクっていたとは言え、その他大勢の前で騒いだのがまずかったみたいだ。
彼女が退学した、私が何故そんなことを知っているかといえば、あの男が笑い話にしていたからだ。
大きな声で彼女を笑い者にしていたから嫌でも聞こえてしまう。
妊娠させられたにも関わらず、無責任な男に故意に暴行されて流産させられて、辛い思いした側だけが退学するなんてあまりにも理不尽だ。
あの女の子は親に言われてすぐに警察に被害届提出したそうだけど、梶井の家には力のある弁護士を雇っているみたいで、示談に追いやられたそうだ。……なるほど、親も同類ってことか。
「結局金だよ金。金払ったらおとなしくなったんだしよ。あいつのせいで親に小言言われるし最悪だよ」
あの男は反省の素振りもなく、あの女のせいで自分の評判が悪くなるとのたまっていた。
どの口がそれを言うか。自分自身の行いが原因だと言うのに。
金を払うのは当然だ。それだけのことをした。
ていうかそれしか償う方法がないだろうに、それすら理解していない。まさに良心が欠如している。
──久家くんの言う通り、ヤバイやつみたいである。
◇◆◇
「パイプカットしてやるーって。やば。近寄るともぎ取られるぞ」
わざと私の後ろを歩くあいつが聞こえるように言っていた。
梶井の友達も悪のりしてなんかぴゃーぴゃー言っていて鬱陶しい。
「ねぇねぇ森宮さん、森宮さんって何科目指してんの?」
「泌尿器科じゃね? パイプカット専門の」
「まじかよー」
私が無視しているとそれはそれで大盛り上がりするらしい。
げたげたと笑っている声がうるさくて私はイライラしていた。
泌尿器科のなにがおかしいんだ。あと、私の志望は総合診療科だから。
そもそも精管をちょん切りたいのは、梶井、あんただけだ。そこを勘違いしないで欲しい。
だけど言ったら言ったで余計にダルがらみされそうなので無視が1番である。
パイプカットしろって叫んだのは本音だし、自分の発言には責任を持たなくてはならない。そのことに関して指摘を受けるのは仕方ない。
だけどさぁ、こいつらもどうなのよ。やってることが大学生じゃないよ。中学生かあんたらは!!
うーん、面倒臭い。これどのくらい我慢すればいいのかな。
周りからも変な目で見られるし、たまに下品になることも言われる。
事務局に言って解決するのかと言われたら不安しかないしなぁ。だって梶井って権力者の息子なんでしょ? 言っても意味なさそうな気がする。
こんな状況なのだが、普段は廣木さんができる限り一緒に行動してくれているので、肉体的な危険には晒されていない。
いつもバイトで忙しい市脇さんは必須科目の講義がある時くらいしか一緒にいられないけど、私を心配してくれて、周りで騒ぐ男どもに睨みを利かせている。
彼女たちの気遣いはありがたいのだが、一緒にいると彼女たちも嫌な思いをするだろう。
「無理しなくていいよ。私と一緒にいたら嫌な思いをすることになると思う」
一度ふたりにも言ってみたのだが、彼女たちはそれぞれ言い方は違えど、同じ解答を返してきた。
「大丈夫よ。一人で耐えなくてもいいの。私達仲間じゃない」
一人だったらつらいことも、二人ならなんとか耐えられるでしょうって言って一緒にいてくれた。
一緒にいる時間が以前より増えた廣木さんはぽつんと話してくれた。
「中学校の時、クラスでイジメを受けている子が孤立していて、私はそれを見ているだけだった。最終的にその子は登校拒否して卒業式も出席しなかったから」
傍観者だった自分もイジメをしていたようなものだ。と言った彼女は、過去の自分の行いをなんらかの形で償いたいみたいだった。
私は当時の廣木さんのクラスメイトではないが、彼女の目には今の私と被って見えるみたい。
それで廣木さんがいいなら、私はなにも言わないけども。
顔を合わせると毎回なにかを言ってきた梶井一行だったが、私が無反応・無関心・無感動を貫くものだからとうとう飽きたらしい。
やっと飽きてくれた。静かになって結構。
解放されてホッとしていた私は、気持ち軽い足取りで勉強するために大学へやってきた。
──しかし、医学部キャンパスに入ると違和感を覚えた。
なんだか異様な空気が漂っているのだ。
それに、すれ違う学生がちらちらと私の顔を凝視して来る。
それを不快に思いながら、大きな掲示板のあるホールに一歩足を踏み入れると──この違和感の原因がわかった。
掲示物の上に張り出された写真は女性の裸体だった。
おそらく、紳士の嗜みであるアダルト動画かなにかの一幕をスクリーンショットして引き延ばして印刷したのであろう。
複数のシーンがベタベタと張り出され、その横に手書きの汚い文字で【森宮莉子の正体だ】と白い紙に書き足されている。モザイクはかかってるけど、これはわいせつ物に該当するんでは……
私がそこに近づくと、モーゼのようにざっと人波が避けた。
なんだよあんた達もばい菌扱いするのかね。
ちょっとムッとしながらずんずん前に進むと、私は掲示物の写真をまじまじと見つめて観察した。
身に覚えがないし、私は男性経験がないので、こんないかがわしい動画に出演したこともない。
まじまじと掲示物を眺める私を周りの学生はドン引きして見ていた。
しかし私の知ったことではない。とりあえず自分の身の潔白を証明するための証拠を探し出さなくては……
「森宮さんこれは、いったい」
「あぁ、おはよう」
動揺した声に呼ばれたので振り返ると、そこには眼鏡の久家くんがいた。
彼は掲示板をざっと見渡し、さっと頬を赤く染めると、掲示物に手を伸ばした。
「なに君は平然と観察して……こんなもの見てはダメだ!」
「ちょっと待って。このアダルト女優さんと私との相違点を探している途中だから」
大丈夫だって。私と同じ女性よ? 同じ体なんだから全然恥ずかしくとも何ともないから。
これはまずいだろうと掲示物を剥がそうとする彼を止めて、私は写真の数々を凝視し続けた。
「相違点って……」
それに久家くんまでドン引きした目で私を見てくる。
私はそれに構わず、びしっと写真の一枚を指差した。指し示す先には豊満な2つの膨らみがある。
「まずひとつ。私はこんなに巨乳じゃない」
私がはっきりと相違点を指摘すると──周りから音が消えた。
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